- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

【男の居場所はどこにある】~男女同権論はペテンである~

%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%90%8C%E6%A8%A9.jpg

前回は、「個人」や「自由」、「恋愛」といった観念が近代以降の人々の頭の中を支配し、現代の性権力支配の社会状況を作り出してきたことをみました。

男女同権」という言葉を使う人はいまやほとんど居なくなってきていると思いますが、「男女共同参画社会」という言葉がその代わりの位置を占め、ほとんどの人が知らない間に膨大な予算が注ぎ込まれるようになっているようです。

今回は、そのような状況に至った背景を振り返ってみた上で、これからどのような方向に人々の意識が向かい始めているのかを考えてみたいと思います。

続きはポチットしてからお願いします。
       
 

まず、「男女共同参画」政策の一端を見てみましょう。るいネット記事 [1]から引用します。

毎日新聞の記事によると、昨年度の中学生教科書検定で、行きすぎた性差否定や性教育が批判を浴び、全社の教科書から記述が消えた「ジェンダーフリー」は、多くの出版社が本年度の申請段階で記述を見送った。
 
 そのため、最近はジェンダーフリー(社会的・文化的な性差の解消を表す和製英語。80~90年代に男女共同参画政策を推進する標語として使われた。)という言葉を使わずに「男女共同参画」と言い換えているが、今現在この男女共同参画のもとに多くの国の予算が使われている。男女共同参画センターや女性センターと呼ばれる施設は都道府県各自治体が自主的に設置している女性のための総合施設である。内閣府男女共同参画局によれば、その数は都道府県が運営するものが40、市町村では小さいものも含めると260もある。これらは、1999年に「男女共同企画社会基本法」が成立したのと前後して、莫大な予算が投入されるようになった。平成17年度の予算は約10.6兆円である(防衛費が約4.8兆円であることからかなり突出している)。財政難が問題になるなか、とても信じられない乱立ぶりである。

ほとんどの国民が気がつかないうちに、10兆円以上の国家予算が使われているようです。
女性センターという施設があちこちの自治体にできていますが、何のために、誰が使っているのかよく分からないというのがほとんどの人の感覚ではないでしょうか。(というか、そもそも気がつかない!) 8)
なんでこうなったかというと、この記事にもあるように、性差を解消しようとすることを目的とした運動(女性権拡大運動⇒男女同権論⇒ジェンダーフリー)と思想がその背景にあるのは間違いありません。

しかし、このような感覚は既に旧くなっていますね。なにしろ、女性の権利は既に充分に拡大してしまっている。
だから現代の若者たちの率直な実感として、次のような意識が出てくるのだと思います。(リンク [2]より引用)

職場での男女同権を叫んでる人たちをみると、いつもなんか違和感というか、ひっかかかる思いがありました。

それがなぜだか最近分かりました。

会社という組織は、主に2つの課題があります。
一つは外敵闘争課題。
勝っていくためには、あらゆる状況判断を分析して方針を立てる必要がある。そして、その方針に則って先頭にたってみんなを導くという課題がある。
もう一つは社内統合課題。
社内の調和を図り、結束力を高め、みんなの活力を上げていくという課題がある。
この両方の課題が上手くいって、初めて会社という組織は上手く回ります。

前者の課題は闘争存在である男が、後者は充足存在である女(周りとの調和を図るのが得意etc)が担うほうが基本的には上手くいきます。
それは、男(雄)は「闘争性」を、女(雌)は「充足性」を高めることによって人類は進化してきたから。(脳には、40億年に及ぶDNAの塗り重ね、さらにはこのDNA(本能機能)を下敷きとして塗り重ねられたサル以来6000万年に及ぶ雌雄役割規範(不文律)が刻印されています。)

つまり、仕事においても男女共にそれぞれ担える課題があるし、互いに必要な存在なのです。そして、男の人も実は「女なんていらない」なんて思っていないということ。逆に必要な存在だと思っていてくれている。
それに気づいたら、本当は女の人が担える課題なんて、実はいくらでもある!
そのことには目を向けずに「虐げられてる」って声高々に叫ぶのはやっぱりおかしい。

2009年版男女共同参画白書によると、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に20代女性の4割近くが賛意を示し、30~50代より多いという調査結果があるようです。
白書では、仕事と子育ての両立がいまだに難しいと感じられていることが若い女性の意識に影響を与えているという分析をしていますが、どうでしょうか?

第二次大戦後欧米から移入された個人主義、ウーマンリブ、男女同権論などの思想に染め上げられたのが今の60代の世代。50代~30代あたりまでの世代もその影響を受けてきたのだと思います。
しかし、若い世代になるほど、母親達の生き方から脱して、元々日本女性が持っていた「応望性」に向かいはじめていると見た方がぴったりくると思います。 🙂

ただし、現代の家庭は核家族の閉鎖的な空間しかないので、そのままでは女性たちが充足を得ることはできないと思います。
どのような社会システムをつくればよいのか、ここは女性たちの意識・反応を羅針盤に、男たちが必死になって考えて実現していかなければならない課題だと思います。(けっこう、楽しい課題)

最後にるいネット(実現論)から、男女同権論の誤りを指摘しているくだりを掲載しておきます。(リンク [3]

…かくして男女同権が社会共認となって終った。  
 その結果、男も女も急速に中性化してゆき、男らしさや女らしさが喪われていった。今や、男の本分を考えたこともない男や、女の本分を知らない女が大多数を占めるに至っている。しかし、男の様な女と、女の様な男は、男と女どちらにとっても魅力に欠け、男女夫々の充足を著しく貧弱なものにし、社会全体を殺風景にしてゆく。それより深刻なのは、男女の中性化が、雄雌の差別化という進化のベクトルに完全に逆行していることであり、人類は種として極めて危険な状態に陥ったと云わざるを得ない。事実、男女同権によって男と女の力のバランスが完全に崩れ、社会は性権力の全面支配によって女原理一色に染め上げられて終った。その結果、人類は滅亡への坂道を真っ逆さまに転げ落ちつつある。

元々、男女が争うことの必要性はないはず。一緒になって考えて、男女共に充足できて活力が湧くような社会システムを創っていくことを、みんなが求めているのだと思います。

[4] [5] [6]