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家庭の教育と社員(共同体)教育は同じ?!(7) ~“ごっこ遊び”が世界共通なのはなんで?!

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小さい頃やりましたね~ 😮

「家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!」シリーズの7回目です。

前回「家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(6)」 [1]では、ヘヤーインディアンの社会における子育てや「同化教育」について見てきましたが、元々人類社会においては「日常生活や子育て(家庭教育)と生産過程(社員教育)」は、一体であり、家庭と職場という形でそれらが分断していまっている現在の我々の在り様の方が特異だったんだ!・・・という気づきがありました。

(というわけで・・・タイトルを「家庭の教育と社員(共同体)の教育って同じ?!」に変更してみました!)

そこで、今回は更に「遊び」を切り口に家庭教育と社員(共同体)教育が本質的には“同じ”であることを考えてみたいと思います。

因みに・・・

遊び(あそび)とは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消などの目的で生物がする行動の総称。

 
wikipedia [2]より)

であり、辛く苦しい「仕事」「生産」と対比した捉え方が一般的ですね。

いつもクリックありがとうございます

まずは、「遊び」は人類固有の様式なのでしょうか?
「るいネット」 [3]より引用します。

■子どもにとって、「遊び」は最大の学習課題 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=219377)

NHK教育 地球ドラマチック「よく遊び よく学べ!~動物たちはこう育つ~」 [4]より転載。
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野生で生きる動物たちが最初に学ぶのは、「生き残る」コツ。
インパラ(野生の鹿の一種)がぴょんぴょんと横とびをして遊ぶのも、野生のヤギが山の急斜面を駆け上がって遊ぶのも、自分たちをねらう肉食動物から逃げる方法を自然と学ぶためなのです。

人間の子どもたちが遊ぶとき、女の子はお人形さん遊びが好きだったり、男の子はプロレスごっこが好きだったりと、性別によって遊びの好みが違っていることがあります。
野生の動物たちも同じで、例えばチンパンジーのメスは、子ザルを抱っこして子育て遊びをしますし、オスはオス同士でレスリングをして力を競い、大暴れして遊びます。それぞれの群れでの役割を、遊びながら学んでいるのです。

ある動物園に、人間によって育てられたシロクマがいます。この若いメス、ティグワークはほかのクマを全く知りません。
ある日、オスのシロクマ、エディと対面することになりました。ティグワークは警戒し、なかなか友だちになろうとはしません。
しかし、母グマに育てられてクマ同士のコミュニケーション方法を知っているエディは、仲良くなるコツを身につけていました。おもちゃを持ってきたり、水に飛び込んで追いかけっこしようと誘ったりしたのです。
そのうちティグワークはエディと一緒に遊ぶことがとっても楽しいと気づき、2頭は友だちになっていくのです。

<略>

■”遊び”と機能発達 [5]

<略>

哺乳類以前の動物である魚類でも”遊び”と考えられる行動が見られます。
例えば、比較的進化した魚類の中に、”餌”にはならない水草などを2匹で引っ張りあう、ちょうど”綱引き”のような遊びをするものがいます。(ex.淡水魚のシクリッド類)

インパラの横飛びやヤギの駆け上がり、チンパンジーの子育て遊びやレスリングなど哺乳類の”遊び”の高度さには非常に驚かされますが、魚類・哺乳類・類人猿と”遊び”の中身が複雑化、高度化していくことは、「高度に進化した動物ほど、複雑で多用な遊びを必要とする」と言うことも出来ると思います。

進化させてきた本能機能を十全に働かせ、外圧へと適応していく為には、”遊び”を通した模擬訓練・実践的訓練が必要になると言うことなのでしょう。

<略>

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遊んでる?闘ってる?
(画像はこちら [6]からお借りしました)

身近なところでも、ネコがボール遊びに夢中になるシーンなどが思い浮かびますが、「遊び」は何も人類にのみ特有の様式ではなく、なんと、魚類段階から本能的にセットされており、本能機能を十全に機能させるための訓練として不可欠の様式であるということです。
決して単なる「楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消」ではないわけです。

では、人類の場合はどうなんでしょうか?
再び「るいネット」 [3]より引用します。

■「遊び」と「労働」の区別のない世界 [7]

世界には「遊び」と「労働」を区分する必要のない人々がいます。
イヌイットの遊びリンクより、その事例を紹介したいと思います。
(引用、一部編集させていただきました。)

【引用開始】
《イヌイットの遊び》
極北民族であるイヌイットほど遊び好きな人々はほかにないような気がする。猟の途中でも、簗で魚をとっている間でも、テントでくつろいでいるときでも、老若男女いつでもどこでも遊びに興じてしまう。

ここで注意すべきは、イヌイットには「遊び」と「労働」という観念を区別する思想はなかったことである。それぞれの遊びやゲームには名前があったが、これは「遊び」だ、これは「労働」だという区分はなかった。私たちが遊びと分類する行動は、イヌイットにとって生きていく上、心理的な対応と行動の技術の学習・向上を促進させるとともに、社会生活が円満に営まれるための役割を果たしていた。つまり、イヌイットの「遊び」とそのほかの行動は表裏一体の関係にあり、遊びは生き抜く術の予行演習であった。

《イヌイットの遊びの特徴》

<略>

③イヌイットの社会ではルールを重視するよりも楽しく遊ぶことが大切だとされている。そのためか、参加者やチーム・メンバーを決める基準はなく、誰でも飛び入りして参加できる。勝ち負けはあるものの、遊びは皆が楽しく参加するものという前提がある。ただし、縄跳びやパス・カットのような乱暴なゲームは子どもと大人が別れて行なうことになっている。

④力比べのゲームが多いのもイヌイット遊びの特徴の一つである。成人の男性が参加する87の遊びのうち、53(60%)は力を重視する遊びである。しかし、イヌイットの力比べは必ずしも馬鹿力を発揮するものとは限らない。地面においた重さ60~80キロの石を移す石運びや重量挙げのように、奮発力を要するゲームは少数あるが、正座跳び、高蹴り、「鉄棒」・リング体操、片手の腕立て伏せの姿勢になり反対の手で回す紐を跳ぶ片手紐まわし跳びのように、多くのゲームでは力のほかに集中力と運動神経が必要である。イヌイット社会のゲームでは力と雅、機知と詩趣、自信と自重、器用さと敏捷さをもちあわせた精神が高く評価され、力ずくで相手をぶったおすという心構えはあさましいとされる。

⑤幼児・児童(思春期前の子ども)の34の遊びは3つの種類に分けることができる。一つは、役割学習に関連する、大人の活動をまねるごっこ遊びである。人形を使う赤ちゃんごっこ(女子)、小さな雪の家の中での、地面にあおむけに寝る子の周りに石を並べる墓遊び(男女)、地面に石を並べて、簗で魚をとる漁撈ごっこ(男子)、角を頭にかざしている子を追いかける狩猟ごっこ(男子)、ミニチュアの橇を数人の子どもが引くごっこなど、大人のすることすべてが子どものまねるごっこ遊びとなる。ごっこ遊びではないが、絵話や昔話も子どもに社会のあり方を教える役割を果たしている。

<略>

【引用ここまで】

イヌイットにとって「遊び」とは「真似る」=「まなぶ」ことなのだと思います。だからこそ、老若男女、いくつになっても「遊ぶ」ことをやめることはない。
「遊びは生き抜く術の予行演習」。
これが「遊び」の本質ではないでしょうか?

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イヌイットの家族
(画像はこちら [8]からお借りしました)

■”遊び”と機能発達 [5]

共認機能を獲得した猿~人類は、本能機能を働かせる為の模擬訓練としての”遊び”に加えて、共認機能を十全に働かせていく為の”遊び”も重要になる。そして人類の場合は、”観念機能”を十全に働かせていく為の”遊び”も必要になる。

例えば水遊びや砂遊びは、その繰り返しの中で、手などの触覚機能(=本能)を発達させるだけでなく、水や砂の性質(=科学認識)を認識することへと繋がっていきます。
鬼ごっこなどの集団遊びは、走り廻る中で本能機能を発達させるのはもちろん、集団で課題を考えたり、お互い期待をかけたり応えたりする中で、共認機能を発達させ、更には、様々な予測思考や連関思考(因果律・手順律)を繰り返す中で、観念機能も発達させていきます。

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お飯事(おままごと)
(画像はこちら [9]からお借りしました)

面白いことに、人類の「遊び」は「生き抜く術の予行演習」という意味で、動物と全く変わらない、不可欠の様式であるということですね。
ただ、人類の場合は、本能機能(肉体)だけでなく、共認機能(心)や観念機能(頭/認識力)の発達も集団による遊びによって育まれるという点が動物とは異なる点です。

そして、もう一つ注目すべきは、古今東西普遍的な遊び様式と言えば“ごっこ遊び”であり、その本質は大人たちの「真似」であるという点です。

イヌイットにせよ、ヘヤーインディアンにせよ、あるいはかつての村落共同体にせよ、生産圧力を受けて闘う大人たちと同じ空間に産まれ育つ中で、ごく当たり前に大人達を真似てごっこ遊びを繰り返し成長する。
例えば、トライ&エラーを繰り返すことで皆で何かを作り上げる経験、皆の期待に応え、皆が楽しめるように頭を使う経験、そして、何かを実現した際の充足体験・・・これらはごく自然に後の生産場面に引き継がれ、活かされ、立派に役割を果たせる大人に成長する。つまり、人類においても「遊び」と「生産・労働」、は繋がっている・・・と言うよりもそもそも、本質的には“同じもの”であり、それが分断されてしまっていることに違和感を覚えずにはいられません。

また、「真似る」とは、「同化」することであり、人類は「遊び」を通じて仕事はもちろんのこと、生きていく上で最も大切な「同化能力」を自然と鍛えてきたのだと思います。

その意味で、家庭と職場が空間的に分断されることで、「同化能力」を鍛える対象も場も奪われてしまっている・・・これが、現代「密室家庭」の最大の問題ではないかと思いました。

次回は、家庭と職場の分断→同化対象の喪失という観点で、現代の家庭教育の問題点について改めて考えてみたいと思います

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