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これからの充足のカタチ(7)~空き家を利用した充足の場「うちの実家」~

これからの充足のカタチを模索している当シリーズですが、前回の「ばぁちゃん家」(リンク [1])に引き続き、今回は「うちの実家」リンク [2])をご紹介します。

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「うちの実家」は40坪の空き家を活用した街角の茶の間。誰もが気軽にお茶飲みしたり、会話したり、ときには泊まることもできる地域に開かれた憩いの場です。高齢者を中心に1日平均20人、年間で延べ4200人もの人が訪れているそうです。

今回はこの「うちの実家」からこれからの充足のカタチを探っていくことにします。

(1)「うちの実家」誕生の経緯

その前身は、住民参加型の在宅介護の助け合い活動「まごころヘルプ」、そして自治会館等で定期的に開催される「地域の茶の間」で、「うちの実家」は平成15年に河田珪子さん(「うちの実家」代表)により開設されました。

平成2年、両親の介護のため故郷の新潟に帰った河田さんは、住民参加型の在宅福祉サービスを利用しながら福祉の仕事を続けようとしましたが、当時の新潟県には住民参加型の在宅福祉サービスがありませんでした。「それなら自分で作るしかない」と県内初の有償在宅介護支援「まごころヘルプ」を立ち上げました。しかし、実際に活動してみると「お年寄りは、一人暮らしはもちろん、家族と住んでいても、誰かとお茶を飲みたい、おしゃべりがしたいと居場所を求めている」ということを痛感します。

平成9年、河田さんは、この願いに応えようと自宅近くの自治会館を借り、月1回、誰もが気軽に参加できる「地域の茶の間」を開設します。次第に評判が広がり、県内約1000箇所で開かれるようになりました。

平成15年、河田さんは「地域の茶の間」に参加する80代女性2人の「このまま帰らないで泊まりたいね」という会話を耳にします。「それなら気兼ねなく泊まれる実家を作りましょう」と、その場で参加者に空き家の情報提供をお願いしました。すろと1ヶ月後に1軒の空き家が見つかり、この空き家を利用した「うちの実家」が開設されることになりました。

(2)「うちの実家」の特徴

「うちの実家」には参加者自身が充足できる様々な場があります。

①「昼の茶の間」

運営時間は平日午前10時~午後3時。参加費300円で、玄関のノートに名前を書き込めば誰でも参加できます。老人福祉施設のようなプログラムもなく、14畳の大広間で読書や裂き織りなど自分の好きな時間が過ごせます。火曜日と金曜日は+300円で昼食が用意されます。20種類以上の野菜を使ったメニューが特徴で、食材の一部は定年後に20アールの畑を借りて野菜作りに励んでいる小山茂さん(65歳)がボランティア活動の一環として無償提供しています。「うちの実家」には冷蔵庫がなく、調理されたものはその日のうちに食べ切りますが、使い切れなかった野菜は袋につめて100~200円で即売。売上げは種代として小山さんに渡されます。

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調理は調理士資格や経験をもつ参加者であるスタッフが一人で行い、多い日は約30人分もの食事を作ります。スタッフはフロア担当8名、食事担当4名の計12名でローテーションし、日当は2300円、交通費は一律400円です。「安いと思われる日当だからこそ、かえって参加者がお客さんにならず、食事の配膳や片付けなど、自主的に動いてくれるんです」と、スタッフの小黒嘉代子さん(73歳)。

②参加者の得技を生かした「新たな茶の間」
開設時から参加している古俣キヨさん(67歳)は、新潟駅近くで夫とマッサージ店を営んでいましたが、現役を引退し「うちの実家」に通うようになりました。そこで河田さんは古俣さんに「いままでの経験を『うちの実家』で生かされてはどうですか」と声をかけました。これがきっかけで毎週金曜日の「マッサージの茶の間」が始まりました。古俣さんは、そこから1割を「うちの実家」に寄付しています。

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③地域に開かれた「夜の茶の間」
「うちの実家」に宿泊できるサービスです、事前予約すれば2000円(食事なし)で宿泊できます。会員制で、名簿に登録されている人のみが利用できます。
「夜の茶の間」が生まれたきっかけは、80代の女性2人の「泊まれる実家がほしい」というつぶやきです。この念願は平成15年のお盆にさっそく実現し、河田さんも含め3人が「うちの実家」で夕食をともにし、床に就いたそうです。「お二人とも故郷のお盆の話や、子供の頃に両親と枕を並べて寝た話など、朝方まで話がつきませんでした」と河田さん。その後も、孤独を感じているお年寄りや心に病をもった人などが、この「夜の茶の間」を利用しています。

(3)「うちの実家」が成功した理由

代表者の河田さんはインタビュー(リンク [3])の中で、その理由をこのように答えています。

まず誰かに手伝ってくださいとか皆が手伝うから一緒にやりましょうとか言わなくても、自然に協力者ができていったのです。人が切望するもの、本当に必要なもので、いろんな人が共感するものであれば、皆が協力してくれると思うんです。協力というより、皆で一緒に楽しくやってるって感じですね。

現在、地域で一番足りなくなっているのは、隣近所同士の絆だと思うんです。今、公的な制度や「まごころヘルプ」のようなインフォーマルな仕組みと組み合わせてもまだ足りなくて、隣近所同士で何かあったときに「ちょっと助けに来て」って言えるような関係性を再構築していく時期に入っているので、「うちの実家」もそれをやり始めているんです。

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何かを始めるときっていうのは、人を放っておけないとか、これは見過ごせないってところに自分の生きがいや存在などを重ね合わせて動き始めるはずですが、活動している間に「こんなにしてあげてるのに何で分かってくれないの」とか、「これはそもそも行政がやるべきだ」って気持ちになることがあると思うんですね。駄目になってしまう活動というのは、自分は一生懸命やってるつもりだけど、いつのまにか最初の原点を忘れてしまっているのではないかなって気がします。

活動が20年間継続しているのは、私自身が一番嬉しいと思うところにいつも軸足を置いてるからかもしれませんね。いろんな人たちと知り合えて仲間もできて、「良いことしたかな」なんて気分にさせてもらえることが一番嬉しいんです。そういうことを忘れないようにしていけば、活動は継続すると思います。

みんなと一緒に作っていくという視点、そして常に中心軸を充足に置いていたことが成功の秘訣なのです。

(4)「うちの実家」に見られる充足のカタチ

現在、全国各地に高齢者を対象とした地域交流の場が存在しますが、「うちの実家」が特に注目を集めているのは、「参加者自身が主役=自分達の場は自分達で作っていく」という参加者の主体性に立脚した場の運営にあります。また、参加者の役割充足や評価充足といった共認充足を生み出す仕組みが、場の中に上手く取り入れられていることも大きな特徴です。

高齢者といえども、自分達の手で場を作り出し、皆の役に立つ、皆に喜ばれる役割を得ることができ、評価をダイレクトに得られることは、大きな充足源になっているのでしょう。私権による充足が衰弱し共認充足が第一の活力源となった現代、高齢者にとっても「お客さん=何かしてもらう」ではもはや充足できず、自らの主体的な活動の中にこれからの充足のカタチが存在するのでしょう。

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改めて考えると、今回紹介した充足のカタチは、昔の村落共同体では、日常に、当たり前のようにあった地域の繋がりや絆、そして地域の人々の間に存在した役割や評価の共認充足です。「これからの充足のカタチ」を作りだしていく上でも、「共同体の再生」はポイントになるのだと思いました。

※現在、新潟市内・県内の各地で「うちの実家」に習った「地域の茶の間」が広がり、うちの実家を訪れる人の受け皿が整いました。「うちの実家」はその役目を終え、今年3月で活動を終了することになっています。(リンク [4]

次回は、高校生がバリバリ活躍する「まごの店」から「これからの充足のカタチ」を見つけていくことにします。

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