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社会共認の歴史(1)~プロローグ~

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みなさん、こんにちは☆

今年も残すところ、あと数日となりました 🙂 今年一年みなさんは、どんな年 を過ごされましたか?改めて今年一年を振り返り、お世話になった方に想いを寄せて感謝の気持ち を紡いでみてはいかかでしょうか?ゆっくりと温かい気持ちに包まれ、来年はもっと楽しい年になりそう そんな想いを感じられるのではないでしょうか

さて、「家庭を聖域にしてはいけないブログ」では、昨年に引き続き年末年始のシリーズ投稿をお送りしたいと思います。

現代の家庭は、近代以降の市場拡大によって闘争(仕事)と生殖(子育て)が分離し、ただ消費するだけの存在へと成り下がっています しかも現代の家庭によって引き起こされる様々な問題に対しても、家庭は決して世間からは糾弾されることのない絶対不可侵の領域(=家庭の聖域化)となってしまっています 😯

本シリーズ(全7回)では、るいネットに投稿された『なんでや劇場「社会共認の歴史」シリーズ』の記事から、社会共認の歴史構造をおさえて、『家庭の聖域化』の原因へとつながる『私権意識の成立構造』を明らかにしていきます。

それでは、今回は社会期待の歴史(1)~プロローグ~をお送りします。

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前回は、私権意識の成立過程と、’70年以降の私権意識の衰弱過程を見てきた。そこでのポイントは3点である。

①近代社会は、豊かさ期待という一つの社会意志によって突き動かされてきた。

②それが
’70年、豊かさの実現によって私権意識が衰弱し始め、
’90年、バブル崩壊によって豊かさ期待がほぼ消滅し、
’08年、世界バブル崩壊によって私権観念が死亡した。
’10年、豊かさ期待に代わって本源期待が生起してきた。これは、共同体の時代が始まったことを意味する。

③しかし、新たな社会意志である『本源期待』の中身が未だはっきりとは掴めていない。

そこで、これまでの社会期待or社会共認の歴史を振り返り、その中身を明らかにすることによって、現在~近未来の社会期待or社会共認の中身を明確に浮かび上がらせる。それが今回のテーマの目的である。

かなり難解なテーマであり、「収束と統合」という概念を知らなければ理解できない。

<収束と統合>
収束とは、一点に集まっていく事。生物は、外部世界に適応しようとして先端可能性(与えられた状況とそれに対応する諸機能のうち、最も可能性のありそうな対象とそれに対応する機能)に収束する。先端可能性に収束する事で、個体(の意識)や集団や社会は秩序化され統合される。

例えば、私権時代であれば、万人が私権(お金や地位)という一つの価値or目標に収束することによって社会が統合されている。このように、社会共認の歴史も、各時代の共認がどこに収束し統合されているかが焦点となる。

社会共認の歴史区分は次の6区分。

【1】原始時代
【2】部族連合の時代
【3】帝国支配の時代
【4】近代市場社会
【5】’70年豊かさ実現以降の時代
【6】現代~近未来はどうなるか?

<年末年始の投稿スケジュール>
◆12/30(木):社会共認の歴史(1)~プロローグ~
◆12/31(金):社会共認の歴史(2)~原始時代~部族連合時代~武力支配時代~
◆01/01(土):新年挨拶
◆01/02(日):社会共認の歴史(3)~武力時代の東洋の共同体質⇒秩序収束⇒規範収束~
◆01/03(月):社会共認の歴史(4)~西洋の自我収束⇒観念収束⇒唯一絶対神信仰~
◆01/04(火):社会共認の歴史(5)~市場時代の共認非充足の代償充足⇒解脱(芸能)埋没~
◆01/05(水):社会共認の歴史(6)~’70年~現代 収束不全⇒本能的な秩序収束⇒課題収束⇒認識収束~
◆01/06(木):社会共認の歴史(7)~現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す~

それでは、次回から本格的な社会共認の歴史追求スタートです。
ぜひ楽しみにしていて下さいね☆

最後まで読んで頂いてありがとうございます 🙂

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