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2011年09月15日

安心できる社会をつくろう!(2)~これまでの市民運動が殆ど実現しない構造~

   “放射能に脅かされず安心して生活できる社会をつくるために”
福島第一原発事故を期に、全国で多くのお母さん達が立ち上がりました

その活動は、従来のデモや署名活動といった市民運動に加え、これまでに無かった新たな活動も見受けられます。
自ら放射線量を計測したり、医療相談を行い子ども達の発症報告をインターネットを通して世間に発信するといったものです。これまでだったら、役人やマスコミに任せていた事実収集や情報拡散の仕事をお母さんたち自らが担い始めたのは、大きな可能性だと思います

一方で、夏の猛暑の中、デモや署名活動に汗水たらしていたお母さん達がいました。 :blush:
ただ、前回の記事で書いたように、

>市民運動の方向性を間違えると、結局何も実現できず、社会は変わらない無力感だけが残ることになります。

 まずはこうした切実な想い、可能性の芽を摘み取らないためにも、
こうした“批判や要求の市民運動”が殆ど実現しない理由、その「騙しの構造」を、ここでしっかり押さえましょう 😀

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通常、こうした市民運動の矛先は、国会になります。
それは、日本は民主主義国家だからです。:roll:

国の政治は選挙により選らばれた国民の代表、国会議員の役割です。
憲法で、国会は「国権の最高機関」、「国の唯一の立法機関」として定められ、
いわば“国のルール作りをする場”が国会です。

なので、批判・要求の矛先は 当然、国会=議会となります。 8)

        ただ、この 「最高機関」 というのが、嘘だとしたらどうでしょう!?

実は、ここに“騙しの構造”があります。

(リンク) 『現実に、社会を動かしてきた中核勢力とは?』

では、これら中核勢力はどのようにして社会を動かしてきたのか、その支配構造を古代と近代のそれぞれについて少し具体的に見てみよう。

古代初期、王国が誕生した段階では、武装勢力を率いてきた部族長が王となり、将たちが貴族となって、国を治めていた。
ただし、もともと部族長は、祭祀を司る長でもあったが、王国が誕生する前後に、祭事は神官(→教団)に委ねられていく。次に、国の規模が大きくなるにつれて、政治も官僚に委ねられてゆく。
そして、教団勢力が大衆の共認支配を担い、官僚勢力が大衆の法制支配を担うことによって、現実に社会を動かすと共に、その権力をどんどん拡大してゆく。
その結果、王は、形の上では最高権力者だが、それは表向きだけで、実権は官僚や僧侶が握って好きなように社会を動かすようになり、王は彼らが進める彼らに都合のよい施策に、お墨付きを与えるだけの存在にまで形骸化する。要するに、名前だけのお飾りである(日本の天皇がその典型)。

それに対して、市場社会では、金貸しが、官僚を支配し、教団に変わって登場した学者とマスコミを支配し、そして官僚機構が大衆を法制支配し、教宣機関(大学・マスコミ)が大衆を共認支配している。こうして見ると、古代と近代では、社会統合と大衆支配の仕組みは、基本的にはまったく同じであり、ただ統合力=制覇力が、武力から資力に変わっただけである。

では、学者やマスコミが近代民主社会の象徴or要として称揚して止まない議会というものは、社会統合の仕組み上、どこに位置しているのか?
二つの時代の統合=支配の仕組みを図解化してみれば分かるが、驚くべきことに、議会は王侯・貴族と、まったく同じ位置にくる。
しかし、改めて考えてみれば、近代でも実権は官僚機構と教宣機関が握っており、議会は、王と同じく、名前だけのお飾りになっていることは周知の事実である。

ただし、市場社会では、本当の権力は金融勢力が握っている。金融勢力が官僚と学者とマスコミを支配し、彼らを通じて大衆を近代思想に染脳した上で、その大衆に選ばせたものが議員である。当然、左も右も金貸しの操り人形である。
したがって、議会とは、金貸しの操り人形たちの演舞場に過ぎない。
したがって、民主主義の建前上「国権の最高機関」たる議会の役割は、当然のことながら、金融勢力の暴走行為にお墨付きを与えることだけとなる。
事実、議会は中央銀行制度をはじめ、第一次・第二次大戦、バブル経済etcすべての主要な局面で、金融勢力の暴走にお墨付きを与えてきただけであった。

とすれば、いったい民主主義とは何だったのか?

つまり、「最高機関」であるはずの議会は、「お飾り」だったのです。

(図解)社会統合の仕組みを2つの時代で比較
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どうでしょうか!?

「国会が最高権力だから」と、訴えようとしているのに、
実はその議会は、支配者たちによる操り人形(議員)たちの演舞場にすぎなかったのです。

しかも、「自分たちが選挙で選んだ」と、思っていたのに、
実は選出される議員は、官僚とマスコミによって染脳された我々が “選ばされたもの”だったのです。

つまり、「染脳された大衆が操り人形を選び、その人形たちが議場という舞台で演じる」という構図です。

これが、“近代民主社会の象徴・要である議会”の正体です!
議員は大衆のために動いていると思ったら大間違い。
市場主義社会の支配者(金融勢力)のために動いているのです。

ということで、デモや署名活動で議会に訴えるのは、
可能性が全くないわけではないが、かなり薄いと言えます。

「とすれば、民主主義って一体なんだったのか?」

今回はここまでです。第3回も期待してください        

オマケ。 
民主主義のおかしさが分かる紙芝居です。
(リンク)『僕らは主権者』
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投稿者 pochi : 2011年09月15日 List   

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