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幼児虐待が起こるのは何で?(10) …同化回路再生が大事なのは何で?

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前回までの記事で「同化回路の再生が虐待撲滅への可能性」であることが見えてきました。
前々回は「ママサークル」、前回は「子育てサークル」とその実例を見てきました。また、「ワンコイン寺子屋」というユニークな実例も紹介されました。

今回は、これらの実例がうまくいっている理由について考えてみたいと思います。

ご協力、お願いします。
    
 

まず初めに、ヒトの子どもたちに備わっている同化・充足という本能的な機能についての記事を見てみたいと思います。→(リンク [1])より抜粋・引用

私には1歳半(♀)と3歳半(♀)の2人の子供がいますが、彼女らを見ていて感ずることは、顔見知りの人がいるだけでとにかく嬉しいらしいのです。年一、ニ回顔を合わせる程度のおじいちゃん、おばあちゃんでも従兄妹でも、近所の「~ちゃんのお母さん」でも公園や幼稚園の友達でも(但し、若干の好き嫌いはあるらしい。)話し掛けてくれることが無常の喜びであるかのように感じます。私なども仕事から帰っただけで、これほど大喜びされることは今まで生きていて全く経験がなかっただけに最初は結構戸惑いました。

また、最近下の子が言葉を覚え始め、手足を比較的自由に使い始めるようになると、とにかく上の子や親の真似をすることがまた嬉しいらしい。いつも上の子供の後を付いて廻って同じことをしようとしています。食事でも上の子がお茶を飲むと下も真似をする。箸やスプーンを使って食べているといっしょにやらないと気が済まないらしい。それを誉めると尚嬉しいらしい。

このように幼少期は、親をはじめ周りの関係する人たちの中に喜びがあるように思います。勿論徐々に「自分」という意識も物の所有に関しては登場してきますが、「自分のおもちゃ」をたくさん確保したとしてもそれ自体に喜びはなく(逆に「占有」は廻りの大人から注意され、あまり気分のいいものではないようですが)、結局は他の友達の動向が気になって、直ぐに「占有」を忘れてその輪の中に加わろうとしたり、「自分のもの」でも貸してあげることで、廻りの大人も相手も喜ぶことにより自分も嬉しいと感じて、徐々にそのような行動が身についていくようです。

この「相手の喜び=自分の喜び」という感情・感覚が人間に備わっているプラス感覚の本質ではないかと思います。

その様子が目に浮かぶようですね。まさに、生まれたままの状態のヒトはプラス感覚(意識)のかたまり。周りの事物や人に同化し、真似て、いろいろなことを吸収して成長してゆく。失敗を恐れるなんていうこともなく、何でも吸収しようとする存在ですね。

しかし、現代人は大人になってゆくにつれて、何か不全をため込んで閉塞してゆく。虐待をしてしまうような親たちは、抜き差しならないほどの精神状態に陥ってしまっていると言えます。

それはなぜ?

現代家庭の虐待は、社会的な広がりのある問題ですから、社会的な意識潮流の変化がその背景にありそうです。以下、(リンク [2])からの抜粋・引用です。

⇒’70年豊かさの実現によって、豊かさ期待私権意識も衰弱した。これは収束先を見失ったのと同義であり、’70~’90年代へと次第に収束不全が増大してゆく過程である。

市場社会は豊かさ期待と私権拡大が活力源であったが、’90年バブル崩壊によって私権拡大の可能性が消滅する。
ここから現代は出発する。

万人の意識の心底に収束不全が蓄積されてゆく。そして、新たな可能性収束先の探索が無意識に始まる。
そこで、意識の最も深い部分にある本能は秩序収束してゆく。∵本能は、自然圧力に対して生命が適応するため⇒秩序化するために塗り重ねられてきた、秩序化の体系だからである。

とりわけ人類にとって、秩序は共認によって形成される。だから収束不全から直ちに共認収束のベクトルに入ってゆく。最初は、’80年代に始まる仲間収束⇒’02年頃、私権観念が崩壊し収束不全が増大すると、次の秩序収束先として、課題(勉強・仕事)に収束する。

あまり聞き慣れない言葉も混じっているので、少し噛み砕いてみます。

かつて、人々は豊かな生活を目指して、父親は家族のために一生懸命に働き、母親や子供たちも心を一つにして、家族みんなで支え合って暮らしていました。(「old days 3丁目の夕日」の世界。貧しくても活力に満ちあふれていた時代ですね)

1970年頃、ほぼ全国民が豊かさを手に入れたことによって、それまで家族が一つになって目指していた「豊かな生活の実現」という目標が無くなってしまった。(収束不全の状況へ)

以降、人々の意識は、お金や地位などの私権よりも、「人と人の繋がり」や「仲間」などへと向かいはじめ、1990年バブル崩壊を経て、2002年の株式3番底を迎え、私権を求める意識(価値観)はほぼ無くなってしまいました。

収束不全の状況はさらに深まり、人々は互いの意識を繋ぎ合い、互いに理解し合い、支え合うような人間関係を創ってゆくことを求めるようになってきています。(共認収束へ)

社会の大きな意識の変化は以上のように捉えられますが、当然ながら、人によって意識の状況には違いがあります。
大多数の人たちが、互いの繋がりを創ってゆくことに向かいはじめている中で、そのような人間関係が苦手だったり、そのあげくそのような関係を避けたり、あえて無視したりしているような人にとってはますますつらい不全状況になってきているわけです。

虐待をしてしまう親たちの個別の事情はいろいろあるとは思いますが、大きくみれば収束不全の状況の中で、孤立してしまっているのだと思います。
だから、ママサークルや子育てサークルといった、人と人の繋がりを創ってゆくような場にこそ可能性があるのだと言えます。
冒頭で見た記事にあるような、ヒトに本来備わっている同化・充足の機能をもう一度再生してゆくことが必要なんだと思います。

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