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こんなにすごい!自然治癒力☆+゜~共認充足の濃淡が健康を左右する 「快癒力②」(1)(2)

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これまで2回に渡って、篠原佳年氏の著書「快癒力」から、「病気や健康」の捉え方を根底から変える「心の有り様」を紹介してきました。

 こんなにすごい!自然治癒力☆+゜~病気は自己を成長させるよいチャンス!快癒力①② [2]
 こんなにすごい!自然治癒力☆+゜~病気が治るケースは3つ。「あきらめる」「忘れる」「人のために尽くす」快癒力③④~ [3]

病気を治す=自然治癒力を発揮するポイントは、

病気になったことを肯定視して、自己を成長させるチャンスと捉える。
エネルギーの配分(意識)を自分⇒みんなへと転換する。

でしたね。そして、

「快癒力=共認治癒力」であり、治癒とは「病気という現象(とその意味)を通じて、対象(人や自然)やその背後にある自然の摂理に同化していくこと」なのではないかと思います。

心と体が十全に機能している健康な人と、そうでない人とを分けるものは、どんな対象に同化するか(意識を振り向けるか)、共認機能を真っ当に働かせられるかにかかっていることに気づかされました。

今回は、もう少し日頃の意識(心)の在り方に触れていきたいと思います。

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『快癒力②』篠原佳年著(1)~わくわくすることが無いと病気になる~ [4] より引用

『快癒力』の続編です。日々の過ごし方、生き方そのものについての問いです。これは、結構本質をついている内容だと思います。

わくわくして仕事やいろんな事に取り組んでいる時は、疲れを知らないものです。逆に、これが無く、何となく過ごしていると病気もするものです。これは、誰もが経験してきた内容でしょう。意識の持ちよう一つで自ら病気にもなってしまいます。病気とは、日々の生き方そのものを問うているのだと思います。

■病人が必ず答える5つのパターン

毎日、私のところには、いろいろなタイプの患者さんがやって来ます。特に本を出してからは、私の専門であるリウマチの患者さん以外にも、ガン、糖尿病、高血圧などから精神的な病気まで、前にも増して多くの患者さんがみえるようになりました。

ほとんどの人は私と向かい合うと「先生、この病気は治りますか」「どうすればよくなるでしょうか」などと心細そうに聞いてきます。こういう人ほど、私がいままで本に書いたり、いってきたことに耳をかさないのです。病気や健康、自分の体というものにとらわれすぎていて、ほかの何ものも見えなくなっている。病気から逃れられない典型です。

私はどんな病気の、どんな症状であれ、言うことは次のことです。

「いま、楽しくわくわく感じることをしてみたら、どうですか」

いちばん大切なのは、病気を治そうとか、健康を保とうなどということを、すっかり忘れてしまうことです。そのためには、我を忘れて夢中になることをはじめなさい、といっているわけです。

ところが奇妙なことに、すんなりとこの話を受け入れるのは、健康な人ばかり。私の本を読んでくれるのも、健康な人ばかりなのです。病気の人は、何度説明しても「薬は一日何度飲めばよいですか」「手術はしないと治りませんか」――そういうことにしか興味を示さないのです。

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私はだんだん気がついてきました。病気の人は、自分がやりたいことが浮かばない。わくわくすることが思いつかないのだということです。

そこで、私は患者さんに、こうたずねてみることにしました。

 「治ったら、あなたは何をしたいですか」
その結果、答えは次の5つのパターンしかありませんでした。まず、いちばん多いのが「絶句」です。
 「えっ、先生、何ですか?」

これがいちばん多い。まず、ほとんど、これだと思います。
たしかに、医者からいきなりそんなことを聞かれたら、とまどいはあると思います。しかし、ほとんどの人が『そんなこといわれても、急に自分の病気が治るわけがない』と思っているから、絶句してしまうのでしょう。

病気が治らない人に共通する特徴は、“病気になる・ならないに関係なく、特にやりたいことが無い” “自分の病気を治すことにしか興味がなく、わくわく楽しいことが浮かばない”です。

そして、「やりたいこと」を問われたときの返答は、「何も出えず絶句する」「(義務感でいやいやしている)仕事や家事をする」「特に目的意識の無い旅行やボランティア」などに限定されます。

つまり、これらの人に共通するのは、「日常生活での充足感が薄く、周りからの期待にもっと応えていきたい」という想いが、非常に弱くなっている状態といえます。

逆に言えば、健康な人は、いつも“わくわくすること、我を忘れて夢中になることをしている”。つまり、日頃から周りの期待にひたすら応えることを考え、日常生活で得られる充足感が大きいので、病気にならないのです。

人類が、「相手や周りの期待に応えて充足を得ること」=「共認充足」を、最大の活力源にして、約500万年間かけて自然環境などに適応して進化してきた事実からも、日常の共認充足の濃淡によって、心や体の機能が真っ当に働くかどうか=健康状態が左右されると言えます。

『快癒力②』篠原佳年著(2) ~人の為に命を使う~ [7] より引用

先日、露店で出合った病気になったことがないという70後半のおばあさんのことを思い出しました。
おばあさんは、「自分は学校もろくに出ていないので自分の出来ることは何でもやってあげたいの。今も年金暮らしだけど、神社のトイレ掃除や浮浪者にごはんを作ってあげたり、お話をしてあげたりして、みんなの喜ぶ顔を見たいし、自分にはそのことしかないの。」と..可愛らしい奇麗な目をしたおばあさんでした。

このおばあさんは、本当に人の為だけに命を使うことをされていると感じました。「これからもお互い頑張って生きていきましょうね」と優しい言葉を最後にかけてくださいました。このような人のようになりたいと感じた一瞬でした。

■人生では自分自身にしか出会わない

私は、40歳を過ぎた頃から、いままで述べてきたさまざまなことが身のまわりに起こってきました。さらに、自分の診療所を開業したこともあり、これからの人生を人のために尽くしていこうと思ったのです。

私は難病が専門だったので、若くして死んでいく人もたくさんみてきました。そこで、自分が健康で平均寿命の半分を生きたことが、とても得したように思えた。それで、残ったその命を病気で苦しんでいる人たちのために使えれば、という気持ちになってきたのです。

そう思うようになってから、私の体に不思議なことが起こりました。いままでは疲れやすく、栄養ドリンク剤でも飲まなければ疲れがたまってどうしようもなかった体が、急に丈夫になった。睡眠をあまりとらなくても、またあまり食べなくても平気になってきたのです。

それと同時に、患者さんを健康にするために、自分の懐をかえりみず高価な機器を買ったり、さまざまな治療法のセミナーを受けたり、いままで以上に人のためにお金を使いはじめたら、著書が売れたり、講演の依頼が増えたりで、予想もしなかったお金が入ってくるようになったのです。

自分の人生を、人のために使い、お金も人のために使い、何もかも、使うようになったら、私の人生がますます豊かになった。これは私にとって、とても不思議な体験でした。このことから、私は2つのことを教わったような気がします。

ひとつは、他人とは結局、自分自身にほかならないということです。私は、他人のためにエネルギーを使っているようで、自分自身に使っていたのです。長い人生のうちで、私たちはいろいろな他人と出会います。出会って別れる。この繰り返しが人生だといってもよいでしょう。しかし、見方を変えれば、私たちは常に自分自身としか出会わないのです。

他人とは結局、自分自身にほかならないって、大きな気づきですよね。
「自分(のために)」という枠をとっぱらって、より多くの人たちが喜んでくれることにエネルギー(意識やお金)を使うと、かえってこれまで以上にエネルギーが湧いてくる。つまり、「自分からみんなへ」と意識を転換したら、どんどん活力が出てくるということです。

ですから、心から他人のために尽くそうと思っている人は、病気にかかっても治りやすい。リウマチの女性が、夫が病気になったため看病にあけくれたおかげで、自分の症状が急によくなった、などということもありました。自分のためだけに生きようとする人はエネルギーが減っていきますが、人のために何かをしようという人には、自分自身に無限大のエネルギーが返ってくるのです。

私が教わったもうひとつのこと、それは、私がいままで悩んでいたことへの答えでした。私はリウマチをはじめとする膠原病の専門医として、難病の人たちを多くみているうちに、病気治しとは、結局、自分探しだということに気がつきました。

自分とは何か、人間とは何か。人はなぜ生まれ、病気になり、苦しんで死んでいくのか。私は、その意味を知りたかったのです。そのために私はさまざまなところに行き、さまざまな手段を講じて答えを求めてきました。

その答えは、いま自分が生きている姿そのものだったのです。人間が自然の流れのままに生きようとするとき、その人の本当の姿が出てくる。それが、その人が「なぜ生きているのか」の答えだということです。

たとえば、ある人が「私は何のために生まれてきたのでしょうか」と私にたずねたとします。その人自身には、それがわからない。しかし私にはとても簡単に、その答えを見つけることができます。

それは、いまその人が何をしているのか、どんな境遇にいるのか。どんな顔をして、どんな姿をしているのか。それを見れば、「なぜ生まれてきた」のかは、わかるのです。

多くの人は、なぜいまの自分があるのかという理由を過去に求めます。「昔、あんなことがあったから、こんなに不幸な人間になってしまった」「仕事のストレスがたまって、病気になった」――。しかし、その人が生きている理由は、本当は「いま」にしかありません。

過去にこだわる人は時間を止めてしまっているわけです。時間は流れていくのが、自然の摂理です。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず……」、それが本来の姿なのです。その時間を止めてしまえば、自然の摂理に反するわけですから、バランスを失うのは当然のことです。

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私が、40歳を過ぎて人のために命を使っていこうと思ったときに、すべてが自然のままに流れていったのです。過去も、悩みも、自分自身もどこかに流されていった。そのとき、私の体が自然と一体になり、宇宙のリズムと同調して、体が癒しの方向に向かっていったのです。

ですから、「自分がいま、なぜ生きているのか」の答えは、あなたが、「いま何をするか」ということにしかありません。

生命と時間は使うものです。自分の生命をとことん使おうと決心したとき、そのエネルギーがいきいきとほとばしるように活動をはじめるに違いありません。

篠原さんが決意した“人のために命を使う”こそが、相手と自分の期待を重ね合わせて、それに応えることによって充足を得る共認回路を持つ人類にとって、「自然の摂理に適う生き方」なのでしょう。

そこでは、相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。

実現論 前史ニ.サル時代の同類闘争と共認機能 [9]

ひたすら、周りの期待に応えて共認充足を積み重ねていれば、普段から活力が上昇して病気にかかりにくくなり、たとえ病気にかかっても、自然治癒力が機能して治りが早くなるんですね。

最後に、『快愉力②』から抽出できるポイントをまとめておきます。

😯 「自分=みんな」への認識転換が大切。自分のためだけに生きるとエネルギーが減って心と体が機能不全を起こし(=病気になり)、しかもいつまでも病気に囚われてしまう。

😀 「わくわく楽しいこと」=「みんなの期待に応え、共認充足を積み重ねている」人は、心と体が十全に機能し、病気という逆境さえも肯定視して、それを活かして成長できる。

:nihi: より多くの人たちが充足できるようにエネルギーを使えば使うほど、自分自身もどんどん充足できるようになって、活力や自然治癒力が増していく。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます

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