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新たな時代の教育制度の提言に向けてシリーズ-3~戦後日本の教育~日本人に自虐史観を植付け、精神性を蝕んだ「新教育指針」-3~

前投稿 [1] では、【敗戦国】として

日本国民は、批判的精神に乏しく権威に盲従しやすい。

日本国民は、合理的精神に乏しく科学的水準が低い。

日本国民は、独りよがりで、おおらかな態度が少ない。

と、一方的な批判を受け、「国民は世界に向かって深くその罪を謝するところがなければならない」という、いわゆる自虐史観の中心をなす観念内容をみてきました。

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今回は、それを受けての「どうする?」という具体的な指示を紹介したいと思います。

   いつも応援ありがとうございます 🙄
   

以下「新教育指針」からの抜粋引用です。

(第二章~第四章、本文省略)

第二章 軍国主義及び極端な国家主義の除去

一、軍国主義とはどういふことであるか

二、極端な国家主義とはどういふことであるか

三、日本の軍国主義及び極端な国家主義はどのやうにして起り、どんなあやまちをおかしたか

四、軍国主義及び極端な国家主義を取り除くにはどうしたらよいか

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第三章 人間性・人格・個性の尊重

一、人間性とはどのやうなものか、それを尊重するとはどういふ意味であるか

二、人格とはどういふものであるか、なぜ人格を平等に尊重しなければならないか

三、個性とは何を意味するか、個性の完成と社会のちつ序とはどのやうな関係にあるか

第四章 科学的水準及び哲学的・宗教的教養の向上

一、真実を愛する心がいかに必要であるか

二、科学的精神とはどういふことであるか

(一)合理的精神

(二)実証的精神

(三)自然科学と社会科学

三、科学的水準を高めるにはどうしたらよいか

(一)日常生活に科学的精神をはたらかせること

(二)自由の精神を振ひ起すこと

四、何ゆゑに哲学的教養が必要であるか

(一)科学の土台を明かにするために

(二)世界を全体として理解するために

五、宗教について何が注意せらるべきか

(一)宗教の本質にかなつた信仰をもつこと

(二)信教の自由を重んずること

(三)宗教と政治とを分離すること

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「世界全体の根本原理について感情的に信仰し、意志をもつてそれにしたがふのが宗教」とし、宗教の本質や疑うことはいけないことと述べられている。また、支配観念としての宗教(キリスト教)は認め、国家神道だけはダメとしていることは、論理矛盾したまさに押し付けではないでしょうか?

(第五章の一~四の(二)までと五は、本文省略)

第五章 民主主義の徹底

一、政治上の民主主義とはどういふことであるか

二、経済の民主化とはどうすることであるか

三、国際的民主主義とはどういふことであるか (以上略)

四、社会生活において、いかなる点を民主化すべきか

(一)家庭生活を民主化すること

(二)階級や「閥」やかたよつた「型」をなくすること

(三)国語・国字を民主化すること

社会生活を民主化する上に、きはめて大切な一つの問題は国語・国字の民主化である。階級や職業の差別によつてへだてられてゐる人々は、その用ひる言葉や文字にも区別ができ、そして言葉や文字の区別は、ますます人々のへだたりをつくり出して民主化をさまたげる。その上また一般に言葉や文字が複雑で、話しにくく読みにくく書きにくい場合には、そのために多くの力を費やして、自ら考へ工夫する力を養ふ余裕がなくなり、この点からも民主化がさまたげられる。
日本の国語・国字にこのやうな欠点があることは、早くから一部の人々に認められ、その改善が論ぜられたのであるが、なかなか実行せられなかつた。今日民主主義の要求と結びついて国語・国字の改良がさかんに唱へられるやうになつたのは当然である。

これについて先づ実行すべきは、国語を正しくわかりやすくすることである。すなはち標準語をひろくゆきわたらせて、方言や「なまり」などをできるだけ少くし、また目で見なくても耳で聞いてわかる言葉にすることが必要である。同じ音でことなる意味をあらはす漢語は、それぞれ別の国語に直して使ふのがよい。例へぱ「光度」・「高度」・「硬度」などは、「あかるさ」・「たかさ」・「かたさ」といへばわかりやすい。
また漢字の熟語でかたくるしくいはないで、くだけた国語でいひあらはすことが望ましい。例へば「躊躇逡巡を許さず」などといはないで、「ためらつてぐずぐずしてゐてはいけない」といふ方がよい。ことさらに上品ぶるために敬語をたくさんつかつたり、威厳を示すために文語体や候文体をつかつたりする風もやめなければならない。

 このやうに先づ正しくわかりやすい国語にした上で、これを書きあらはす文字をできるだけ簡単な、やさしいものにするのが第二の仕事である。漢字の数を思ひ切つて制限し、千字内外で日常の用が足りるやうにしたい。仮名は日本人が最も多く使ひなれた平仮名を本体とし、変体仮名は廃止し、外国の地名・人名などはとくに注意をひくために片仮名を用ひるのがよいであらう。ローマ字も自由に読み書きができるやうにしておくことが今日の実情から必要である。

 国語・国字は、国民全体が用ひるものであるから、みんなが力をあはせてその改良につとめなければならない。新聞・雑誌・放送などが歩調をあはせてこれを実行し、役所や会社などでもこれに協力すべきである。特に学校においては、話し言葉の教育に一そう力をそそぐとともに、教科書・教師師用書などに正しくわかりやすい国語・国字を用ひるやうにしたいものである。

 このやうにして国民のすべてが、たやすく話し読み書くことのできる国語・国字にすることが、民主主義の徹底のために大切なことである。これによつて内には国民がたがひに打ちとけ、外には国際間の親しみを増し、また文化の発展や交流もできやすくなるのであつて、そこに民主的・平和的・文化的な国家としての新しい日本が建設せられるのである。
 
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五、教育の環境において民主主義をいかに実現すべきか

(一)教育制度を民主化すること

(二)教育の内容に民主主義を取りいれること

(三)生徒の人格を平等に尊重し、個性に応ずる教育を行ふこと

(四)自主的・協同的な生活及び学習を訓練すること

(五)教師自身が民主的な修養を読むこと

だれでも「分かりやすい」国語・国字として、漢字の数の制限や国語の平易化が指示されています。また、将来的なローマ字化へ向けての意図も見えます。日本人にとって、もっとも重要な日本語の解体を目指す犯罪的な指示といえるのではないでしょうか?

(第六章の一~二までと四の(一)、(二)は、本文省略)

第六章 結論|平和的文化国家の建設と教育者の使命

一、人間のほんとうの願ひは何であるか

(一)平和への願ひ

(二)文化への願ひ

二、これからの日本はどんな国であるべきか

(一)平和国家|国内平和と国際平和

(二)文化国家|国民文化と人類文化

三、これからの教育はどんな人間をつくるべきか

(一)文化を理想とする人間をつくること

「しかし日本人は戦争ごつこはわるい遊びとも思はないし、子供たちは兵隊になつて手がらを立てることを将来の理想と考へてゐるのである。」とわれわれは説明した。中国の留学生は、さうした考へ方こそ軍国主義的であるといふのである。さういはれてみれば、われわれがこれまでよいとしてきたことや、気がつかずにやつてゐたことが、実は国民を戦争へと導くやうなはたらきをしてゐたのである。子どもたちの読物にも、歌にも、遊びにも、戦争に関係したものがどんなに多かつたであらう。これらを取り除いて青少年を全く新しい方向に進ませるのが平和国家の教育である。「大きくなつたら兵隊に」とか、「日本の国をもつと大きい国に」とかいふやうな理想を子供たちにもたせないで、むしろ学問をもつて、芸術をもつて、世の中のためにつくしたいといふ理想をもたせるのが、文化国家である。

(二)日常生活において文化への芽生えをのばすこと

青少年はその本性をすなほにあらはす場合には、真実なもの、美しいもの、善いものを、何かの他のものの手段としてではなく、それ自身を目的として、熱心に求める。例へば算数においては、児童は問題を解くことそのことに興味を感じ、計算を正しく速くやることそのことに満足をおぼえるのであつて、学業成績をよくしたいとか、教師や親にほめられたいと思つて算数を学習するのではない。図画では美しい色や形そのものを愛してそれに心を打ちこむのであつて、何か他の目的の手段として、いやいやながらそれを画くのではない。積木を積んだりくずしたり、おもちやを分解したり組合せたりするときには、ただそのこと自身にむちうになつて遊ぶのである。

四、教育者はどこに希望と喜びとを見出すべきか

(一)物質的生活の改善

(二)教育の本道を進む喜び

(三)将来への希望

さらに眼を将来にそそぐとき、教育者はかがやかしい希望をもつことができる。「青少年をもつことは将来をもつことである」といはれてゐる。国家としても世界全体としても、将来いかにあるべきかといふ理想は、今日の青少年の教育と通して実現するほかないのである。世界歴史をつらぬく大きな動向にうながされて、祖国が新しく生まれかはらうとしてをり、それが間接に今日のなやみと混乱との一つの原因となつてゐるのであるが、その世界歴史の方向に照らして祖国の将来を見通し、これを現在の青少年の教育において実現するのが教育者のつとめである。教育者が先駆者でなければならぬわけもここに存する。

明治維新のとき、上野の森で官軍と幕府軍の戦ひが行はれてゐたその最中に、先駆者福沢諭吉は、おちついて青年学徒に新しい日本を行く手を教へてゐた。この人こそ、世界の大勢を知り、祖国の将来を察して、希望と喜びとをその胸にいだいてゐたのである。この先駆者の心持こそ今日の日本の教育者の心持でなければならない。

 さらに教育精神のもはんと仰がれ、教育の聖者としてたたへられてゐるペスタロッチは、どんな一生を送つたであらうか。フランス革命のあらしがかれの祖国スイスにも荒れくるつて、親を失ひ家を焼かれたみなし児・貧児たちはたよる力もなくちまたをさまよつてゐた。青年時代から革命運動に深い関心をいだいてゐたペスタロッチは、結局その一生がいの力をそれらあはれな子供たちの教育にそそいだのである。「こじきを人間らしく育てるために自分はこじきのやうに生活した。」といふのがかれ自身の告白である。今日の日本の教育者にこじきの生活をせよといふのではないが、生活のなやみの中にも高い理想を仰ぎ、貴いつとめによつて自ら慰めたこのペスタロッチの精神こそは、永遠に教育者の力であり光でなければならない。

今日の教育者がつちかひ育てる青少年の心の若芽が、五年、十年、三十年、の年月を経てりつぱにのびてゆくとき、軍国主義や極端な国家主義はあとかたもなくぬぐひ去られ、人間性・人格・個性にふくまれるほんとうの力が、科学的な確かさと哲学的な広さと宗教的な深さとをもつて十分にはたらかされ、そこに民主主義の原理はあまねく行はれて、平和的文化国家が建設せられ、世界人類は永遠の平和と幸福とを楽しむであらう。かうした高く遠い理想を、単なるゆめに終らせないで、毎日の教育活動を通して、一歩一歩確実に実行してゆくところ、そこに教育者の希望があり、喜びがあるのである。

(以上引用終り)

これを「教育の指針」として、洗脳させられた教師達が全国で教鞭を振るっていたとは、なんと恐ろしいことでしょう。これが、原爆を落とされながらも、アメリカに迎合し、その後、今日に至るまでアメリカに支配され続けることを許すこととなる、日本人を導いた教育制度の基礎を成すものなのです。

これは、徹底的に日本人の共同性を解体し、頭の中の理想=比現実に傾斜し(実現することがない)近代思想や、私権主体としての個人の意思を重視し、社会のことなど考えないように仕向ける教育のあり方であり、日本人はまんまとその罠に嵌ってきたといえるでしょう。 👿

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