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勉強だけができる子にしたくない!【2】:地震を契機に人々の意識はどう変わるか?

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誰がこんなことを!?画像はこちら [1]から
 
勉強だけができる子にしたくない!シリーズの3回目です。
 
これまでは、
 
勉強だけができる子にしたくない!【0】:プロローグ~試験制度は子供達を無能にする [2]
勉強だけができる子にしたくない!【1】:こんなにも進んでいる試験エリートの無能化

で、前回は「官僚の無能さ」に焦点を当てました。今回は、彼ら官僚を大量に輩出する「東大」について考えてみようと思います。

そこで、3.11東北大震災によって人々の意識がどう変わるかという記事をご紹介します。ここでは、エリートである高学歴(特に東大出身!!)の特権階級の人たちの無能ぶりが綴られています。

地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【1】:原発問題の本質は特権階級の無能と暴走 [3]

地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【2】次々と明るみに出る特権階級の無能・暴走ぶり [4]

地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【3】:試験エリートの無能とえげつなさ [5]

こちら(地震・原発を契機に人々の意識はどう変わるか?【3】:試験エリートの無能とえげつなさ [5])で紹介されているように原子力関係者の重要ポストは東大出身者でひしめき合っています。東電の社長も現在は慶大出身ですがこの方以前は実に47年間に亘って東大卒が努めました。

東大に入って原子力を学び国費や電力会社、原子力学会にお金を出してもらって留学して、官僚や関係機関の要職を得る。こうして現在の原子力関係者が養成され原子力村となってきたのです。

そもそも東大は明治の初めから官僚養成期間でした。

東大とはここに入る為に徹底して機械的な理解・暗記に邁進した者が集う大学であり、彼らは入学した時点で実は最も無能な(現実の課題に答えの出せない)人々かもしれません。にも拘らず試験に合格しさえすれば最高の学歴が手に入るのです。無能なのに最高の学歴って、そりゃ変でしょう

東大と言う大学は、

①元々試験勉強だけが異常に得意で現実の課題にはまったく興味のない無能な人々をかき集め
②その後大学でもその無能さを特に改善することも無く
③卒業後には官僚や関連事業の要職を任される

 
を行う、学問や人間性などより、官僚、御用学者として徹底的に人間を無能化する機関である、ということなのです。官僚、御用学者にはむしろ無能な方が望ましい、ということを徹底的に行ったのが東京大学なのです。

普通の人々は「東大」というだけで「優秀な人」と見てしまうでしょう。しかし、それは国(≒官僚)による「ダマシ」であり、実態は、東大になど入ろうものならこうした役に立たない無能者になってしまうのです。

 
一般の人々は、自分の子どもたちが東大を目指すと言えば当然歓迎し応援するでしょう。寸暇を惜しんで受験勉強に邁進するとなれば、素直にこれを応援したいとも思うでしょう。そして、無事東大に入学した暁には卒業後のバラ色の未来を夢見て大いに期待もすることでしょう。
 
しかし、その結果冒頭紹介した原子力関係者のようになるのだとしたら、本当に喜んで応援できるでしょうか?
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この方も東大卒 画像はコチラ [6]から
 
こうした人々はほんの一部の人々で東大の他の人はやはり優秀なのだと思う人もいるでしょう。東大関係者は確かに多少変人だが将来が安泰なら良いじゃないか?とも思う方もいるでしょう。
 
このように今回の地震における現実の無能ぶりを見てもまだ「東大」を優秀と崇拝するのであれば、その気持ち、考えこそが学歴社会を生み出す意識の根源です。
 
学歴社会、学歴偏重主義とは、何も学校に優劣(といってもたかが入試の難しさだけですが)があるだけで生じるものではありません。入学するのが難しい上位大学を何のかんのと理屈をつけては崇拝し、そこに入れさえすれば人生の全てが安泰であるかのように思う人々の意識があってこそ成立するのです。
 
この様に仕向けたのも、上位大学(特に東大)の卒業生である官僚や学者、大企業の経営者達なのです。特に官僚は、表向きは学歴社会の是正などに言及しますが、実際には東大も京大も手厚く温存させています。そして相変わらず同じ大学出身者で省内に村社会を作り、結局省内人事などに暇を費やすだけで、人々にとって何が必要かを追求するより先に自らの地位にばかり関心が行く始末です。
 
日本の中枢にはかれら東大卒業生が実に大量に存在しています。国家上級公務員(キャリア)のうちどれだけ東大卒がいるかというと…
 
財務省の課長以上 東大62人(83%)、経済産業省の課長以上 東大97(81%)、を占めています。東大がスタンダードな世界 キャリア官僚&渉外弁護士 [7]
 
更に官僚のトップ=事務次官の現職17人の内12人が東大卒です。
 
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引用元wikipedia [8] 
 
これだけ東大に占められると他の大学の出身者は殆ど居なくなります。旧帝大は7つありますが、上記の通り帝大と言えども他の大学の勢力は東大の1/10です。東大だけが異常に多いのですが、こうした役職や役所に東大卒業生ばかりが占めるというのはどうなんでしょう?もう少し他の大学を出た人々も居た方が良い、と思いませんか?
 
何故こうなるのでしょうか?
  
本当は無能な彼らは、無能であるがゆえに実は何の力も無く、にも拘らず自分達のテリトリーを温存するためには出身大学の優位性を利用するしか無い、からです。彼らは、出身である東大が優秀であるからこそ自らも優秀であると誇れるのです。彼らの優秀さは単に東大(に入学若しくは卒業したこと)によって保証されているだけなのです。
 
改めて考えれば、学歴を得るのに必要なことは、入試問題への適応性と、その適応性を磨く時間を稼ぐ為の、その他雑事への無関心だけです。しかし、この試験への適正と他の事への無関心さは、今後の世の中に必要とされる「答えを出す能力」には決定的な致命傷となります。試験勉強しか出来ない人間に新しい社会を作ることは到底無理ですし、何に対しても興味関心を寄せ僅かなことにも洞察を試みる探究心や同化能力なくしては、到底答えなど出せないのです。
 
今回の原発事故とその拡大は、彼ら(東大出身の)無能者に任せた結果です。更にいえば東大出の官僚や学者が推進してきた原発の導入こそが無能者による国民への詐欺行為だったのです。 
 
この構造のままでは世の中何も変わりません。この学歴偏重の無能官僚、無能学者を追放することは、今や新しい社会作りの最重要事項であると思います。そして、その役を担っていくのが、普通の人々=勉強だけでなく人の気持ちや痛みが分かり、世の中の必要なことに素直に目を向けることの出来る人々だと思います。
 
勉強だけが出来る子(他には何も出来ない子)、の具体例が東大卒業生たちです。

 
最後にもう一つだけ。彼らは自らの無能さに気付くことが出来ません。何故なら東大を卒業した自分が無能であるはずが無いと他ならぬ自分自身が考えているからです。自らの無能さに気付けない人は、自らの過ちにも気付けず、間違ったまま暴走します。これも、今回の震災における東大卒業生達の極めて特異な特徴でしょう。
 
東大卒が多くなった中央官庁や大企業はこのままでは没落が待っている [9]より引用して終わりにします。
 

東大卒が多くなった職場は、国会議員も霞ヶ関も、トヨタや朝日新聞のように没落が待っている。学歴だけで現代社会で活躍できる時代は終わった。むしろ叩き上げでも実力があれば会社の幹部に登用出来る様にしないと、大企業病は蔓延していくだろう。

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