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社会を変える『トモダチづくり』(1)~社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力~

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みなさん、こんにちは

昨年からの新たな動き として、若者世代の仲間関係、集団作りの変化 があげられます。それは若者世代(特に学生)を中心とした、誰もが収束できる課題の探索(=課題収束)の潮流からきています。

市場社会は私権(お金、身分)獲得が活力源 :tikara: でしたが、バブル崩壊によって私権拡大の可能性が消滅し、もはや私権へと収束しきれなくなります 次第に意識の心底には向かうべき目標の喪失感(=収束不全)が蓄積され、人類の秩序は人々が認め合うこと=共認によって形成されるので共認収束へと向かいます。

学生は身近な仲間との共認充足 を高めることを追求すると共に、社会に出てからも役立つこと を求めて大学(授業)以外の場や集団を探して入っていきます。しかし学生が求めている意識(共認)と、既存の場・集団(私権)がずれているため常に違和感 を生み出し続けます。

そこで自らの意識(共認)に合った課題を求めることになります。(=課題収束)しかも、その課題は誰もが収束できるものでなければ、人が集まらないし、何より充足出来ないからやる意味を見出せなくなります。現状の学生は、なにか意味のありそうな課題のある場に参加しながら、新たな仲間(集団)作りを模索し始めているのです。

この若者の新たな仲間(集団)作りに、今後の社会を変えていく可能性 があるのか?

今回のシリーズでは、これまでの意識潮流の変化を参考投稿で振り返りながら追求していきます。

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社会収束1 評価共認が生み出す同類圧力 [2]

周り(or人々)の期待に応えようとする共認欠乏は、周り(or人々)の評価共認を媒介にして必然的に評価欠乏に収束する。
従って、集団であれ社会であれ、共認空間は常にその最先端に評価欠乏→評価闘争を生起させると共に、評価共認によって統合される。(評価共認こそ、共認空間の統合原理である。)
また、人々の期待(=欠乏)に応える物は、生産物であれ、創作物であれ、人物であれ、全て評価闘争(あるいは集客競争)の圧力に晒され、人々の評価共認によって淘汰されることになる。
これが、生存圧力⇒縄張り闘争を超えても、評価競争→同類圧力が生起し続ける理由である。

①しかし、社会空間は常に評価共認⇔評価競争の圧力で満たされ(その評価圧力によって人も、行為も、生産物も、全てが常に淘汰され)るだけではない。その評価共認によって規範や制度や観念の共認圧力(注:これを固定圧力と呼ぶ)にも満たされる。

②この様な共認圧力(評価圧力や固定圧力)で満たされた社会空間の中では、個人や集団の思考や行動は、その共認圧力(注:これを社会圧力と呼ぶ)によって強く規制される。
従って、人々の外識機能は、必然的に個人や集団を超えた社会圧力の把握へと先端収束する。換言すれば、人々の外識機能は個人や集団を超えた最先端の状況認識へと収束する。

③この認識基調(社会収束)の下では、原基共認(期待に応える充足)の対象が個人や集団を超えた、より広い対象(より多くの人や場)に向かうのは必然である。これが今、メル友やサークルや海外旅行etc、人々を何よりも『人』に向かわせている、つながり(拡がり)欠乏の正体である。

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人類の共認欠乏⇒人々の期待に応えようとするものは全て人々の評価競争に晒され、評価共認によって同類圧力が生み出されていきます。

社会空間はこの人々の評価共認の圧力⇒共認圧力によって満たされ、個人や集団の思考や行動が強く規制されています。またこの同類圧力が個人や集団を超えた社会収束への原動力となっているのです。

つまり『評価共認→同類圧力⇒社会収束』の流れが、
人々が社会へと意識を向けていき、社会を変えていく可能性となります。

次回は評価共認によって生み出された同類圧力によって、
どのように人々が社会へと意識を向けていくのか?(=社会収束)について考えていきます。

最後まで読んで頂いてありがとうございます☆

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