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元来、子育てとは高齢者の役割であった

高齢者の能力を子育てに活かそう!って、実は普通のことなのでは?子供の頃、母親が忙しい家庭はおじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見てましたよね。「おばあちゃん子」って普通に居ましたから。

元来、子育てとは高齢者の役割であった [1]

子育てをしている人たちの話を聞くと、子供の祖父母が子育てに関っているケースをよく耳にします。

お母さんが、1人で子育てすることの行き詰まりを避けるため、祖父母に精神的に支えてもらうケースから、仕事をしているお母さんが、子供が熱を出したけど仕事が休めない時のサポート、さらには、日頃から全面的にサポートを受け、保育園や幼稚園の送り迎え、ご飯のお世話など、子育ての主体を祖父母が担っているケースも少なくありません。

私の住んでいる街でも、日中、ベビーカーを押してお散歩しているおばあちゃんをよく見かけます。
子供が通っている保育園でも、送り迎えはいつもおじいちゃんという子がいます。ここのおじいちゃんは、子供の病院の面倒や髪の毛を切ってあげることまでしているそうです!

こういう祖父母がサポートすることについて、良いという意見、母親・父親が甘えすぎ、親離れ出来ていないという意見、賛否両論です。

ただ、1つ言えることは、誰かのサポート無しでは子育ては出来ないということ。私は、祖父母が遠方のため、サポートは受けていませんが、その代わり、共同保育仲間に大いに助けられ、助けて子育てしています。

では、昔は、どんな風に子育てがなされていなのか?

幼老1 [2]幼老2 [3]

 

 

 

 

 

宮本常一著『家郷の訓(おしえ)』(岩波文庫)から紹介です。

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年寄りと孫

若い妻にはやがて子が出来る。しかしこの母親は毎日家を外にして働かなければならない。朝早く出て行くと昼飯の支度にかえるまでは山にいる。昼飯がすめばまた山である。その間子供は老人のいる家であればばアさんが世話をする。それのいない家では子守をやとう。たいていは親類の娘子どもである。これには別に賃らしいものもやらなかった。私も親類の子などに負われたことがあるというが、私の家には祖父も祖母もいたので老人が一番多く面倒をみた。
このようにして六、七歳になるまでは通常祖父母のもとで育てられる。われわれの地方では隠居の制度があるが、隠居は全く老人夫婦の隠居で、他の地方に多くみられるような二、三男を引きつれての隠居の風はない。隠居家は別にたてられているものもあるが、多くは主家(おもや)の一部にとりつけられている。たとえば土間の向う側とか、主家に葺き下げにして造るとかしてある。たいてい一間の小さいものであって、竈を築いて煮炊き出来るようになったものもあるが、それのないものもある。私の家では隠居に竈がなかった。従って食事は一緒だった。隠居のことをヘヤと言った

(中略)

(隠居した)婆さまたちはたいてい苧績み(おうみ)をして小遣いをかせぐ。爺さまの方は主として菜園の手入れをする。これはかなり重要な役目である。隠居したからとて楽をするのではない。仕事の分担がかわるのである。

さて、私も幼少の折ヘヤで育てられた。祖母は無口な人であったから、祖母についての印象は比較的少ないが、祖父は剽軽な人で働き者で話好きで唄好きであったから実によく印象に残っている。そして四つ位の折から祖父につれられては田や畑に行った。その往復に際して荷のない時は、いつもオイコにのせて背負うてもらった。ちょうど猿曳の猿のように。これが実に嬉しかったものである。

山へ行くと祖父は仕事をする。私は一人で木や石を相手にあそぶ。山奥の方まで行ってあわてて畑の所まで来て祖父の働いているのを見てホッとする。気の向いた時は草ひきの手伝いをする。
「おまえが、たとえ一本でも草をひいてくれると、わしの仕事がそれだけ助かるのだから・・・・・・」

と言って仕事をさせるのである。そのかわりエビ(野葡萄)やら野苺などよく見つけて食べさせてくれる。野山にある野草で食べられるものと、食べられないものと薬用になるかならぬか、またその名や言い伝えはこうして祖父に教えられた。

戻って来ると、夜はかならず肩をたたかせられる。また足をもまされる。そのかわりに昔話をしてくれる。これがたのしみで、祖父に抱かれて寝ては昔話をきいた。

(中略)
法事などがあると、老人たちが実に多く集まる。この人たちは別に仕事がないので子供たちを相手にあそぶ。その時昔話をきくのである。大ぜいできくのであるから本格的なのは少なく、おそろしいもの、おどけたものが多かった。子供の好んできくのはお化けの話であった。老人たちはそれが本当にあったようなことを言ってはなす。

(中略)
先祖拝みの道々祖父はどの親類は自分の家とどういう関係になっているかということをよく話してくれた。こういうことは大切な教育の一つと言うことが出来るように思う。しかもこの先祖参りのお供には姉や弟をつれて行ったことはなかったようであるから、多分後をつぐ者のためにこれは当然教えておかねばならぬことと感じてのことであったかと思う。

かくの如くにして私は六歳まで祖父のもとで躾られて、七歳の春から父母の教化のもとに入った。但しヘヤへとまりに行くのは十歳の頃まで続いた。

*********************************(引用おわり)

現代では、子育ての主体は両親と思われていますが、それは近年核家族化が進んで以降のことであり、昔は、子育ては高齢者の役割と考えられていたんですね。

そんなに昔でなくても、3世代同居していた頃はそれが普通で、核家族且つ専業主婦というサラリーマン家庭にのみ子育て=母親という図式が当てはまるんでしょうね。それが、女性が結婚後も働くようになって、保育の問題が出てきたわけです。子育ては社会、全世代の課題だと言えると思います。お年寄りの活力にもなりますしね。

 

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