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どうしていじめは深刻化したのか?

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画像はこちら [1]からお借りしました 
 
「最近のいじめは陰湿だ」と言われるのを、みなさんも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

よくいわれる“昔のいじめ”とは、ガキ大将を想像しますが、1990年代ころから、その様相が変わってきたようです。その代表的な現象としては、 
 ・輪番制でいじめられる 
 ・いじめられても仲間の輪から離れられない
 
などが挙げられています。 

いじめは、どうしてこの様に変化し、深刻化してきたのでしょうか?
今日は、その原因をるいネット「収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力」 [2]より、時代背景を元にして構造的に見ていきたいと思います

東日本大震災で被災されたすべての皆様へ、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
  
私たちが、今こうして何不自由なく普段の生活を送れていることに、改めて感謝しています。そして、被災地を中心に家族をも越えた人々の繋がりが大きな力となっていることにすごさを感じずにはいられません。
 
家庭を聖域にしてはいけないでは、これからも、問題を固定観念にとらわれることなく多面的に追求し、歴史をさかのぼり、これからの子育てや教育のあるべき姿を考えてゆきます。
 
 
 
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‘90年頃の、どんなにいじめられても離れられないほどの仲間収束の引力がどこから生じたのか?

これらの根っこには、これまで最大の活力源(充足源)であった私権活力が衰弱し、活力が出てこないという活力不全(充足不全)が、実在している。
この活力不全を突破する可能性の収束先が、遊び収束であり、あるいは仲間収束であり、それら全体が充足基調を形成してきたと見てよいだろう。
しかし、’02年頃、その遊び収束(=解脱収束)さえ、急速に衰弱し始めた。
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画像はこちら [3]からお借りしました

  より詳しくは、
   ・るいネット(09/08/26)
    潮流3:’70年、豊かさの実現と充足志向 [4]
 
   ・日本を守るのに右も左もない(2010/02/05)
    1/31なんでや劇場レポート1 「遊びの失速」は、何を意味しているのか? [5] 
 
 
これは、どういうことなのか?いったい、意識下で何が起きているのか? 

これまで共認動物が活力不全に陥った場合、それが絶望的な外圧による場合(初期原猿や初期人類)も、逆に外圧が低下した場合(採取時代)も、常に解脱収束(人類は性収束)することによって充足=活力を維持し、活力不全は突破されてきた。 
それに対して、今回の活力不全は、単なる外圧低下(生存圧力が低下し、共認圧力も低下した状態)だけに留まらず、社会共認の収束先=統合軸が見つからないという文字通りの『収束不全』である。
  
この収束不全は、まず最基底の適応欠乏⇒可能性探索回路を強く生起させる。しかも、問題(=収束不全)も、その突破口=可能性も、みんな共認充足の中にあることは潜在思念のレベルでも明らかなので、適応欠乏は当然の如く、みんな共認の可能性探索に収束する。これは云わば、初期原猿状態に近い。 
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画像はこちら [6]からお借りしました

  もっと詳しく知りたい方は、、
   ・るいネット 
    実現論 第一部 前史 ニ.サル時代の同類闘争と共認機能 [7] 
 
   ・るいネット(09/08/29) 
    【充足可能性の実現】を採取部族に学ぶ [8] 
  
   ・るいネット(09/08/27) 
    潮流6:’95年、私権原理の崩壊と目先の秩序収束 [9] 
 
   ・るいネット(10/10/19) 
    10/17なんでや劇場(6) ’70年~現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束 [10] 
 

この、収束不全発のみんな共認充足の可能性探索こそ、仲間収束⇒充足探索基調の正体である。 
この可能性探索は、最基底の適応可能性への収束であり、その初期には残存自我と相乗して「いじめ」へと収束したが、どれだけいじめられてもみんな共認(⇒仲間)への可能性収束は、既に不動の底流となっており、仲間を捨象することは出来ない。それほどに、収束不全発の共認収束(=仲間収束)は、絶対的とも云える強い引力を持って実在している。(彼ら「いじめ世代」は、その後成人になっても、「どうする?」「どう思う?」という弱い探索(待機)≒原猿状態を続けている。)
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画像はこちら [11]からお借りしました

  
  参考サイト
   ・家庭を聖域にしてはいけない(02/03/08)
    仲間圧力と認識仲間 [12] 
 
   ・家庭を聖域にしてはいけない(02/07/25) 
    なぜ不登校になるのか [13]

又、この活力不全は社会共認の収束不全に起因しており、単なる解脱収束(性収束)では答えにならないことも明らかである。
従って、必然的に(解脱収束とは逆ベクトルの)探索・追求に収束してゆかざるを得ない。この収束不全発の適応可能性への収束=探索基調こそ、遊びを無為化し、性を封印(セックスレス化)する程の探求収束力の正体である。

 
   参考サイト

   ・家庭を聖域にしてはいけない(07/11/04)  
    授業収束、素直さ、仲間収束、表層化、遊びを企画できない・・・新世代の「主体性の喪失」 [14]

   ・日本を守るのに右も左もない(2009/12/04) 
    11/29なんでや劇場レポート(1)性欲が出てこないのはなんで?⇒秩序崩壊の不安と焦り [15]

   ・日本を守るのに右も左もない(2009/12/04)
    11/29なんでや劇場レポート(2) 先行き探索を阻むのは私権制度と騙し観念 [16]

           

「いじめ」と聞くと、単に「悪いこと」とだけ認識してしまいますが、そこには、時代と共に移り変わる、最先端の社会意識の現れる場であったことが分かりました
 
強くなる仲間共認の可能性収束先として、充足できる場(たとえば、勉強だけでなく、認識を学べる場〈類塾ネット [17]〉)を広げていくことが、その可能性を引き出す答えの一つとなりそうです
  

[18] [19] [20]