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【男の居場所はどこにある】~性権力と占有権力の共認→表層観念の共認~

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前回は、人類史の中における「男女の対立史」を見ました。
…(現代)生存圧力、貧困圧力が低下して行くに連れ、男は女の支配下におかれ、その居場所を失ってきました。~ましてや、都市部でバラバラの根無し草状態に置かれた核家族家庭では、男は無力といっても良いかもしれません。…

さて、今回は、この人類史の流れを別の観点から捉え直してみます。
人類社会は、全て共認によって形作られているという言い方もできるわけですが、男女の対立史を背景にどのような社会共認が形成されてきたのか、そして現代の私たちの頭の中にあるいろいろな観念はどのようにして創られてきたのかを改めて整理してみたいと思います。

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以下、実現論から引用しながら、考えてゆきます。(リンク [1]

性権力に基づく男女解脱→役割共認であれ、武力→占有権力に基づく私権の共認→身分の共認であれ、支配階級は常に、権力に基づく共認を基底的な社会共認(国家共認)として形成し、その社会共認によって、自らの権力と身分を盤石なものとして確立する。
(中略)
占有権力も性権力も共に私権である事には変わりがなく、男と女の私権闘争において占有権力を性権力が上回った以上、当然、性権力の共認が占有権力の共認を凌いで最基底の社会共認となる。(もともと性闘争は、男同士の間の力=占有権力によって止揚されていたが、その占有権力を性権力が上回ると、性闘争も性権力によって止揚される様になる。)何れにしても、まず権力そのものたる「性権=性的商品価値と私的選択権」の共認や「占有権」の共認が強制的に(否応無く)形成され、それを核にして、男女役割の共認や身分の共認が形成されてゆく。

社会秩序を形成するためには、様々なルールや規範を皆が共認してゆくしかありません。
力で制圧しても、同類同士の戦いだから、共認が確立しないとその体制は永続きせず常に揺らぐ事になります。しかし、社会の秩序を維持することは、皆にとって必要なことなので、法制度や身分秩序を皆が認めて社会共認として確立してゆくことになります。

武力闘争の場合は、最終的に身分序列(占有権力の秩序)が共認されて収まることになるわけですが、性権力が占有権力を上回るような場合は、支配関係が見えにくい状況になります。
男女の対立史において、女の側が勝者になった時期は、男の力を基盤にした闘争が一定収まった時期と重なります。身分秩序が確立し私権を巡る闘争が下火になると、男たちは解脱に向かい、その収束先である女に権力が移行してゆきます。女たちの意向のままに、男たちの所有財は女の性的商品価値に吸い上げられるようになってゆきます。

この関係が見えにくいのは、男たちが自ら望んでいるように見えるから。男女和合共認こそが互いに求めているもののはずなのに、いつのまにか男が女を求め、提供するのは女の側の意向次第という関係になってしまいます。

(中略)
支配共認はそれに止まらず、更にその権力を正当化する為に、無数の架空観念(幻想観念)を生み出し、それらをも社会共認としてゆく。つまり、肉体を直撃する様な深層の共認である性権力や占有権の共認の上に、本源価値を幻想観念化した本源的架空観念(古代宗教や近代思想)の共認を形成して支配共認の全体が構成されており、真実=深層の権力の共認を架空観念の表層共認がスッポリ包み込んでいる。
(中略)
従って、人々は心地よく酔わせてくれる架空観念に浸って、真実(=権力の共認)をあえて見ようとはしなくなる。

共認によって社会は形成されるわけですが、支配される側も含めて皆が受け入れやすいような観念群(架空観念)が生み出され、それらによって支配関係が強固に確立されるようになってゆきます。
例えば、王は神の子孫だとか、神から認められた指導者であるといった観念が作られたり、貴族や騎士なども、王を頂点とするヒエラルキーの中の地位や豪壮な邸宅や財宝などの所有財や血筋などよって権威づけられることでその身分を確立していました。

性権力の場合は、男は外で働き女は家庭で男を支えるという役割共認によって、男たちの労働による益を女たちに貢ぐかのような関係が作られているとも言えます。

(中略)
ところが、性闘争→私権闘争→私権統合によって本源集団は解体されて終ったので、失われた本源価値(異性や仲間や集団との共認充足)を幻想観念化して、頭の中で共認充足するしかなくなって終った。しかも、その様な幻想観念(古代宗教や近代思想)を創り出した思想家たちは、本源価値を破壊した、本源価値の対立物たる現実を否定し、反現実or 脱現実のベクトルに貫かれた非現実の地平に、本源価値を再生する幻想観念(「神」や「人間」や「自由・平等・博愛」やそれらを具有した「個人」や、それらを実現する「民主主義」)を構築した。

架空観念の例として分かりやすいのは、宗教観念と近代思想。かつてのように神を信じ奉る人はいまやほとんどいませんが、近代思想は現代においてもまだかろうじて命脈を保っているようです。しかし、その欺瞞性は次第に明らかになってきており、現代の若者たちから見れば、ほとんど意味不明、無用な観念になってきているようです。

さて、性権力によって作られている架空観念ですが、その中心に近い位置に「恋愛」観念がありそうです。男女の関係を決めるのは、力や財力などはもってのほかで、自然に芽生える恋愛に基づいて決めてゆくことこそが人間らしい、といった観念だと見えます。しかし、男女双方の想いによって作られるように言われるけれど、実態は女の側に選択権があるのは否めません。

だから、その延長にある家庭の中の主役は女(と子ども)になっています。
働いて稼いでいるはずの男が、毎月の小遣いを女房から渡され、特別な出費が必要な場合はお願いしなければならない。家を買う場合にも、お金を出すのは男だけど、選ぶのは女房といったことがごく当たり前になっています。そして、大企業の社長から平社員まで、全ての男たちはそのような関係に何の疑問も抱かない。まさに、社会の最基底の共認になっているようです

男の居場所は、家庭の中にあるのでしょうか?。
(続く)

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