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『生きる力を育てる教育』~日本語の力(5)大和言葉を壊さずに漢字の便利さを取り込んだ漢字かな混じり文

これまで、日常的に使っている「いただきます」や「行ってきます」「お帰りなさい」「さようなら」の言葉について扱ってきました
当たり前のように使っていた言葉も、相手発で考えていたり、可能性探索思考に向かっていたり、日本人のすばらしさを再認識できました。

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そして、今回は日本語の表記についてです。
普段私たちは何気なしに、「漢字」「カタカナ」「ひらがな」と3種類も使いこなしているのですが、欧米ならアルファベット、中国は漢字と表記する文字は1つがほとんどです。
どうして3種類も使うようになったのでしょう。

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さて、次の句は万葉集の原文です。

春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

平仮名が発明される前は、こんな風に漢字だけで音を表していました。
 

日本語の書き言葉は漢字かな混じり文という表意文字と表音文字を使用する世にも珍しい言語システムになっている。本書では何故漢字かな混じり文になったのか、どういう意義をもっているのかを解説しています。
漢字が入ってきたときに我々は文字を持っていませんでした。日本人はまずどうやって日本語を漢字で表すか考えています。大和言葉の単語の一つ一つに漢字を割り当てていきました。「やま」に山、「うみ」に海、「むら」に村、「ひと」に人、「あし」に足などです。漢字がない場合には和製漢字をつくりました。辻、峠、凪などです。その結果、全ての大和言葉の単語を表す表意文字(漢字+和製漢字)を持つようになりました。地名、人名、木、花、魚など全てが表意文字で表せるようになりました。ここで忘れてならないのは大和言葉が全く変更を受けていないことです。昔からの言葉はなんら変更を受けず、それを書き表す表意文字が出現したのです。日本人が最初に持った文字は表意文字だったのです。

漢字かな混じり文の精神より [1]

「大和言葉」を壊さずに「漢字」の音を当てはめた

かく」縄文式土器を製作する際、柔らかい粘土を先の尖った物で引っ掻いて模様を描くことからわかるように、掻いて表面の土や石を欠くというのが「かく」の本来の意味だそうですが、「書く」、「描く」などと漢字を変えて区別するようになったそうです。

そうして、漢字の音や訓を使って日本語の音を表すようになり、「万葉仮名」が出来たのです。冒頭の
春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山

これは「万葉仮名」によって表されたものです。有名な句なので漢字だけでもすぐわかりますね
これをかな混じり文にすると

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干したり天の香具山

片仮名や平仮名が出来る前は、長文でもこの万葉仮名だけで表していたのです。一音一音当てはまる漢字を書くのに昔の人の苦労が伺えます

「万葉仮名」から「片仮名」「平仮名」ができた

片仮名
9世紀初めに奈良の古宗派の学僧が漢文を和読するため、訓点として万葉仮名を付記したものに始まると考えられており、それらは余白に小さく素早く記す必要があったため、字形の省略・簡化が進みました。「ア」は「阿」の左側部分、「イ」は「伊」の左側部分から出来ているそうです。

平仮名
「あ」は「安」、「い」は「以」に由来するように、万葉仮名として使用されていた漢字の草体化が極まって、ついに元となる漢字の草書体から独立した「平仮名」が作られました。
貴族社会における平仮名は私的な場かあるいは女性によって用いられるものとされ、女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌、消息などには性別を問わず平仮名を用いていたので、そのため女手(おんなで)とも呼ばれました。 

片仮名は漢字の一部から出来ました
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平仮名は漢字の草書体から出来ました
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九世紀末にひらがなとカタカナが発明され、万葉仮名の苦労から日本人は解放されました。かなは音のみを持ち、意味をもちません。従って一つの音をどの漢字で表すか複数の候補者から一つ選ぶ苦労がなくなり、一つの決まったかなを使えばいいようになったのです。ここに意味の或る部分を漢字で表し、音だけを持つ部分をかなで表す漢字かな混じり文と言う日本独自の表記法が成立したことになります。この表記法の特徴は漢字をたくさん使っていますが大和言葉は全く変更を受けていない点です。万葉集では苦労して漢字だけで日本語を表現していましたが今では漢字かな混じり文で表現することで現代の日本人に万葉集が当時の言葉のまま完全理解できるのです。 その後、古今集、伊勢物語、竹取物語、源氏物語、今昔物語、平家物語、徒然草、方丈記、太平記などの多くの 古典文学作品が漢字かな混じり文で書かれます。 人麿、貫之、西行、芭蕉から山頭火までみな同じ大和言葉で詠っているのです。
漢字かな混じり文が成立してから1100年ほどしか立っていませんが1300年以上前に詠われた短歌を漢字かな混じり文で表現することで我々は完璧に理解できます。このことは大和言葉の書き言葉として漢字かな混じり文が完全であることを意味します。日本人は大和言葉を壊さずに漢字の便利さを取り込むという歴史的な離れ業を実現したと言えるでしょう。

引用 漢字かな混じり文の精神より [1]

もし、大和言葉を失くして中国語を使っていたら、「行ってきます」や「お帰りなさい」の言葉は作られていなかったでしょう。
中国から入ってきた漢字に、大和言葉の言霊を壊さず音だけを当てはめ、それ以降も片仮名、平仮名も独自に発展させてきた私たちの先祖がいたからこそ、相手を思う言葉が生まれていたのでしょう。

お ま け 

カタカナが外来語を現すのは、もしかすると、カタカナの成り立ちにあるかもしれません。もともと漢文を和読するために、小さく早く書ける文字が必要で出来ました。漢文という外国から入ってきた文章に使った文字なので、外来語を表すことばに使用するようになったのではないでしょうか。
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また、漢文は公文書に使われていたので、漢文に使ったカタカナが公文書に使われるようになったのかも。大日本帝国憲法も漢字とカタカナで書かれていますね。
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音読みはカタカナ書き、訓読みはひらがな書き
これって小学生のときなかなか覚えられなかったのですが、音読み=中国語から入ってきた読み=カタカナ、訓読み=大和言葉の読み=ひらがな と考えると覚えやすいですね。

さて、次回は日本語の独自性と多様性を両立させる特性の凄さについて、お伝えします。お楽しみに

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