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これからの充足のカタチ(1)~「市場はもうウンザリ」⇒市場からの脱却が始まった

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今年の8月に消費税増税法案が成立し、現行5%の消費税率は平成26年4月に8%、27年10月には10%にも引き上げられることが決定しました。

そうせざるを得なくなったのは、国の借金がとうとう1000兆円の大台を突破して、もはや返せる当てがなくなったからですが、安倍自民党総裁に至っては「輪転機をぐるぐる回して、無制限にお札を刷れ」と言い出す始末・・・

この経済危機に対して、もはや突破口はどこにもない状況ですが、大騒ぎするマスコミや財界、政界とは距離を置いて、なぜか私たち国民は冷静に事態を受け入れています。

いったい、何が起きているのでしょうか

いつも応援ありがとうございます

内田樹先生が、面白いことを書いています。内田樹の研究室「市場からの撤収」 [1]より。

「国民たちの市場からの撤収」が起きるのではないかと私は予測している。
「もうマーケットはいいよ」というのが現に国民のおおかたの実感である。
額に汗して労働してわずかな貨幣を稼ぎ、その貨幣で税金の乗った高額の商品を買わされるという市場中心の生き方そのものの被収奪感にもう「うんざり」し始めている。
これは健全なリアクションだ。というのは、「労働を貨幣に替える。その貨幣で商品を買う」という行為だけに経済活動が限定されているというのは、人類史的にはかなり最近の出来事だからである。

 
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「こんなのは経済活動ではない」ということに気づき始めた。
「こんなこと」はもう止めて、「本来の経済活動」に戻りたい。そう思い始めている。
私にはその徴候がはっきりと感じられる。
そのような人たちは今静かに「市場からの撤収」を開始している。さまざまな財貨やサービスをすべて商品としてモジュール化し、それを労働で得た貨幣で購入するというゲームの非合理性と「費用対効果の悪さ」にうんざりしてきたのである。

「市場からの撤収」

なかなかうまい表現です。

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もともと人類は、市場に依存することなく、共同体の中で経済活動を行ってきました。
狩猟や採取によって成員の食糧を調達し、そのための道具を創造し、仲間が必要とすることを行うことが経済活動でした。

みんなの期待に応えること
これこそが「本来の経済活動」であり、生きがいでもありました。

ところが、生存基盤であった村落共同体が戦争によって破壊され、「地位やお金」といった私権価値がなければ生きていけない時代になり、「地位やお金」を得るために、誰もがこぞって市場の住民になることを自ら選択していきます。

私権獲得が第一目的となった結果、近現代では市場拡大=GDP成長が絶対命題となり、必要か否かを考えることなく、大量生産大量消費社会を築いてきました。

その結果、地球環境は破壊され、市場経済を維持するために毎年のように発行している赤字国債は、経済破局寸前にまで膨れ上がりました。

しかし、現在、次の時代への転換点を迎えています。

国の借金が1000兆円を超え限界に達したのに加え、’11年の東日本大震災と原発災害という本能の根幹を刺激する事件が起きたのが決定的でした。

「原発で生命を危険に晒してまで、市場経済を維持する必要がどこにあるのか?」「このままの生き方で良いわけがない」「不要なものを作って大量消費するのはもったいない」といった状況認識が(少なくとも潜在思念の次元で)大衆的に共認されたのです。

私権価値に替わる本源価値(期待に応える喜び)を模索し始めた大衆にとっては、市場はもはや何の意味(魅力)もなく、逆に収奪されるだけのものでしかなくなりました。そうである以上、「市場はもうウンザリ」⇒「もう市場から脱却してしまえ」と思うのも当然です。

実際、ご近所の期待に応えることに生涯を捧げる電気屋さんや、所有することよりも共有することに喜びを感じる若者たちなど、現在すでに、いろんなところで新しい生き方の萌芽が見られます。
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(絵本と交換

そこで、今回のシリーズでは、新しい「充足のカタチ」を実践している人たちを、多方面にわたって紹介していきます。

お楽しみに

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