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高齢者はなぜ「弱者」になったのか?

例えば、高齢者や介護の問題を考えるとき、「問題」と捉える前に、それは本当か?と問いただした方が良い。いったい、いつから問題となったのか?むしろ、そこに可能性は無いのか?

高齢者はなぜ「弱者」になったのか? [1]

高齢になると、心身ともに衰え、若い頃に比べると相対的に「弱者」になることは誰しも避けられない。しかし、高齢者は本当に「弱者」なのだろうか?自分はまだまだ気力・体力ともに若い者には負けないと考えている高齢者も多く、「弱者」と言われることに違和感を覚える人も多いのではないだろうか?

元気老人 [2]

ところが、現代の高齢者福祉制度は、高齢者が「弱者」であることを大前提にして成り立っている。「弱者」だから、守ってあげなくてはならない、介護しなくてはならないというわけだ。

高齢者は本当に「弱者」なのか?を考えるために、そもそも、「福祉」という観念が出てきたのはなぜかを考えてみる。おそらく、それは市場化とそれに伴う地域共同体の崩壊→家庭の崩壊と無縁ではない。近代以降(特に戦後)、急速に市場化が進むが、それに伴って、それまで地域共同体で支えてきた相互扶助関係が失われて行った。そして、村落共同体を出て都市に住み着いた住民は核家族となるが、核家族はもはや集団とは呼べず、集団が持っていた子育てや高齢者介護といった相互扶助機能は何も持ち合わせていない。「福祉」という観念は、共同体が崩壊して誰も支えてくれる人(集団)がいなくなったので、本来共同体が持っていた相互扶助機能を代替する必要から、「社会(国家)で相互扶助する」観念として登場してきたものであると考えられる。

そのように考えると、高齢者が「弱者」になった理由は、「福祉」という観念が登場してきたから、つまり、共同体が失われたからだと言えるのではないだろうか。市場社会では、誰も支えてくれる人(集団)がいないから、社会(国家)が「福祉」制度によって、身寄りのない「弱者」を支えなければならない。

しかし、高齢者は「弱者」であるから助けてあげなくてはならないという固定観念によって、本来まだ元気で働ける高齢者の活力と能力を奪い、「福祉」にぶら下がって要求だけはするという高齢者を大量に生み出してきた。その結果が、年金や介護保険などの高齢者福祉制度の破綻である。

そろそろ、「福祉」、高齢者=「弱者」という固定観念を見直す時期に来ているのではないだろうか?目先の制度改革以前に、根本的に共同体の再生を考える必要がある。その試みが、地域共同体の再生⇒地域でのミニ事業の追求である。

現代に使われている「家族」や「親子」のフォーマット自体が比較的最近に出来たものであり、その前提が市場社会の都市生活者のものです。その社会も変化し、敵応出来ているとは思えません。だから、これから新しい地域社会を作って行くところに可能性があるのだと思います。

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