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『安心基盤をつくっていくには?』:「食」への期待《番外編》~「食抑」のすすめ①~

これまで、「食への期待」シリーズ [1]では、主に食材そのものに対する諸問題、それを許している諸制度等を扱い、それらの問題が少なからず庶民が感じ取り、「食」に対する何がしかの不安を増大させていることを押えてきました。そして、その裏返しの意識、つまり「期待」が、「安心」・「安全」を求めて新しい動きが登場していることを紹介しました。最後に、今後の可能性として、市場原理に乗らない共認原理に基づいた「食」のあり方、その基盤となる農村共同体の再生を提示してきました。

「安心基盤」をつくっていくには?の一つの答えが、「農村共同体」にあり、次回は、「食」以外の「基盤」となっていくであろう「健康」にスポットを当てて追究していく予定です。


その前に、市場原理に乗っかり「飽食の時代」となった近代を振り返って、「食」への期待《番外編》として、「食」自体のあり方、意味を問うような認識を紹介しておきます。これは、これまでの概念を覆すような認識かもしれませんが、次回扱う「健康」そのものに直結する重要な認識となることと思います。

「食」への期待・・と言えば、本編でも展開したように、「安心」・「安全」な「食材」を、「美味しく」「調理し」「お腹一杯」「食す」ということが思い浮かぶと想いますが、この内、「お腹一杯」ということがどうやら問題らしいのです。

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るいネットの投稿から
食べなければ死なない① [2]というタイトルの記事を紹介します。
タイトルだけを見ると衝撃的ですが、要は食べる量を減らすことで、人間本来の健康な状態が保たれるということです。食べる量を抑制するという意味で、「食抑」という概念で捉えられます。

その前に・・・
いつも応援 ありがとうございます

以下上記記事からの引用です。

あまり考えなしで決めて、変なタイトルかもしれない。要するに、「食べる量を減らせば病気が治り長生きできる」ということだ。これは逆説でもなんでもない。今日の朝日新聞の夕刊で、「『腹七分目』長寿の極意」という記事が目にとまった。

「糖尿病やがん、死ぬ確率3分の1」とある。摂取カロリーを約3割減らすと、糖尿病やがんといった加齢に関連した病気で死ぬ確率が3分の1になる。このことを、米ウィスコンシン大学チームが発見した。アカゲザルを使った、20年間の研究成果だった。実験は、好きなだけエサを食べさせるグループと、摂取カロリーを3割減らすグループにアカゲザルを半々に分けて行なった。その結果、糖尿病、癌、心血管疾患、脳の萎縮など加齢性の病気で死んだ割合が、カロリー制限なしグループでは有りグループよりも3倍も多かった。
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この記事は、自分的にはすごくタイムリーだった。というのは、昨日立川の書店で、『食べない健康法』(石原結實著、東洋経済新報社)を買っていたからだ。
この本を読んでいると、前述の猿の実験と同様の結果が出ている研究が他にもたくさんあることがわかる。1日1食か2食の小食を続けると、寿命が延び、老化予防になり、ガンのリスクが減り、免疫力が向上し、頭脳が明晰になり、体のだるさがとれ、ストレスに強くなり…といったメリットがもたらされる。
いちばん良いのは1日1食にすることだという。それよりもっと効果があるのが断食だとか。私が十代の頃から親しんでいたヨガでも、小食こそが人間が健康に生きる極意だという。

「食欲がない」という体のサインを見逃してはならない。それは、免疫力を高めて病気を治そうとする本能から来るものだったりするので。癌の患者でも同様だ。人間は食べる量を減らせば、癌にも打ち勝つ免疫力がよみがえる。かなりはっきり言えることのようだ。

石原博士は、長崎大学で学び、白血球の研究で博士号を取った。そしてスイスのスペンナー病院などで世界の自然療法の最前線を学んだ方だ。現代医学と東洋医学の両方のメリットを生かして、本質に近づいているという感じだ。

人間は食べすぎや栄養過多、つまり「飽食」の結果として病気になる。これがほとんどではないか。病気になったらもっと食べなければいけないという、現代医学が教える愚かさ。病気になって食欲が減るのは、自己治癒力(免疫力)を高めるための自然の営みなのに。風邪でもガンでも基本は同じだろう。

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「食べ過ぎが病気の原因になる」ということは、目から鱗の認識でした。確かに、「生活習慣病等」や「メタボリックシンドローム」と言われる言葉が象徴するように、過剰な栄養摂取が病気を引き起こすということは、言えると思います。その意味では、食事を抑制するという「食抑」の必要性は感じます。

しかし、3食をしっかり摂るとこが、健康に暮らす基本として育ってきた現代人が「1日1食」となると、抵抗があると思います。もう少し、「食抑」の根拠をはっきりさせたいと思います。

そのためには、人間が持っている「食」に関する機能に着目する必要があります。人類500万年の歴史の499万年以上、つまり、進化史のほとんどが飢えとの戦いの歴史であったのです。現在の「食」に限らずほとんどの機能がその時代に獲得されたものです。
それ故に、飽食が長く続くことに対する機能は持ち合わせていないのです。糖尿病などがいい例ですね。

一般的に野生生物にとっては飽食よりも飢餓が生存上の大きな問題であり、そのため血糖は上がりすぎることよりも、下がりすぎること(低血糖)を回避することが重要だからである。従って血糖を上昇させるためのホルモンには、グルカゴン、糖質コルチコイド、アドレナリン、成長ホルモン、等複数存在するのに対して、血糖を下げる方向に働くホルモンはインシュリンのみである。

生存外圧(飢餓)の消滅に適応できない意識と身体 [3]より

上記のように、血糖を上昇させる物質はいろいろあるが、下げる物質はインシュリンのみということも、インシュリンは一生涯の内、分泌される量が決まっている、ということも、そのこと自体が、飢えに対する機能と言えます。糖尿病は、生きている間:若い内に、このインシュリンを使い切ってしまうということで、まさに、自然の摂理に反していると言えると思います。

食本能という欠乏は餓え=「食えない」という外圧に基づいて形成されています。自然界で、好きなだけ食べられるということはありえません。現に、一般的な動物は、常に飢えており餌を探しています。始原人類においてはこれよりも過酷な状況でした。

始原人類は、餌をとる事もままならず、恒常的に飢えていました。この「飢えている」という状況を元に、免疫などの諸本能が形成されており、現に免疫機能は、ガン細胞などの異物を「食べて」体外に排出します。
 
このように、自然界は「飢えている」ということを前提にバランスしています。自然の生物が、多量の種子や卵をバラまき、その大部分が食べられ、何億分の一だけが生命を全うするということもバランスの1つでしょう。
 
しかし、現代(とりわけ先進国)では「食えない」ということがありません。むしろ食べ過ぎている状態です。このバランスを崩した状態が様々な病気の第一原因となっているのが、アカゲザルやサハラ砂漠の遊牧民の事例からわかります。極限時代という飢えの時代が長かった人類の歴史から考えてみると、食べすぎによる悪影響は他の動物と比べてとりわけ人類に顕著に現れると思います。

カタカムナに学ぶ ~節約から本能の抑制(食抑)へ~ [4] より

ありがとうございます  ②につづきます。

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