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勉強だけができる子にしたくない!【8】:社会における有能・無能とは

勉強しかできない子にしたくない!シリーズも早くも9回目です。これまで、試験エリートがいかに無能かということを明らかにしてきました。これまでの内容はこちら。

【0】:プロローグ~試験制度は子供達を無能にする [1]

【1】:こんなにも進んでいる試験エリートの無能化 [2]

【2】:地震を契機に人々の意識はどう変わるか? [3]

【3】:学者がウソをつく~自分のための学問では役に立たない [4]

【4】:特権階級の自家中毒~その原因は仲間からの評価非充足か! [5]

【5】:旧観念への固執による、みんなとの意識のズレ [6]

【6】:民主主義は人々の自我を肥大化させ、無能化するために仕組まれた [7]

【7】:中間まとめ(試験エリートの無能が明らかに・・・そして人々の意識は・・・) [8]

そこで今回は、いよいよ「有能とは何か」ということを追求してきたいと思います。

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写真はコチラ [9]からお借りしました。

ところで、「学者」と聞くと、これまでの記事を読んできた皆さんは「試験エリート=無能」を連想しますね。しかし、東大を卒業して官僚になるようなトップクラスの学力の持ち主を“無能”と言うなら、一体どんな人が“有能”なのか?・・・と疑問に思われる方も多いのではないかと思います。でもそんな学者の中にも、みんなからとても慕われ、感謝されている人もいるのです。ここでは、そんな2人の学者を紹介し、本当の意味での“有能”とは何なのか?について考えてみたいと思います。

■木村真三

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左が木村氏。

写真はこちら [10]からお借りしました。

彼は、元放射線医学総合研究所の研究員です。福島原発事故発生後、木村氏は自らの職能を役立てるため、真っ先に福島に向かおうとしたが、彼の所属する独立行政法人は木村氏に「計測をしに行かない様に」指示しました。そこで木村氏は辞表を提出。独自調査のため、爆発直後の3/15日、福島に調査に向かいました。

現地に乗り込んだ木村氏は、職と命を賭け、渾身の現地踏査研究を行い、汚染地図の作成を行っています。その測定結果は、現地の住民達にとっては厳しい現実をつきつけることになりますが、木村氏に向けて出てくる言葉は感謝の言葉ばかりだそうです。

放射能に汚染された地域の人たちが抱いている日常的な疑問に、わかりやすい言葉で答える姿勢が住民に安心感を与えているようです。

また、徹底しているのは、調査はもちろん、説明会などの際にも謝礼を一切受け取らないことです。自宅のある都内からの移動費も自腹だそうです。職をなげうっておきながら、完全なボランティアとして活動しています。

【参考文献】

原発業界御用学者リスト @ ウィキ – 木村真三 [11]

現代ビジネス 福島の「放射能汚染」を調べ続ける科学者・木村真三氏が本誌に登場
「この驚くべき調査結果を見よ!」

■西條剛央

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右手前が西條氏

写真はこちら [12]よりお借りしました。

彼は、早稲田大学大学院MBA講師です。仙台市出身の彼は、被災地を訪れた際に壊滅的な状況を目の当たりにし、そしてそんな被災地に物資が十分に行き渡っていないという現状を知り、後方からの物資支援システムを数日にして作り上げ、「ふんばろう東日本支援プロジェクト [13]」というプロジェクトを立ち上げ、現在は1000人を超える参加者とともに次々と新しい支援を行っています。

ふんばろう東日本支援プロジェクトでは、被災者から、インターネットや電話で必要としている物資のヒアリングを行います。そして、インターネットを使い、全国に支援を募集します。そして支援者は、宅配便やインターネット購入サイトを通じて、物資を必要としている人に、必要なものを、必要な分だけ送るという仕組みです。この仕組みができあがる前は、被災地では大きな避難所には物資が過剰に集まり、配布しきれずに廃棄しているほどだったのに対し、小さな避難所や個人避難宅は物資が不足し、賞味期限切れの食糧を食べている状況でした。行政によるトップダウン式の支援では限界があることを痛感し、この仕組みを構築しました。

西條氏は、構造構成主義を専門としています。これは、「方法」は「状況」や「目的」に応じて柔軟に形を変えていくべきだ、という理論です。西條氏は、今回の「物資不足」という状況と「被災者支援」という目的に対して、従来の「行政からの支援」に頼らない、新しい支援の「方法」を構築したのです。

【参考文献】

ふんばろう東日本支援プロジェクト [13]

ほぼ日刊イトイ新聞 – 西條剛央さんの、すんごいアイディア。 [14]

学者というと、それぞれの専門の世界の追求を行っているというイメージがあり、だからこそ、「何をやっているのか分からない」というイメージを抱いてしまいがちです。しかし上記の2名は、この震災を機に、「みんなのためにどうすれば役に立てるか」という意識でそれぞれがこれまで追求してきた学問を存分に活かしているし、引き続き新たな追求を行っています。

ここで、参考になるるいネット投稿があるので、紹介したいと思います。

社会における有能・無能とは [15]

>エリートが使いものにならない(自分だけエリート!?~それでは日本社会は持たない・・・~ [16]

エリート(高学歴者、官僚etc)批判は様々なところで耳にする。使い物にならない、すなわち「無能」であるという少々過激な表現まで飛び出しているようだ。実態としてこういう声が噴出しているということは、それだけ多くの人がそれを実感しているのだと思われる。

とはいえ、エリート層を対象にして「無能」呼ばわりできる人が世の中にどの程度いるだろうか?少なくとも、「勉強」に代表される何らかの点で高い能力を有しているはずだし、実際何でも器用にこなす人間もいる。
そして何より、一般的に「エリート=能力の高い人」というイメージが形成されているのも事実だろう。

ただし、これは「個人の能力」という観点で有能・無能を分けているから生じる発想だと気付いた。先日、ある経営者がこのようなことを仰っていた。

『自分のことしか考えていないのが無能
 みんなのことを考えて追求するのが有能』

言われてみればそうだ。社会すなわち「みんな」の目線から見れば、例え何かを遂行する能力が高くても、それがみんなにとって役に立つものでなければ無能。むしろ、自分の欲求ばかり満たそうとするから周りにとっては有害だろう。

有能と無能を分かつもの、それは『周りのことを考えているか、自分のことしか考えていないか』である。

『自分のことしか考えていないのが無能
 みんなのことを考えて追求するのが有能』

こんな単純なことだったのですね。

では、みんなのことを考えられるようになるには、どうやって子供を育て、教育していけばよいのでしょうか?受験勉強では、どうしても自らの合格が目的意識になっていまい、自分のことしか考えられない大人に育ってしまいそうです。

そこで最近注目を集めているのが「学び合い」という方法です。これは、これまでの先生が生徒に対して一方的に答えを教える集団一斉授業スタイルではなく、生徒が数人のグループで協力し合いながら答えを出していく授業スタイルです。これにより、生徒たちは、自ら答えを導き出す力、助け合いの精神、そして協働作業による活力が醸成されます。まさに「みんなのことを考えて追求する力」を養う授業スタイルだと言えるのではないでしょうか

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学び合いの様子

写真はこちら [17]からお借りしました。

様々な事例があるので、紹介させて頂きます。

学び合い塾「FREED」 [18]

学び合い=教え合いの授業をが大切だ! [19]

『学び合い』教室紹介 [20]

子供に思考させる「学び合い」という新たな授業形態 [21]

このように、みんなのことを考えて追求する力は、社会に出てから様々なところで活かせるでしょう。実際、企業として「社会の役に立とう、社員に活力を持って働いてもらおう」という取り組みを行っている会社もあり、そのような会社では、実際にすばらしい業績を上げているようです。

【元気な会社】シリーズ ~会社は誰のもの?を改めて考えさせてくれる会社~ [22]

すぐにでも真似したい共同体企業の取組み~若手編(仕事の充足ポイント)~ [23]

すぐにでも真似したい共同体企業の取組み3~中堅編~ [24]

さて、有能とは何か、を明らかにしたところで、次回以降は、より深く今後求められる教育を追求していくために、この間の意識潮流の変化を分析していきたいと思います。

では、さようなら。

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