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新たな時代の教育制度の提言に向けてシリーズ-3~No.6今尚続くアメリカ支配:臨教審の教育改革~

前回は、学生さんも交えて現代教育に関る問題の図解化と、これからの可能性について扱いました。こちら [1]今回は、再度戦後~現代の教育制度に戻って、その特徴を押えていきます。

前々回シリーズ-1では、公教育は「金貸し支配の洗脳教育システム」 [2]であるということを明らかにし、前回シリーズ-2での、明治期に制定された日本の公教育についても同様であること [3]を見てきました。

そして、戦後から始まり現代行われている現代の教育制度も、実は金貸し→アメリカGHQによる洗脳システムであることを、以前紹介した記事で明らかにしてきました。こちら [4]
そこでは、現代の教育制度:教育基本法は、戦後すぐにGHQ主導で制定され、その根幹を成す意図は、「自虐史観」と「共同性の破壊」ということを、教師の手引書である「新教育指針」から見ていきました。こちら [5]
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今回は、その後の(金貸し→)アメリカによる教育制度に対するか関与:改革の動きを押えていきます。
最も特筆すべきは、1984年から開催された「臨時教育審議会」です。教育基本法では、教育は「政治的な中立性」が求められていますが、これに反して、首相(当時の中曽根首相)直轄機関として立ち上がったのが、この「臨時教育審議会」(臨教審)です。

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臨教審とは以下「教育改革 -臨時教育審議会答申と教育改革推進の社会的背景」 [6]からの抜粋です。

1982年中曽根内閣成立後、首相自らのイニシアチブの下、教育改革を中央教育審議会でなく(中教審批判といえますかね)内閣総理大臣直属の審議機関でと希望して1984(昭和59)年に臨時教育審議会設置法案が閣議決定され、法律第65号として施行されました。「教育」は政治的にも中立性が求められるものであるわけですが、首相直属の機関での検討というこの審議会の立場には様々な議論があります。この歴史的な議会は、1985年6月に第1次答申、86年4月に第2次答申、87年4月に第3次答申、および同年8月に最終答申を出し、その役割を終え解散しました。

特に教育政策の基調が従前の保守主義から新保守主義(Neoconservatism)に変わったことがあげられるでしょう。歴史的連続性(伝統)を重んじることでは保守主義と同様ですが、経済自由主義・科学技術発展に従っての変革(市場競争)を積極的に進めるという立場に立つものです。経済政策の自由化(規制緩和)や福祉制度としては小さな政府をめざすという点で「新自由主義」と評されることもあります。

「グローバリゼーション」という名で示される世界的な資本主義経済システムの流れの中での「自国」変革の試み・・・外側には自国の立場を主張し、内側には構造改革と規制緩和路線、自由経済と国民の自助努力を求めるなどが共通した特徴といえるでしょう。

「新保守主義」の影響はどうなのか。例えば、臨教審答申には前者(保守的傾向)の主張として「道徳教育の強化」や「教員の資質向上」もしっかり盛り込まれました。これは中曽根氏個人のイデオロギー性と、保守党内での位置も関係したことでしょう。

 後者(自由経済)としては、当時、「行政改革」や「新産業育成」変革上の新方針延長線上に位置づけられるため、規制緩和の考えのもと「教育の自由化路線」が進められたことです。社会経済的移動の増大と高学歴化が進み、さらには70年代以降の生涯学習の要請もありました。

その一方で国家財政の逼迫による教育費個人負担の増大等も顕在化しつつあって、そこに「市場競争の原理(自由化)」を導入したのでした。本来、「教育の自由化」とは「規制緩和」であったものが「自由化」=「競争」による結果の差異という「個性主義」に変わり、答申では「個性重視の原則」とされて、後の教育改革へとつながっていったのです。

この改革(そもそも臨教審という立場自体)を推進するのを支えたのもマスコミの教育荒廃キャンペーン、教育問題に関する報道など、私が述べてきている「不安」観であったと考えています。中曽根・小泉政治の共通性が指摘されることがありますが、その一つはこの手法ではないかなと。

 
次に、臨教審設立の社会的な背景から押えていきます。
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中曽根首相というと、有名なのが1985年のプラザ合意と、1987年の国鉄、電電公社、専売公社等の民営化ですね。
プラザ合意とは簡単に言うと、巨額の対日貿易赤字に怒ったアメリカが、円高⇔ドル安を受入れ主導すること、そしてその方法が、生産性には寄与しない内需拡大⇒公共投資を行うことだった。それが引き金となりバブル経済に突入し、やがて崩壊、投資した多くを外資≒金貸しに持っていかれることとなる。(詳しくは、リンク [7]リンク [8]を参照)

国鉄の分割民営化とは、日本の資産の外資への開放を意味する。(詳しくは、リンク [9]リンク [10]を参照)

教育も例外ではない。以下を参照ください。

当時、巨額の対日貿易赤字に怒り狂っていたアメリカは、日本に対して「輸出で成長する政策を改め、日本の国内の市場を活性化する政策に転換しろ」と強硬な圧力をかけてきました。

中曽根政権がアメリカの要求に応えるために打出したのが「内需拡大策」で、建設産業や不動産産業を活性化するために、大胆な金融緩和に踏み切る一方、全国各地でリゾート開発と称してゴルフ場やレジャーランドが事業として採算を確保するためには、日本人がもっと仕事を休んで遊ばなければなりません。そこでそのころから「日本人は働き過ぎだ、もっと遊びなさい」と「時短」(労働時間の短縮)が叫ばれるようになったわけで、その処方箋の1つが「週休2日制の導入」だったわけです。

森氏は多くの関係者の話を取材していますが、当時文部省で初等中等教育局長を務めていた辻村哲夫氏(現・独立行政法人国立美術館理事長)は悪びれずもせずに、こう明言しています。「“ゆとり”というのは、教師にとっての精神的・時間的余裕ということなんです。」「ええ、子供じゃない。教師です。それは教育課程審議会の議論の中にも出てきます。」要するに「新しい学力観」だとか「総合的な学習」だとか意味不明の理屈をこねながら、実際にはアメリカと日教組の奇怪な「野合」、それに目先の利益に目がくらんで便乗した日本の財界、こうした醜悪な結合が「ゆとり教育」という怪物を生み出し、「教育の一方的な武装解除」を行ってしまったということです。

アメリカと日教組の奇怪な「野合」の産物=ゆとり教育 [11] 

「ゆとり教育」とは教師の“ゆとり”だった! さらに、その背後には「遊んで、お金を使わせる」という目的があったのです。
この臨教審による教育改革が、実は金貸し→アメリカによる内需拡大、市場開放要求に基づいた政策の一環であり、元々の「社会性の芽を潰し、個人に目を向けさせる」という教育“方針”に加えて、教育に熱心なエリートに対しては、独自に教育へ投資(消費)を促し、盲目的に学業に専念すること、その他の一般人については“自由に”“遊び→消費”に向かえる基盤を作ったということのようだ

元々、プラザ合意に基くアメリカの主旨が、生産性を高めない内需:消費拡大であったことからも、教育改革についても忠実にその指示を実施していることになる。
これによって、日本の教育はどんどん質の低下をまねき、ガタガタになっていくわけです。

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この教育改革によってどうなったのか?以下の記事を見てください。

教育改革は1980年代の中曽根臨教審から始まった。「教育の機会均等」を建前上でも取っ払った。90年代に入ると新学力観、「個性重視」の学習指導要領となる。教師は「指導するのではなく寄り添わなければならない」といい、「努力しなくていい」「そのままの君でいい」といって、子どもの好き勝手な自由主義をあおった。学校は放し飼いの動物園状態、サファリ状態になった。そして九九や分数や漢字がわからないまま中学校を卒業する子が増え、大学に入学した者も東大を筆頭に低学力、自己中心で、社会に出ると役に立たない者が増えた。

「知育偏重はいけない」といって「ゆとり教育」といわれたが、知育もない点数偏重になった。学力テストの点数、生徒も教師も数値評価ばやりだ。体育や徳育は、明らかに切り捨てられたが知育も崩壊した。そして暴れる生徒への警察の武力鎮圧まで来て教育改革の全面崩壊だ。

教育改革というのは、アメリカを中心にした新自由主義の改革だった。新自由主義というのは物事をあまり考えないというのが特徴だ。後先を考えず、自分の目先の利益のために他と争って突っ走る。
木を見て森を見ない、事物が別の質に変化するなどとは考えない。ブッシュの対テロ戦争が失敗し、なによりもアメリカの金融自由化という自分の目先の利益だけが関心で大がかりな金融投機の詐欺で世界の金を巻き上げるという自由市場経済が破綻した。教育改革もその一環として破産している。

 社会の根幹である経済は、構造的な金融詐欺をやってきた。支払い能力のないアメリカの低所得者にローンを組ませて家を建てさせ、その債権をハイリターンの証券にして世界中に買い込ませる。そして保険会社が保険をつけ、格付け会社が高い評価を与えてだます。バブルがはじけたら世界中の金融システムがパンクした。金融詐欺の支配は、労働者にとっては地獄となった。ヘッジファンドが大がかりな株投機をやり、企業買収を商売の道具にする世界の略奪だ。企業は目先の株価至上主義となり、非正規雇用を増やし、その結果生産現場の技術継承もできなくなってどんどん衰退する。さらにギリシャ危機などが起きたら、ヘッジファンドが国債の空売りをやって暴落させ、国債の下落分をもうける。労働者も一国の国民経済も、社会全体もどうなってもかまわぬ、自分だけがもうけるのが唯一のこと。それを恥知らずにやるのが規制緩和であり新自由主義だ。新自由主義とは反社会だ。教育改革は、自由主義を称揚して、社会性を否定するのが根幹だ。

自由主義教育改革が破産③ [12] 

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