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新たな介護の可能性16 事業理念・コンセプトの検討 その2 ◆事業化の方向性◆

前回は、時代の意識潮流の先端として、高齢者は市場社会から解放されて、「命を守る→地域を守る→社会を守る」という『志』が顕在化している事を、「事業理念・コンセプト」として追求してみました。

その上で、どのような【事業化の方向性】が、求められているのでしょうか?

現代の福祉の問題点を分析する中からその切り口を考えてみたいと思います。

◆福祉問題をどう捉えるべきか<福祉制度の問題点・高齢者福祉の流れ>

「福祉」が語られるようになったのは、いつからでしょうか?

「修正資本主義」とは <ブリタニカ国際大百科事典より>

本来の資本主義経済の無計画性に基づくさまざまな弊害を国家が政策的に是正し,福祉国家目指そうとする思想。資本主義 [1]における弊害としての所得の分配の不平等は,労使の協調と国家の所得再分配政策によって,また失業の増大は完全効用政策によって,恐慌の発生は経済計画によってそれぞれ是正され,克服されるとする。

資本主義体制は社会主義との勢力争いの中、経済格差や失業・貧困を阻止するという目的のためにケインズが修正資本主義を唱えて、現在の世界各国はこの制度を導入している。

[]資本主義 → 経済格差・貧困が増大 → 修正資本主義(国が再分配=福祉)

つまり、市場資本主義では資本・国家側がどんどん儲かってしまい、大衆は貧乏となってしまうので、国家が少し再分配して納得させる手法だ。

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アメリカ合衆国 [3]を盟主とする資本主義 [4]自由主義 [5]陣営(青色系)と、ソビエト連邦 [6]を盟主とする共産主義 [7]社会主義 [8]陣営(赤色系)との対立構造が発生。 共産主義陣営に対抗して、資本主義陣営は、「修正資本主義」を採用して「福祉国家」を目指した。

 

■日本でも、弱者救済、相互扶助の文化を下敷きにして、『福祉政策』がとられた。

高齢者福祉政策は、1970年頃は列島改造ブームで好景気の中、大衆の要求に対して、ばら撒き政策をとった。

・1973年 高齢者医療費の無料化

・1973年 年金物価スライド制

・1982年 老人保健法

・1989年 ゴールドプランの作成(各自治体が高齢者福祉の目標を作成)

その後、人口縮小~低成長時代で、財政の破綻となり縮小を図るが、追いつかない状況に。

・2004年 年金支給を65歳からに

・2008年 後期高齢者医療制度

⇒高齢者問題も、ばら撒き政策として、市場化の事業に置き換えられてしまった。

ではここ40~50年で発生してきた「高齢者問題」の本質は何なのでしょうか?

「介護」「高齢者問題」を改めて考える    

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=298243

高齢者はなぜ「弱者」になったのか?

高齢者は本当に「弱者」なのか?を考えるために、そもそも、「福祉」という観念が出てきたのはなぜかを考えてみる。おそらく、それは市場化とそれに伴う地域共同体の崩壊家庭の崩壊と無縁ではない。近代以降(特に戦後)、急速に市場化が進むが、それに伴って、それまで地域共同体で支えてきた相互扶助関係が失われて行った。

そして、村落共同体を出て都市に住み着いた住民は核家族となるが、核家族はもはや集団とは呼べず、集団が持っていた子育てや高齢者介護といった相互扶助機能は何も持ち合わせていない。

「福祉」という観念は、共同体が崩壊して誰も支えてくれる人(集団)がいなくなったので、本来共同体が持っていた相互扶助機能を代替する必要から、「社会(国家)で相互扶助する」観念として登場してきたものであると考えられる。

そのように考えると、高齢者が「弱者」になった理由は、「福祉」という観念が登場してきたから、つまり、共同体が失われたからだと言えるのではないだろうか。市場社会では、誰も支えてくれる人(集団)がいないから、社会(国家)が「福祉」制度によって、身寄りのない「弱者」を支えなければならない。

★問題の核心は、帰属する「共同体の崩壊」であった。

共同体の崩壊をどうすると考えずに、国家がお金を出して代行するなど、ばら撒きによる目先の対処療法による高齢化福祉政策だった。

だから現状でも政治家の問題意識は、「団塊の世代が高齢者になり高齢者が急増するので、財源的が破綻する」と言う問題意識です。

それは【福祉制度】【高齢医者福祉】は、「お金の問題」としてしか捉えないがゆえに、解決策は行き着くところ「お金」の確保しか考えがありません。本当の問題は、どのような社会を作るかという追求をしてこなかった顛末が現状なのだという認識なのです。

共同体の崩壊 → 相互扶助の喪失 → 国が高齢化福祉(市場化=お金で対応)→ 財政破綻

「どうする?」の答えは、「お金」ではなく、どのような社会を作るかです!           

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=84738

共同体の再生が、高齢者の役割を作り出す

都市部は別にして、市場社会が浸透する前の明治から昭和初期くらいまでは、村落共同体が存在していました。ここでは、生産から性にいたるまで、殆どの生活が成員の役割であったのだと思います。また、村(集団)があってはじめて個の生活が充たされると認識されていました。

多少の私有意識はあったにせよ、村全体が秩序化されていることが、みんなにとって一番大切なことである、という共認は不要な私権欲求を封鎖していました。

そのような、共同体第一の共認があってはじめて、それを維持する上でのさまざまな課題と役割が登場します。効率を要求される力仕事は若者が老人の分まで担い、若者では判断できない組織統合の知恵を老人から授かるという、役割分担が可能になるのです。

まさにみんなが共同体社会の当事者であったわけです。それ以外にも、分裂病の女性は巫女、歌がうまければ田植え歌の係、中高年になっても若者の性(実践)教育の担当など、共同体にいる限りさまざまな役割がありました。

生産効率という単一の評価軸ではなく、共同体を作り上げていくために必要な多様な役割があり、それに見合う分だけ多様な評価軸も存在していたということだと思います。

・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・

そして今、大きな意識潮流としての、本源収束、自分からみんなへ、当事者欠乏の現れ、供給者への転換などは、共認社会への移行を確実に進めています。

ただそれが、大きく転換するためには、それらの意識潮流の加速と同時に、共同体という現実に生きる場の構築が不可欠だと思います。高齢者が本当の意味で役割をもつためにも、新しい意識潮流を固定していく共同体作りが、求められているように思います。

つまり高齢者対策は決してお金の問題では無く、発想としては、歴史的に地域共同体が駆逐されて来た過程を逆回しにするようにして、「共同体の再生」が必要なのです。

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共同体の崩壊 → 相互扶助の喪失 → 国が高齢化福祉(お金で対処)→ 財政破綻   

流れを逆回転させて

役割喪失 ⇒ 共同体での役割創出 ⇒ 共同体の再生  

 期待される役割があり、その活動を行う事で喜んでもらえる。そのような環境が出来れば、寝たきり老人や、痴呆老人もほとんどが元気になります。

現在のように、何の期待や役割も無く、自宅で閉じこもりや、施設に閉じ込められると、機能低下してしまうのです。

しかし、これは高齢者だけでなく、引き籠りや、自分探しなどで活力が出ない若者の原因も同じで、共同体が崩壊して、期待を掛けてもらえる帰属集団がなくなったので迷走してしまうという、社会のあり方の問題なのです。

だから「期待される役割を果たし、喜んでもらえる人々の繋がりのある地域の再生」が必要という課題は、高齢者だけではなく、皆の課題でもあるのです。

そう考えると、定年後の高齢者が市場社会から解放されて、「命を守る→地域を守る→社会を守る」という『志』を持ち始めているということは、高齢者は社会の再構築という課題を、先駆者となって改善を始めてくれるために登場してきた、「救世主」のように思えてきます。

 <まとめ>

■「高齢者問題」とは、高齢者だけの問題ではなく、「共同体の崩壊」が原因で発生した問題であり、集団の中での役割(生きがい)をどう再生するかという、「社会つくり」という全体の課題であることが分かった。

よって、「事業化の方向性」は、下記のように考える。

【事業化の方向性】

◆社会を作る⇒地域を作る という考えから『地域の共同体の再生』を図る

◆高齢者が社会に役立ちたい⇒地域の知り合いの期待に応える事業⇒『地域ネットワークの再生』 を図る

『地域事業として採算成立』

(地域ニーズで子育て支援や高齢者介護など採算に乗りづらい事業を地域ネットワークの活用で採算性を確保)

『高齢者の経験やノウハウの活用』

 

 

 

 

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