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これからの充足のカタチ(12)~期待される充足、役に立つ充足~

2012gold 03 [1]

こんにちは。私は今年で39歳になり、親は69歳を迎えます。ありがたい事に両親ともまだ元気ですが、少し上の世代の周りでは、そろそろ「親の介護」という話題が聞こえるようになってきました。

先日、仕事で社会福祉施設(特別養護老人ホーム)に行って来ました。私自身、社会福祉施設をお伺いするのは今回が初めてだったのですが、たくさんのお年寄りが一堂に会する光景を見て、普段意識していなかった「高齢化社会」を強く感じました。高齢化率(65歳以上の高齢者人口が総人口に占める割合)は2013年で25%となっており、2030年には30%を超えると予想されています。
高齢化グラフ thumb [2]

施設で働くスタッフの方々は皆元気で、介護という枠を超えて、お年寄りの方々に「元気」を与える重要な役割を担っているように感じましたが、団塊の世代が80歳を迎える2025年には、介護分野での人材が100万人~120万人不足すると言われているそうです。介護の現場は精神的・体力的・金銭的にしんどいと言われており、その離職率は20%と、他業種平均と比べて高い数字となっており、このままでは近い将来、介護を受けたくても受けられない「介護難民」が多く発生すると予測されています。

一方で、一般的な定年である60歳以上の世代のうち、なんと84%の方が介護認定無しの、いわゆる「元気な高齢者」であるというデータもあります。ちなみに、定年後80歳まで健康で過ごすと仮定した場合、定年後の自由時間は、なんと定年まで費やした総労働時間より多くなるのです(ちょっと強引ですが…)。

定年までの勤労時間 10時間×5日×50週×38年(23~60歳)=95,000時間
定年後の自由時間  14時間×365日×20年(61~80歳)=102,200時間

このような「介護人材の不足」と「多くの元気高齢者」をマッチングさせ、新たなビジネスを立ち上げた会社があります。

■3000万人のパワーシニアで社会的課題を解決~株式会社 かい援隊本部~

かい援隊本部 [3]
http://www.koureisha-jutaku.com/news2012/news_120415001.html
 より引用

高齢者の雇用で介護分野の人手不足を解消することを目指した、かい援隊本部(東京都品川区)が4月1日、産声をあげた。リタイア後の高齢者などを組織化 し、介護施設に派遣するビジネスを構築。同日、社会起業大学で記者会見を実施。同大学の後押しも得ながら、高齢者の人材派遣事業を社会事業として推進す る。

「高齢化のピークである2025年に介護人材の不足は100万人以上に達する。このままでは人手が足りない分、ますます家族にしわ寄せがいってしまう。家族を介護するために転職や離職を余儀なくされるケースも多くなる」。

そう警鐘をならすのが、同社の新川政信会長。元気な高齢者に働く場を提供し、介護人材不足の解消に役立てる。同時に高齢者生涯雇用のステージ確立を目指す。

60歳以上の世代(約3000万人)を介護施設のサポートスタッフとして派遣。無理なく週3日、で働ける仕組みを作った。高齢者同士だからこそニーズが分かり、コミュニケーションをとりやすいのが利点。サポートする側の健康維持にもつながる。

サポートスタッフの定着とサービスの質の向上に注力し、独自の研修システムを導入。二日間の入社時研修に加え、フォローアップ研修を毎月実施する。年金受給者を社会貢献にいざなう仕組みのため、社会保険料負担が軽減され、通常の約6割の派遣料金が可能。

「私たちの子・孫の世代にこれ以上負担をかけてはならない。これからの社会の主役である彼らのために、介護の負担だけでも取り除く必要がある」(新川会長)。

サポートスタッフは「かい援隊員」として登録。同社と派遣契約を結んだ介護施設で就業する。時給は840円を想定(有資格者はプラス300円)。1日8時間労働で週3日(月13日)勤務が基本。

統計では2007年に120万人だった介護職員数は、2025年には210~250万人必要。同社の調べによれば、「家族の介護・看護を理由に離職・転職する人数」は、2016年からの10年間で約290万人に達する見込み。

「知識・経験・技能・人縁と余っている時間、多少のお金を持つパワーシニアが3000万人近くいる。彼らの力をお借りして社会的課題を解決していきたい」(新川会長)。

介護人材の不足を社会的課題として位置づけている事に共感するとともに、「多少のお金を持つパワーシニア」といった言葉から、単に高齢者に職を紹介するといった視点ではないと感じられます。

■「ありがとう」の言葉で、介護する側も元気に!

実際にかい援隊本部に登録し、社会福祉施設で仕事をしている方のインタビューを紹介します。

インタビュー① 冨沢信行さん (年齢:62歳)

インタビュー①-2 [4]

―――なぜ介護のお仕事をされようと思われたのですか
2011年の東日本大震災後、岩手県の障害者施設でボランティア活動をさせて頂き、それが介護の仕事を本格的にしたいという契機になりました。

―――介護のお仕事を始めてみてやりがいはありますか
利用者さんが、時々私がした介護に対して「ありがとうございます。」と言われます。” 人の役に立っている ” という意識がより強くなりました。

―――何歳まで働いていたいですか
75歳の後期高齢者までは頑張りたいと思います。 そのために健康管理の重要性を再認識しています。

インタビュー② 山口繁子さん (年齢:61歳)

インタビュー②-1 [5]

―――なぜ介護のお仕事をされようと思われたのですか
以前私自身親に対して介護のことがわからず、何もお世話をしてやれなかったという思いがありました。
そういった思いがあったからこそ、他のお年寄りのためにしようと決心しました。
またこれから私の兄弟も含め周りで介護を必要とする人も増えてくると思うので、介護の知識や経験をつけておきたいという気持ちもあります。

―――介護のお仕事初めてみて、やりがいはありますか
入居者さんからの「ありがとう」という言葉が本当に嬉しく、介護に携わっていて良かったと思えています。
普段の生活のなかで感謝の言葉をこれだけ頂ける機会はあまりありませんが、仕事をしているなかでこういった言葉を頂けることが大変有難いです。

―――シニアが「介護をする」ということに関して
私の歳でも全く問題なくやれていますので、シニアの方々でも全然働けると思います。特にシニアの方々はこれまでいろいろな経験をされてきていますので、そういった経験を活用できるのが介護のお仕事だと思います。私自身も体が動くまで働いていたいと思います。5年といわずにあと10年は働きたいです。

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 入居者の方から頂く「ありがとうございます」という言葉に、お二人とも、「喜び」や人の役に立っているという「やりがい」を感じられ、「まだまだ働きたい!」という活力が沸いている様子がわかります。

 「定年後は退職金で自分の好きな事を楽しみたい」といった事を思いながらも、実際に仕事を辞めてみると何をやって良いものかわからず、酷い場合には家に閉じこもりぎみになってしまって病気に・・・なんてことは、決して珍しい話ではありません。

周りからの期待に応える事で充足し、それが活力に繋がるということは共認動物である人類の普遍構造です。「自分の好きな事を」などという事は、個人主義や市場主義が生んだ一時的な幻想にすぎません。70年代の貧困の消滅以降、人々の意識は私権から共認へと転換し続け、3.11東北大震災以降、その変化の加速度は増しています。

介護人材の不足という社会的課題の解決に、高齢者の活力(役割)という視点が加わった事が、かいえん隊本部の活動に注目が集まっている理由だと思います。

■高齢者の役割(高齢者への期待)は身近に溢れている

高齢者の活力(=役割)について、もうひとつ記事を紹介します。

高齢者の役割~育児支援の例~ [6]
>それでも何か特技があれば老後もみんなから頼られます。育児支援であれば保母経験者、老人介護であれば看護師などの医療経験者など。しかし、多くの人は地域の日常生活に密着した特技を持っているわけではありません。物的欠乏を優先し都会に出てきたのだから、育児にしても介護にしても農業にしても新たに勉強し直す必要があります。現に介護ヘルパーの資格講習では高齢者の受講者が多いらしい。しかも、圧倒的に女性が多い。

身近な例で恐縮ですが、高齢者である僕の母親の事例です。

僕の母は60歳を越えた今でも地方自治体公認(東京都E区)のベビーシッターをしています。(ベビーシッターとはいっても、相手の家に行って育児をするわけではなく、相手が赤ちゃんを連れてベビーシッターの自宅に預けに来るという方式です。E区では「保育ママ」と呼んでいます。)

ここで面白いのは、ベビーシッター公認のための条件が「育児経験者でかつ未就学の子供がいない人」以外に大したものがないことです。(育児への熱意があるか等の適正判断のための面接はあるようです)

つまり、純粋に子供が好きな母親がなろうと思ったら、以外と簡単になれるのです。

実際、僕の母はベビーシッターになるときに「私には大した特技もない。でも、男子二人を育てた経験は何にも変えがたい特技。それを生かしてもう一度子育てをしようと思った。」と言っていました。

そして、その結果、今でも元気に子供と戯れています。年齢的に子育ての身体的な疲労がきつくなってきたとは言っていますが「赤ちゃんから元気をもらっているようだ」と上限年齢である65歳までは続けたい意向をもっているようです。

この事例は、僕の母親のみに限ったことではなく、育児経験者である人がその経験を生かした「役割」に就いてそれを全うしているという、ある意味、自然なものです。

僕達は、高齢者の役割であっても「ちゃんとした資格をつくらなければ職として成り立たないor成り立たせてはならない」などと思い込んでいる節はないでしょうか?そもそも、「役割」というものに対して「何らか特殊な技能であるべき」というように思い込んでいる節はないでしょうか?

実はそんな仰々しいものは必要ない場合が多いのではないでしょうか?

長年の経験がそのまま活かせる場は身近なところから見付かるものかもしれません。そして、それを役割として皆が共認していけば、役割・評価という活力源が多くの高齢者に芽生えていくのではないかと思います。

 子育てや教育、あるいは地域コミュニティーの再生等、私たちの周りには多くの課題(=期待)がありますが、それらの課題と役割を皆で共認し、高齢者の長年の経験が活かせる場作り、仕組み作りが求められているのだと思います。また、それは、介護問題が抱える根本的な問題である「地域共同体の崩壊」への解決へも繋がると期待しています。

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