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教室はまちがうところだ

小3長女の学習参観に行ってきました。

そこですごくいいなぁと感じたのが、先生が質問をすると、みんな元気よく手を挙げて、当てられた人が答えを言う間は注目して聞き、聞き終わったみんなはまた手を挙げながら口々に反応していることです。

相手の意見に反応する時の手のサインが黒板の隣に貼ってありました。
 グーm039.gif「同じ意見です」
 チョキm044.gif「わかりません」
 パーm042.gif「違う意見があります」
 指一本m131.gif「つけたしがあります」
誰かが答えたことに対して、同じ意見の人、違うと思う人、合っているけどもう少し足したい人、みんながしっかり反応している。

まちがった答えや不十分な答えが出てきても、否定するのではなく、「僕は違う意見があります、~~だと思います」「○○さんの意見につけたしがあります」と、みんなで受け止めて、よりよい答えに塗り重ねていく。まちがえた人も、他の人の意見を聞いて、気づく。
その空気がとてもあたたかくて、素敵でした。

さらに後ろの壁には、大きな模造紙に詩が貼ってありました。

きっとこの詩のおかげで、クラスの友達も先生も、みんながみんなのまちがいを当たり前のものとして寛容に受け止め、よりよい答えを塗り重ねてゆく姿勢、失敗をおそれずに発言する勇気が育まれているのだろうと感じました。

調べてみると、今はもう亡くなっている、蒔田 晋治さんという静岡生まれの公立小・中学校の先生が書いた詩で、学習指導案の題材にもされるような有名な詩だそうです。
少し長くなりますが、じーんと来たので紹介します。

「教室はまちがうところだ」 まきたしんじ・作

 教室は まちがうところだ
 みんな どしどし 手をあげて
 まちがった意見を 言おうじゃないか
 まちがった答えを 言おうじゃないか
 
 まちがうことを おそれちゃいけない
 まちがったものを ワラっちゃいけない
 まちがった意見を まちがった答えを
 ああじゃないか こうじゃないかと
 みんなで出しあい 言い合うなかで
 ほんとのものを 見つけていくのだ
 そうしてみんなで 伸びていくのだ

 いつも正しくまちがいのない
 答えをしなくちゃならんと思って
 そういうとこだと思っているから
 まちがうことが こわくてこわくて
 手もあげないで 小さくなって
 黙りこくって 時間がすぎる
 
 しかたがないから 先生だけが
 勝手にしゃべって 生徒はうわのそら
 それじゃあ ちっとも伸びてはいけない
 神様でさえ まちがう世のなか
 まして これから人間になろうと
 している僕らが まちがったって
 なにがおかしい あたりまえじやないか
 
 うつむき うつむき
 そうっとあげた手 はじめてあげた手
 先生が さした
 どきりと胸が 大きくなって
 どきっどきっと 体が燃えて
 立ったとたんに 忘れてしまった
 なんだかぼそぼそ しゃべったけれども
 なにを言ったか ちんぷんかんぷん
 私は ことりと座ってしまった
 
 体が すうっと涼しくなって
 ああ言やあよかった こう言やあよかった
 あとでいいこと 浮かんでくるのに
 それでいいのだ いくどもいくども
 おんなじことを くりかえすうちに
 それから だんだん どきりがやんで
 言いたいことが 言えてくるのだ
 
 はじめから うまいこと 言えるはずないんだ
 はじめから 答えが当たるはずないんだ

 なんどもなんども 言ってるうちに
 まちがううちに
 言いたいことの半分くらいは
 どうやら こうやら 言えてくるのだ
 そして たまには 答えも当たる
 
 まちがいだらけの 僕らの教室
 おそれちゃいけない ワラッちゃいけない
 安心して 手をあげろ
 安心して まちがえや
 まちがったって ワラッたり
 ばかにしたり おこったり
 そんなものは おりゃあせん

 まちがったって 誰かがよ
 なおしてくれる 教えてくれる
 困ったときには先生が
 ない知恵しぼって 教えるで
 そんな教室 つくろうやあ
 
 おまえ へんだと 言われたって
 あんた ちがうと 言われたって
 そう思うだから しょうがない

 だれかが かりにも ワラッたら
 まちがうことが なぜわるい
 まちがってること わかればよ
 人が言おうが 言うまいが
 おらあ 自分であらためる
 わからなけりゃあ そのかわり
 誰が言おうと こづこうと
 おらあ 根性曲げねえだ
 そんな教室 つくろうやあ

私自身、幼少期からずっと(いい年になってもいまだに)上がり症で、人に自分の気持ちや考えを言葉で伝えるのが苦手でした。

大人になって、自分=みんななんだと、人を信じられるようになってから徐々に克服していますが、子どものときに、こんな風に先生や大人たち、仲間たちを信じて受け止めてもらってたくさん失敗できていたら、大人になっても必要以上に失敗をおそれたり否定したりせずに、自分や相手の失敗から学んで次に生かそうという可能性へ向かうための大きな原動力になるだろうと感じました。

不正選挙や、原発・医療・食品など“安全”に関する嘘、何が正しいのか、何を信じていいのかわかりにくい世の中で、間違いをおそれて偉い人の言うことを鵜呑みにしていては、本当に正しい答えなんてみつからない。

子どもたちやまわりの人たち、自分自身に対しても、『まちがっても、大丈夫。みんなで出し合って答えを見つけよう』という気持ちでいようと思いましたicon_biggrin.gif

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