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褒める、叱る、怒る・・・基準は「相手がその後さらに向上していくようになるのかどうか」

よく食べ、遊び、眠ってくれれば恩の字だった幼児と比べ、小学生になると、勉強を楽しんでいるか?難しい問題にどう取り組んでいるか?友達との関係は?どんな大人になりたいと思っているか?気になることが増えてきました。

子どもが壁に当たった時、やる気を失っている時、親としてどう関わっていくか、ヒントを与えてくれる記事を紹介します。

子どもが勉強しないとき、親は何をすべき? [1]より引用。

小学校低学年から高学年、そして中学生へ……。周囲に私学を受験する子も増える中で、わが子の成績や先々の進路がまったく気にならない親はいないだろう。どうすれば少しでもいい点が取れ、より上位の学校に進学できるのか。そもそも子どもにやる気を起こさせるには?

■循環の原因は何なのか?

苦手意識がついている教科の場合、勉強を嫌々ながらして怒られ、さらに気持ちが勉強から遠避かるという悪循環に陥ってしまいます。そして悪循環はやがて次のような経路を辿っていきます。

「勉強しない →(繰り返し)怒る → さらにやらなくなるか、やった振りをする → 学力は上がらない → 子どもは別のことに逃避する → もう勉強には戻って来ない」

これは、初動における「怒る」の部分に大きな問題があります。しかし、怒るか、叱るか、褒めるか、これは非常に難しいことですよね。人間、やたらと褒めればいいかというと、そういうものでもありませんし、叱るときも、怒ることも、ときには必要なことでしょう。しかし、いつも怒られてばかりいたら、決して勉強には戻って来なくなる可能性が高くなることは間違いありません。

■子どもが伸びる「話し方」

はじめに、次の会話をご覧ください。

木村君:「先生、できました!」私:「どれどれ。OK、これはできている。では次のステップにいって!」(私は別の生徒に机に向かい)

私:「田中君、ペン止まっているけど、どこがわからない?」

田中君:(言葉では返さず、「ここ」とシャーペンでわからないところを指す)

私:「この問題か。どの部分まで式書けた? ノート見せてみて」「じゃ、まず、この式、展開してみようか」

田中君:(無言で、式を展開する)

私:「OK。ここまではできるね。この形になったら、次は何をしたいかな?」

田中君:(小さい声で)「○○を出していく」

私:「そうそう、それでいいよ。OK。この問題がわかると、この先の10問はできるよ。やってごらん」

もう、おわかりかもしれませんが、私は、褒めるのではなく、「承認」をしているのです。私が頻繁に使っている言葉は「よしOK!」「では次にいこう!」です。つまり、子どもの心理状態が、つねに前向きになり、なおかつ現状を「承認(=認める)」した言葉をかけてきました。

たいしてできてもいないのに、「それはすごいことだ」「よくできている!」ということは「ウソ」になりますし、励まそうとして、大げさに言っているということを子どもはすぐに見破ります。しかし、その「おおげさな表現」を稀に使うことがあります。これは世に言う“褒める”という行為ですが、それは次のような場面においてです。

子どもの意欲や現状の能力が極めて低く、マイナスからのスタートで自信がまったくない子がいる場合。簡単なレベルから解答させ、ひとつできれば、「OK、よくできている!」と繰り返し語り、ときに「よくできるな」「これができていれば大丈夫だ!」「これは普通なかなかできない」という表現も自然に入れて、繰り返しているうちに、やがて、「もしかしたら自分はよくできる人間(極端な場合は『天才』)ではないだろうか」と錯覚するようになります。

■通常モードと非常モードで考えよう

通常モード→「承認」

非常モード→「褒める」(子どもの心が自信を喪失しているときや、異常なほどの成果を上げたとき)

実は、叱る場合も怒る場合も、通常モードと非常モードがあるのです。ですから通常は叱ったり、怒ったりはあまりしません。

通常モード→「説諭」(せつゆ:行いを改めるように言い聞かせること)

非常モード→「叱る」(人の道に反したとき)

「怒る」(今この瞬間に激を飛ばさないと一生後悔させることになると思ったとき。緊急非常事態)

通常、私は「説諭」つまり、「教え諭す」ということをします。急に感情的に怒るようなことはしません。大概は、子どもは悪いことをしたときに、自分が悪いことをしたという認識をしていますから、説諭を真剣モードで行うと、それなりに効果があります。

しかし、ときには「叱る」「怒る」ことが必要になります。この2つの言葉はよく混同されて使われているので、「怒ると叱る」の違いについて、ここでお話しておきましょう。

辞書的な説明は抜きにして、「怒る」は感情的で、「叱る」は教育的という感じです。つまり、感情的になることはあまりよいことではなく、教育的なことはよいと思われる背景があるため、一般に「怒るはダメ」「叱るは良い」と考えられています。

しかし、「怒る」ことが重要なこともあります。“雷を落とす”と表現されるように、一撃で相手を修正させるために、「怒る」ことも必要でしょう。ただし使い方を間違えると、後々大変なことになるため、それなりの覚悟は必要です。怒る場合も「行為」に対して怒るのであって、「人格」を否定してはならないことは言うまでもありません。

■怒る指導者は「焦り」に負けている

叱る、怒るのは生活習慣の乱れ、道徳に反した時であり、本人の自覚もある場合です。しかし勉強で点が取れないときや、間違ったときに叱ったり怒ったりはしません。

もし指導者が叱ったり怒ったりするのであれば、それは指導者の心の中に「自分(指導者自身)の思うとおりにいかないという『焦り』」があるからなのです。これは親にも言えることで、勉強ができなければ、一緒に考え、できるように支援してあげればそれで済むのですが、そこで、「抑えられない自己感情」が心の中から出てきてしまうのです。

職人の世界では、褒めるということをしないといいます。職人は究極の技を磨くために日々鍛錬しており、褒められると、そこで満足してしまい、心に緩みが出てその後伸びないためといいます。しかし、根底には親方と弟子の間にある種の信頼関係があり、この信頼関係が褒めるのと同様の効果をもたらしているため、褒めることが一切なくとも人は育っていくのだろうと私は思っています。

親子関係でも同じことでしょう。信頼関係がなく、いつも「叱る」「怒る」だけを繰り返していれば、どのような結末を招くか。ご想像のとおりです。

結局のところ、褒める、叱るか、怒るかという行為自体が問題なのではなく、「相手(子ども)がその後さらに向上していくようになるのであるのかどうか」という基準で考えていけば、いま子どもに対して行っている行為が正しいかどうかがわかってくるのではないでしょうか。

引用元:できる子の親は「褒める」も「怒る」も最小限! [2]

引用終わり。

褒める子育て、叱らない子育て、“子育て論”のハウツーを鵜呑みにせず、子どもの状況と事実をみつめ、子どもと“もっとよくなる可能性”を共有できる声かけをして信頼関係を築いていきたいと感じました。

 

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