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高齢者は、自分たち自身のニーズを形にさえできれば、そのマーケットは膨大である2

1の続きです。

 ⑥若年経営者へのスムースな事業継承
多くの企業では、若くして創業した経営者が、60過ぎても居座っている場合が多い。社長を辞めると、やることが無くなり、片町でモテなくなるからである。そのため、30~40代の後継者が、埋もれてしまっている。
そもそも、今の社長が若いとき始めた会社の製品・サービスは、そのときの同じ年代の若い顧客層を狙ったものである。したがって、社長が高齢になると、会社の業務と経営とのずれが出てくる。若手に経営を引き継げば、そのズレが解消され、会社の状態も良くなる。
その場合、高齢社長はどうするか。
経営を息子に譲ったあと、新しい会社を興すのである。新しい会社で、自分の年代に見合う顧客をターゲットにした事業を始める。経営経験があるだけに、再び成功の可能性は大きい。自分が新しい事業に移ることがなければ、何かと前の会社に口を出し、息子を腐らせてしまう。

かい援隊 [1]

⑦働きたい高齢者の受け皿になる
多くの企業は、働きが悪くて賃金の高い高齢者はできるだけ雇いたくない。年功賃金傾向の高い日本の企業は、どうしても高齢者に手厚くなるからだ。それに高齢者は、ITなど、若い社員のテクニックにもついていけない。若い社風にも合わない。スキルのある高齢者は、若くて生意気な上司のもとでは働きたくない。したがって巷には、まだ働ける高齢者があぶれる。海外へ流出すれば、日本の競争力が削がれてしまう。
それなら、経営管理能力や特別な技術がある人は、起業すればいい。さらに③の末尾で記載したように、高齢の起業者は、(類は友を呼んで)高齢者を多く雇用するから、巷にあぶれた高齢者の、大きな受け皿にもなる。

⑧失敗しても社会不安になりにくい
高齢者に対して、金融機関は融資しにくい。いつポックリいくか、分からないからである。したがって高齢者は、身の丈にあった経営しかできない。あり余るお金を持っている人は、存分に投資すればいいし、無い人はそこそこでいい。いろんなやり方がある。とくに今の高齢者は、死ぬときに平均3000万円もの金融資産を残すそうである。その何分の一でも投資に回れば、すごいことになる。
もし失敗しても、他にビジネスチャンスは無数にある。また、高齢者の会社が増えれば、再就職は容易である。中年の時に失業するより、ダメージははるかに少ない。それに、先は短いから何とかなる。

⑨高齢者の最大の強み
そして高齢者の最大の強みは、もうすでに充分生きてきた、ということである。明らかに、若い人より命は軽い。死んでも悲しむ人がいない。これは大きい。誰も死にたくはないが、「もう死んでもいい」と思うことほど、強力なものはない。
日本では、おかしな人道的見地のため、表向き高齢者と言えども大切に扱われてきた。しかし、高齢者自身が作った経営理念によって、命をもっと重要なこと(若い命を残す)に使えれば、こんな幸せなことはない。そろそろ、1度しかない「最後」を、名誉で飾りたいと思う人も多いはずだ。そう考えれば、仕事はいくらでもある。
具体的には、兵役、防疫、災害援助、遭難救助、地雷除去、薬の治験、高所作業、深海作業、原発作業、宇宙作業などである。とくに「兵役」は、狙い目である。国連軍や外国の傭兵となって、外貨を稼ぐこともいい。高齢者が従軍すれば、「慰安所」は不要になる。

このように、高齢者が起業することによって、まず高齢者自身が、生計を確保することができ、活力と生きがい、豊かな生活を得られるようになる。つぎに、高齢者の投資と消費によって、新たな内需が生まれる。そしてこれらが、日本経済の足腰を強くし、我が国が将来にわたって繁栄するための、重要な基盤固めになるのである。
すなわち高齢者の起業は、高齢者本人だけでなく、我が国にとって大きなメリットとなる。いまのところ、デメリットは考えつかない。むしろこのような起爆剤がなければ、我が国の将来は、悲惨なものになることは間違いない。あとは高齢者自身が、起業の意志を固めるとともに、起業にあたっての阻害要因(別掲)を取り除いていくだけである。

そこで、この高齢者の起業を支援するしくみを、提案しようとしている組織がある。福井県中小企業診断士協会である。すでに、竹川委員長を筆頭に、7名のワークチームが結成された。今年度中には、何か提案できるそうだ。
もちろん、その支援するしくみを考えている人も、高齢者である。

「もう死んでもいい」は、普通言えませんが、確かに強みです。

フクシマの時も高齢技術者が「若者を原発処理に向かわせるな、もう十分生きた我々にやらせろ」と運動を起こし、感動を呼びましたが、本人が言えば無敵です。お上、マスコミは「じゃあ、死にに行って下さい」と言えず活用できていませんが、ここは認識一つ転換するだけで無限の可能性が生まれると思うのです。

鍵は本人、高齢者自身の意志だと思います。

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