- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

”スーパー高齢者”に共通するもの~未知への収束。未知収束が高齢者(事業)の可能性を開く

あけましておめでとうございます。

本年も当ブログをよろしくお願いします。

新年最初の話題は、高齢者介護を考えていく中で、むしろ高齢者の可能性が見えてきました。

そうすると、そもそも、高齢者の能力は下がるということ自体本当なのか?このことに一定のアンチ唱える文章をご紹介します。高齢者と言えどスーパーな方は幾らでも居られる。新年そうそう、新年だからこそ、可能性全開で行きたいと思います。

”スーパー高齢者”に共通するもの~未知への収束。未知収束が高齢者(事業)の可能性を開く [1]

現代社会においても、驚嘆に値する能力・活力をもたれている高齢者が数多く存在するが、歴史を紐解いてみても、年老いてから驚くべき発見や発明をしている人物は非常に多い。

以下の引用文にあるように、確かに好奇心が旺盛で、向上心があり、くじけない精神をもった方々、そして、そのような意識を生かせる仕事を行っている方々に、このような「スーパー高齢者」が多いが、その分析ではやや弱いと感じる。
歴史を紐解いてみるに、これら「スーパー高齢者」は、とことんその道を追求する”求道者”であり、道の先に広がる”未知の世界”を追求しようとしている点が共通している。

人の能力・活力を規定するのは”未知への収束度”であり、そしてそれは年齢を重ねるほどに対象世界が広がる。すなわち高齢者になるほど世界への”未知収束”度合いが高まり、活力も能力も開花していくのではないか。
そして高齢者の持つ、真の可能性とはこの無限の未知への収束にあるのではないか。

以下の引用にもあるように「隠居」、現代的に言えば定年退職すれば、それまでの課題への追求は一切失われてしまう。逆に、隠居した先、定年退職した先に「未知なる課題」を見いだせば、全く新しい可能性が広がるように思われる(ex.隠居してから日本地図を作り出した伊能忠敬など)。高齢者の事業化への取り組みを考える上で、最も重要になるのは、この「未知なる課題」への取り組みではないだろうか。

Exif_JPEG_PICTURE [2]貝原益軒 [3]塚原卜伝 [4]北斎 [5]

以下、 老いの工学研究所 [6] より引用
********************************************************************
人は誰しも老いていきます。そしてその老い方は人それぞれです。しかしそんな老い方にも、誰もが思わず敬意を表したくなるような人たちがいます。そこに何か共通項があるのではないかと文献を探ってみることにしました。

まず対象にしたのは、老いてなお現役として活躍しているプロの生き様を紹介している『最高齢プロフェッショナル』シリーズ(徳間書店)です。このシリーズでは年齢を超越した30人の超人の事例が掲載されていて、ケーススタディをするにはうってつけなのです。最高齢プロフェッショナル達の珠玉の言葉を一部抜で粋します。

■69 歳の時に「アンパンマン」がヒットした漫画家・やなせたかし(91 歳)
「運と巡り合うためには、何でも引き受けることが大事なんです」

■一式陸攻の生き残りにして東日本大震災でも物資輸送したパイロット・高橋淳(88 歳)
「せっかく生まれてきたんだから僕は死ぬまで進歩したい」

■コーヒーだけのお店銀座のカフェ・ド・ランブル店主・関口一郎(96 歳)
「次から次へと改善したいことが出てきて、96 歳になっても時間が足りないよ」

■世界で活躍する日本人ピアニストの先駆け・室井摩耶子(89 歳)
「真剣に向き合うたびにいろんな発見がある。だから面白くてやめられない」

■山田耕筰の数少ない弟子で声楽家にして相愛大学名誉教授・嘉納愛子(103 歳)
「楽しいことなんて、ぼんやり口を開けていても誰も持ってきてはくれませんよ」

■長男次男が小児マヒ、妻はパーキンソン病、95 歳で一人ぼっちの教育者・?地三郎(106 歳)
110 歳まで講演会の予定がびっしり「何も人任せにはしなかった。いつも全部自分でやった」

■亭主は24歳年下。今も舞台に立つ漫才界の重鎮・内海桂子(90 歳)
「将来に不安?そんなヒマがあったら動きなさいよ。人は動けば金になる」

■66 年間天体の観測を続ける。宙に魅入られたプラネタリウム解説者・河原郁夫(81 歳)
「一生続けられるものがあるといいですね。人生が豊かになります」

■結核と闘いながら吹き続けアメリカを魅了したサックス奏者・尾田悟(85 歳)
「演奏に満足したことは一度もないよ。明日はもっとうまくなる。だから生きていられる」

■老いと戦いながら96 歳でCD を発売したチェリスト・青木十良(97 歳)
「満足するものは一生作れない。だから人生は面白い」

■サントリーホールを「音の宝石箱」にした響きの魔術師、音響設計士・永田穂(87 歳)
「仕事の9割は雑用。でも好きなことだったら耐えられる。貪欲にもなれるんです」

■結婚当日に夫が出征し戦死。取り上げた我が子は1万人。助産師・林むつ(93 歳)
「どんな仕事も命懸けでやること。必ずいいものが返ってくる」
参考文献 最高齢プロフェッショナルの教え』『最高齢プロフェッショナルの条件』徳間書店

彼らの生き様には見事に共通する3つのパターンがありました。

・生涯現役であるためのパタン1:好奇心が旺盛であること
基本的に何でも引き受けます。そこで天職に巡り会い、とことん突き詰めていくのです。

・生涯現役であるためのパタン2:ひたむきな向上心があること
決して現状に満足せず、常に成長する努力をしているので、まったくヒマがありません。

・生涯現役であるためのパタン3:くじけない強い心をもっていること
どんなに失敗し逆境にあっても、目の前のことを楽しんでいるので、くじけません。

この3つのパタンにより一生続けられる仕事を見つけた彼らは、例外なく幸せに生きていると言えます。つまり誰もが思わず敬意を表したくなるような「老い方」に必要なものは仕事なのです。そこで次のような仮説が成り立ちます。

第1仮説:生涯続けられる仕事は幸せな老い方を約束する。隠居は不幸の始まり。

この仮説を裏付ける為にさらに文献で事例を調べていると、とんでもない事実を突きとめました。平均寿命が40 歳にも満たない戦国~江戸時代に、平均寿命約83 歳という恐るべき集団が存在していたのです。
それは戦や決闘に、命をかけ己の武術を磨くことのみに明け暮れていた武芸者、剣豪です。
信頼できる資料で生年と没年が確認できる有名な剣豪・武芸者から算出してみました。

飯篠長威斎【いいざさ・ちょういさい】 102 歳 1387-1488
愛洲移香斎【あいす  ・いこうさい】 87 歳 1452-1538
上泉 信綱【こういずみ・ のぶつな】 69 歳 1508-1577
塚原 卜伝【つかはら ・ ぼくでん】 83 歳 1489-1571
柳生 宗厳【やぎゅう ・ むねとし】 80 歳 1527-1606
伊藤一刀斎【いとう ・いっとうさい】 94 歳 1560-1653
柳生 宗矩【やぎゅう ・ むねのり】 76 歳 1571-1646
東郷 重位【とうごう ・ ちゅうい】 83 歳 1561-1643
宝蔵院胤栄【ほうぞういん・いんえい】 87 歳 1521-1607
丸目 蔵人【まるめ  ・ くらんど】 90 歳 1540-1629
宮本 武蔵【みやもと ・  むさし】 60 歳 1584-1645

彼らの平均寿命約83 歳は2010 年の日本人男性の平均寿命79.64 歳をも軽く超えており、驚異的な生命力と言えるでしょう。
確認はできませんが先ほど抽出した「生涯現役であるためのパタン」は3つとも彼らに当てはまりそうです。基本的に武芸で「生涯現役」であった彼らは第1仮説に基づけば幸せだったでしょう。

 

 

 

[7] [8] [9]