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安心できる社会をつくろう!(1)~これまでの市民運動、これからの市民運動~

みなさん、こんにちは^^*

今日から新しいメンバーと一緒に、新シリーズを始めます
よろしくお願いします

新シリーズのテーマは『安心できる社会をつくろう!』です。
東日本大震災と原発事故のあと、「事実はどうなってるの?」「本当に安全なの?」という情報収束が高まっていますね。

子供たちが安心して暮らせる社会をつくることが大人の役割☆+゜

そのためには、どうすればいい?:roll: をみんなで一緒に考えていきたいと思います

それでは、まずは福島の子供の声を紹介します。
どんな意識でいるのか、想像できますか?

全国に避難している福島の人たちがどんな思いで故郷を離れてきたのか皆さんに分かって貰えるでしょうか?
福島の子供たちがプールに入れず、マスクをして登下校しているこの状況を安全だと言い張る政府に、私はとても疑問を感じます。
今まで法律で決まっていた数値を何十倍に引き上げて、それが安全だと言われても、私には信じられません。
そんなやり方は、私たち中学生の間でも通用しないでしょう。

子供の声と国会議員 [1]より抜粋)

これは中学2年生の手紙です。

同様に、北海道の泊原発の近くに住む中学2年生の言葉も紹介します。

「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと。今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。でも、誰も答えてあげられない。

原発がどんなものか知ってほしい [2]より抜粋)

このように、子供たちですら、原発の危険性に気づいています

また、上記の例だけでなく、たとえ原発から遠い場所に住んでいたとしても、
子供たちはどこかで不安を感じていることでしょう

そんな子供たちの安全を守りたい!とママたちが主体的に動き出した活動も全国的に増えています。

たとえば、

 

放射能から子どもを守る会・高槻 [3]
(講演会・上映会etc.)
「ママは原発いりません」福岡 [4]
(署名活動・デモパレード・医療相談・出版etc.)
NO!放射能「江東こども守る会」 [5]
(講演会・放射能汚染除染会・線量測定会etc.)
つながろう!放射能から避難したママネット@東京 [6]
(講演会・デモパレードetc.)
原発に不安を感じるママの会 [7]
(ポスター展・デモパレードetc.)
[8]
(写真はコチラ [9]からお借りしました。)

このように、いわゆる市民運動と言われる様々な活動が盛んになっています。
子供たちのために、何かしてあげたいっというママたちの気持ちが溢れていますね

そこには、かつてのような、批判と要求だけの活動ではない、新しい可能性がある気がします。

その可能性を明らかにするためにも、過去の市民運動を振り返ってみましょう

続きもよろしくお願いします

過去の市民運動を知る上で、と~っても参考になる記事を紹介します。

過去、’60年安保闘争にせよ、’69年全共闘運動にせよ、大衆の願いは実現された例がない。さらに遡れば、明治維新やフランス革命も同様であって、実現されたのは、金貸し(金融勢力)支配の体制だけであり、それらの革命に身を投じた若者たちは、金貸しに乗せられ踊らされてきただけであった。
つまり、近代の市民運動は、実現された例がない。従って、「市民運動」という言葉は、幻想と断じざるを得ない。
しかも、この幻想を信じた結果、多くの有為の若者が出口のない袋小路に追い詰められ、自滅していった。これは騙し、それも、社会変革のすべての可能性の芽を摘み取る、破滅的な騙しである。

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その後、市民運動は、’70年、貧困の消滅(豊かさの実現)を契機に急速に衰弱していった。つまり、市民運動は、貧困の圧力→私権圧力が強いときにはそれなりに盛り上がり、私権圧力が衰弱するや否や衰退していったわけで、これは、市民運動が私権欠乏をエネルギー源にしていたという証である。
私権欠乏に立脚している限り、どれだけ市民運動を続けても、私権社会が永久に続くだけであって、私権社会から共認社会への転換など、実現するわけがない。

るいネット [11]より)

現在でも、多くの若者が、市民運動に身を投じています。
でも、上記のように市民運動の方向性を間違えると、結局何も実現できず、社会は変わらない無力感だけが残ることになります
そんな活動で終わらせてはいけませんね(><)

あるいは、こうも言える。市民運動の活動家たちは、もっぱら大衆の意識の上昇に期待してきた。逆に云えば、彼らは「大衆の意識」以外に何の実現基盤も持ち合わせていなかった。
しかし大衆は、金貸しが支配する検定教科書とマスコミによって、ほぼ完全に染脳されてしまっており、新たな思想なしに大衆の意識が変革されることなどありえない。

本当に社会変革を実現するには、歴史を遡って、運動の実現基盤を発掘し、実現基盤を備えた新理論を構築しなければならない。彼らは大衆の意識に期待してきたと上に書いたが、実は、彼らが大衆の意識潮流を深く追求した痕跡はどこにも無い。これでは、本当の所は、大衆にさえ何も期待していなかったのだと言わざるを得ない。
同上 [11]より)

大衆の意識も、マスコミ等に握られているとしたら、「大衆の意識が変われば、社会は変わる」という方針だけでは、永久に社会はよくならないということですね :confused:

そしてマスコミ等が拠り所としている考え方は近代思想(自由、平等、個人、人権etc.)です。

これからの市民運動に期待されるのは、近代思想を越えた運動、単に批判や要求にとどまらない活動ではないでしょうか。

たとえば、「事実は何か?」を探索する活動(放射能測定、勉強会etc.)や
それを発信していく活動(上映会やホームページの立ち上げetc.)に、可能性を感じます☆+゜

「事実の追求」「発信」を軸に、活動を続けていくことが大事なのですね。

今回はここまでです。

テーマ「安心できる社会をつくろう!」は全4回シリーズでお送りする予定です
これからみんなで一緒に勉強していきましょう~^^*

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