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これからの充足のカタチ(3)~シェアする方が充足する♪~

こんにちは 😀

最近、『シェアリング』という言葉をよく聞きませんか?
カーシェアリング、シェアハウス、オフィスシェアリングなどなど。
ずいぶん馴染みのある言葉になってきたように感じます
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また、少し前までは、「自分の部屋 」や「自分のテレビ 」など、
なんでも一人ひとつ「自分のモノ」を持つ方向に進んでいましたが、
最近では、むしろ「一人ひとつはもったいない」「シェア(共有)しよう」という意識が、あちこちで顕在化しています。

今回の記事では、そんな意識の変化を追いつつ、その意識の奥底にある、
私たちが『本当に求めているもの 』について、考えてみたいと想います^^*

続きもよろしくお願いします♪
 

 
 
(1)市場社会の終焉⇒「もったいない」意識の復活

モノがなかった貧困の時代は、モノをたくさん作ることが人々の期待であり、
そこには「もったいない」という意識はありませんでした。

しかし、あらゆるモノが行き渡り、豊かな時代になればどうでしょう?

ここ数年、特に東日本大震災以降、「もったいない」という言葉が蘇ってきました。

より大量の消費を促すためには、もっと短い寿命を設定しなければならない。そしてそれは、壊れなくても、飽きて次の商品が欲しくなるような、『古い=価値がない』という偏った観念とセットになってより効果を発揮する。そこから出てきたのが、大量消費・使い捨てを奨励する現在の社会だ。

しかし、これが環境問題の元凶であることは、誰の目にも明らかだ。そして、貧困が消滅した現在、このような意識を中心的に生起させているのは、『個人主義』と『新しいほど価値がある』という固定観念であり、本能や共認回路が看取する実態的な欠乏ではないのだ。

個人という観念を離れれば、高価なものは、世代を超えた共有に近い意識で捉えることも可能になる。いわば、みんなのための『多世代共有消費』だ。

このような意識のもとでは、みんなのものだから大切にする=『もったいない』という観念も復活する。そうなれば、よいものは、常にメンテナンスを行い、長持ちさせていくという意識も再生し、『よい』=『必要な』物だけが残っていくことになる。結果として、『長く存在したもの≒古いものに価値がある』という観念になる。

『一世代完結消費』から『他世代共有消費』への転換で『もったいない』という言葉は蘇る [1]より)

「個人主義」などの観念に縛られ、環境を破壊し続けてきたのですね。
そのことに気づく人が増えれば、皆が認める「モノの価値」も変わってゆきます。

そして、「もったいない」「もっと役に立てて欲しい」という、本能や共認回路から直結する感覚が蘇り、冒頭で述べた「シェアリング」という手法も生まれてきたのでしょう。

(2)モノはきっかけ。シェアする方が充足する♪

さらに、「シェアリング」というと、その中心の「モノ」に視点がいきがちですが、
シェア(共有)しているのはモノだけではないことに気づきます。

いくつかの事例を通して、紹介します。

<事例1>~衣服の多世代消費

私の会社では、新しい仲間や後輩に、衣服を譲る習慣があります。

仕事着が私服のため、特に女性の新人から「どんな服を着ていったらいいですか」と質問があることもしばしば
また、社会人になりたての頃は、きちんとした服をあまり持っていなかったりするものです。

そこで、兄弟親戚の枠を超えて、会社の仲間たちでも、新しい仲間の歓迎の意味も込めて、衣服を譲りあうのです。
男性では、ネクタイが多いですね。

実際私も、先輩からいただいた服を着て会社に行くと、いろんな先輩から「○○さんの服だね♪」「似合うね~^^」と声をかけられ、みんなに見守られているのを実感しました

日常で着けるものは、目に見えやすく、会話や繋がりも生まれ、新しい仲間が馴染むきっかけにもなっています。

<事例2>~シェアハウス

他人どうしが一つ屋根の下で暮らす、いわゆるシェアハウスで生活している事例も良く聞くようになりました。

たとえば、20代の女性6人で暮らす事例では、町内の運動会や餅つき、お祭りも含めてみんなで参加して、積極的に盛り上げているそうです。
若い世代なら、一人では躊躇してしまうような地域の集まりにも、シェアハウスのみんなで積極的に参加できるのですね。
町内の人たちも、大助かり。若い世代との交流が生まれ、地域が活性化していきます。

また、バラバラの職業や出身地の人が集まっているからこそ、普段出てこない新しい視点が生まれたり、いい刺激になる そうです。

<事例3>~住み開き

藤井千代江さんという方が、自分の住んでいる家の一部を地元の人へ開放し、定期的にお茶やお菓子でも飲みながら交流したり、お話をしたりするようです。ポイントは誰でも勝手に入って良い、ということ。そして近所の人が近所の人を呼び、その近所の人が近所の人を呼ぶ、という連鎖があるということです。また、お互い初対面、という人同士も珍しくなく、最初は会話が弾まないようですが、千代江さんが会話の導入部分を作り、最終的にはみんなが話しすぎていつまでも終わらないこともあるようです。

『住み開き。「リアル」での場の共有も始まっている。』 [2]より)

昔の家には「縁側 」があり、地域との繋がり(会話)が生まれる場所がありました。
しかし、現代の塀に囲まれた家では、地元の人との関わりはなかなか生まれないものです。

ところが、上記の例のように、みんなに開かれた場ができさえすれば、たちまち交流が生まれ、充足が連鎖していきます。

(3)まとめ~共認充足が生命線

これらの事例を通して、皆が心の奥底で求めているものが、明らかになってきました。

「モノ」はきっかけにすぎず、実は、「人と人との繋がり」すなわち『共認充足(共に認めあう充足)』を求めているのですね。

シェアすることで、関わりがもてる=人と人が繋がれる。⇒だから充足する。

「もったいない」だけではなく、シェアする方が充足する
それが、これからの充足のカタチなのでしょう。

また、この考えはモノ以外にも当てはまります。
たとえば、子育てや仕事の悩みなども、一人で抱え込むより、
みんなの課題として共有する方が、答えも見えて充足しますね

「所有することに価値がある」あるいは「自分で答えを出さねば」という考えを取っ払えば、「シェア」できる可能性はどんどん広がってゆきます。
そうやって既存の枠を越えてゆくことが、これからの充足に繋がっていくのでしょう

さて、次回は「これからの充足のカタチ」を子どもたちの中にみてみようと想います。
お楽しみに~♪

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