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【コラム☆感謝の杜】~90歳の現役助産師さん~

90歳の現役助産師さん~取り上げた赤ちゃんは約1万人☆~ [1] より

 先日放送していたテレビで、とっても素敵な女性が紹介されていました。
その女性は、林むつさん。90歳で現役の助産師さんです!!
高齢にもかかわらず背筋は伸びているし、声に張りがあり、話す言葉もハキハキしています。
真ん丸い顔からは笑顔が絶えず、可愛らしくて、とにかく活力がみなぎっている女性です。

>林むつさんが五井に助産院を開いて半世紀
出産が間近に迫った妊婦さんの元へ一刻も早くと、自転車で走り回った日々もありました。
その当時から、林さんの診察の基本は妊婦さんのお腹を触り胎児に語りかけること。長年にわたり培った経験をもとに、自然に近いお産を実践してきました。
過度に医療機器や薬に頼って産ませられるのではなく、身体の自然な力で産むお産。自然分娩を望む声が多くなってきた今、林さんはまだまだ引退できそうにありません。
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一軒家に構えたその助産院には毎日たくさんの妊婦さんであふれているそうで、7人の子どもををそこで出産したある女性は8人目もそこで生みたいと来院してきていました。
どうしてここで出産するんですか?という問いに、「普通の産婦人科では、“先生”だけど、ここでは実家の母親のところに帰ってお産をする感じで安心なんです」と言われていました。

 

>ここで出産した人は「助産院での出産はまるでお祭りのよう」といいます。夫や子どもが立ち会うのはもちろんのこと、希望すれば親や親せき、友人なども受け入れるので、人によっては十人近い大人や子どもがベッドを囲むこともあるそうです。
「分娩室ではお父さんも汗だくになってお母さんの体を支えて、へその緒を切ってもらいます。子どもたちはそんな両親を真剣に見ています。そして、赤ちゃ んの泣き声が響くと、みんな歓声を上げて抱き合って喜ぶんです。そうした家族の姿を何度も見てきましたが、助産師としてやってきてよかったと心から思える 瞬間です」。『人物図鑑 あの町この人』リンク [3]より

林むつさんが結婚したのは戦時中のこと。
旦那様は結婚当日に戦争に出征してしまい、そのまま帰らぬ人となったそうです。
(その後は、再婚はせずにずっと独身を通したそとのこと。)
戦後、助産師となり90歳の現在までに約1万人の子どもを取り上げたそうです☆

むつさん自身は、自分の子どもを産みたいなと想ったことや、助産師を辞めたいと思ったことも何度もあったそうですが、それでも続けられたのは赤ちゃんの笑顔があったからとのこと・・・。
そして、助産師という仕事をする中で取り上げた赤ちゃんはみんな自分の子どもであり、孫だと想えるようになったそうです。

「何でそんなにお元気なんですか?」という問いには、赤ちゃんからパワーをもらっているから!と、とっても素敵な笑顔を見せながら答えていました。

林むつさんを見ていてたくさんのことを学びました。
自分が子どもを産むことが出来なくても、子どもたちに関わっていくことが出来るということ。
(むつさんのように助産師という職業でなくても、いろいろな経験を伝えていくということは出来ます。)
そして、人の役に立つということはこれほどまでに活力が湧くものなのだということ。

輝いていつまでも現役でがんばっている女性(先輩)の存在に、あぁなりたいな・・なれるんだなと元気が湧いて嬉しくなりました☆

妊娠・出産は病気ではありません。だから、産婦人科ではなく助産婦さんが居ます。(今は「助産師」になっちゃいましたけど。こんなところで男女同権思想を出してどうすんだ?、と思いますが。)

産婦人科での出産、妊娩台で出産して、新生児は隔離されて、というスタイルは近代のそれもたぶん比較的最近出来たスタイルで、どっか(どうせアメリカ)の物まねだと思うのですが、最近はもう見直されつつありますね。手術室みたいな妊娩室はやめて、新生児もお母さんの横に居るように。

お母さんの先輩が出産をサポートし、みんなで喜びの声を挙げる。それが元々人間がやってきたやり方なんでしょうね。

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