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『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2~3.藩校から見えてくる教育のあり方』

こんにちは 😀 よしたつです

本来の教育のあり方に迫るシリーズの第2弾です!現在も誠意追求中ですが、追求メンバー皆、江戸時代の魅力にはまってます。人も社会も本当に自然の摂理に合せて適応した循環型システムで出来上がっていて、無駄が無いんですよ。
そんな中、江戸の教育はどうだったのでしょうか?気になりますよね。西洋化が進む前の日本元来の教育をこれから少しずつ見ていきましょう。

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前回までの記事は、以下のリンクを見てください。

『新たな時代の教育制度の提言にむけてシリーズ2

1.プロローグ:日本の公教育の変遷と特徴 [1]
2.では日本の教育はどうだったのか?日本の公教育のおおまかな変遷 [2]

今回は、江戸時代の藩校についてです。では、早速本文に入っていきます。
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■藩校とは何か、どこに注目すべきか

藩校とは、主に17、18世紀の江戸時代中期~19世紀後半の幕末・明治初期にかけて、諸藩がおもに藩士の子弟のための教育機関として登場した。教育機関といっても藩校の場合は、寺子屋と異なり義務教育としての位置付けが強く、江戸期の武士の役割変化に適応するために、幕府の推進事業としての様相を呈する。要するに、江戸期の武士は、主に現在で云う所の役所のような役割に従事するのが一般的であったのだ。

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藩校は時代ごとで三段階に変化している。

初期の藩校は、漢学の習得(四書五経の素読、習字)を学ばせることを主な目的としていた。具体的な中身は、四書(大学・中庸・論語・孟子)、五経(詩経・書経・礼経・易経・春秋経)を素読し暗誦すること。そして、学問を肉体化して使いこなすことが目標とされた。

中期の藩校は、急激に増えた宝暦期(1751年~1764年)以降の藩校を指す。初期同様、漢学の習得を残しながらも、特に朱子学に力点を置く教育指導に変わっていく。この変化の背景には、幾度と無く財政難で苦しむ幕府の権威回復が横たわっている。というのも、朱子学とは、君臣上下の秩序を重んじる学問であり、封建社会である武士の序列を維持させるには格好の学問であった。それを物語るように、老中・松平定信が1790年に寛政異学の禁により、朱子学以外の学問を徹底的に廃止させる政策を打ち出し、思想統一を図ったことからも頷ける。

後期の藩校は、徐々に脅威を増してきた列強諸外国の影響が強く働いている。決定打となったのが、強大国『清』のアヘン戦争(1840年~1842年)敗北の知らせであった。この知らせは国内に大きな衝撃を与えたと共に、それ以前まで断固として諸外国との対話を拒んできた幕府の対応を大きく転換させ、鎖国を解くような姿勢を示させたのである。そして、それと呼応するかのように、この頃から藩校での教育の中身もまた一段変化した。つまり、西洋学の吸収に舵を切るようになったのである。特に重宝されたのが、西洋砲術などの兵法であり、これらを積極的に採用し、軍事学・軍事戦術の訓練が藩校で行われるようになる。その頃は幕府は財政難で既にボロボロになっており、金貸しと以前からつながりの強い藩(薩摩、長州、肥前、土佐、など)が一気に強大化する時期(雄藩のおこり)ともつながり、幕府転覆のシナリオが完成する序章でもあった。

以上が藩校の歴史的概要であるが、ここからわかるのは、中期・後期の藩校が、いかに幕府や列強国の都合の良い教育的色彩を見せ始めているかということである。特に後期は、完全に金貸しの戦略に乗せられた教育を導入させられている。これらは外圧状況から鑑みるに仕方のない状況かもしれないが、これ以降、岩倉具視使節団しかり、明治・大正期に法律の整備、教育の整備をし、金貸し支配の世界に足を踏み入れた事実には変わりは無い。そういう意味でも本来の教育を考える上で、藩校の教育で注目すべきは、藩校初期の教育にあると見るべきだろう。

■初期の藩校の教育

藩校の入学年齢は、7歳から10歳である。(ただし、藩校によっては寺子屋で初歩的な読み書きを習ってから、11歳で入学を許可するタイプのものもある。)教科書は、先にも書いた通り、四書五経である。

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☆四書とは、儒教の経書のうち『大学』『中庸』『論語』『孟子』の4つの書物を総称したもの。(参考;Wikipedia)

大学』・・・孔子の弟子、曾参によりまとめられたもの。大学の位置付けは、「孔子の遺書にして初学入徳の門」と称されている通り、儒学入門の書。儒家にとって必要な自己修養が説かれている。

中庸』・・・孔子の孫、子思によりまとめられたもの。中庸の位置付けは「孔門伝収授心の法」と称されている通り、大学とは逆に四書の中で最後に読むべきものとされ、その時々で物事を判断する上でどちらにも偏らず、かつ平凡な感覚で理解して考えることを説いたものである。

論語』・・・孔子と弟子たちの言行録として、孔子の弟子たちの手によってまとめられたもの。孔子と弟子のやり取りを通して、日々の出来事を非常に深い視点で説いたもの。

孟子』・・・孟子とその弟子たちの言行録としてまとめられたもの。遅れて四書に組み込まれた書。日本では主に、性善説や仁義説を説いたものとして知れれているが、易姓革命(統治者の血筋が重要なのではなく、統治者の徳が続くことが重要という意)を軸とした、古代中国においての王朝交代を正当化した部分は、ある意味日本の天皇制や欧州の貴族制と相反する思想であったため、部分的に伏せられていたと言われている。

五経とは、儒教で基本経典とされる、『詩経』・『書経』・『礼経』・『易経』・『春秋経』の5つの書物を総称したもの。(参考;Wikipedia)

詩経』・・・中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。漢詩の祖型。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われ、韻の踏まれた文章が特徴。

書経』・・・政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集。

礼経』・・・さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具など、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をまとめたもの。

易経』・・・古代中国の占筮(細い竹を使用する占い)の書。符号を用いて状態の変遷、変化の予測を体系化した古典。中心思想は、陰と陽2種の元素の対立と統合により、世間万物の変化の法則を説いたもの。。

春秋経』・・・魯国の年次によって記録された中国春秋時代に関する編年体の歴史書。王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれたもの。

こういった教科書を使って、素読・講義・会読・輪講という形式で指導していたという。具体的な中身についてはとてもわかりやすいサイト [3]があったので以下の文章を引用することとする。

【素読】
漢学を学ぶにあたっていちばん初めにとりかかる学習段階で、声ををあげて文字を読み、文章をたどる学習段階である。けれども素読を、意味にも内容にもかまわず、ただ棒読み・棒暗記だけの作業と解してはならない。同じ「悪」という字でも「お」と読むのと「あ」と読むのとでは意味がまるでちがうし、「殺」という字も「さい」と「さつ」との読みかたの相違で、意味がまったく別になる。とりわけ近世で行われた素読というのは、漢文(という外国文)を国文化して読む作業、意味を読みとる作業だったから、句読の切りかた、訓点につけかた(読みがな、送りがな)次第で、文章の意味がどのようにでもかわるのである。それゆえに素読は講義、会読、輪講、質問にまでつながりをもって、学習体系の一環をなすだいじな基礎工作であった。

この素読には三つの段階があって、
〈第一段階〉一字一字、一句一句を正しく読みあげる学習
〈第二段階〉早く読み、長く読みつづける学習
〈第三段階〉ふつう「復読」と呼ばれた(復習の読み)で、とり読み、輪読のような競争意識にうったえる集団学習も行われた。素読の力がすすんだところで、まだ教えたことのない書物(多くは歴史の書)を自分の力で読ませたり、「広く読む」ことの読書を拡充する学習も行われた。ここまでくると、素読のうちにはちがいないが、しばしば「読書」と呼ばれた。

【講義】
素読を終えた子どもは、教師から「講義」をうける。素読で用いたテキスト(主として経書)について、教師からの講義のもとに内容を理解して身につける学習である。

【会読・輪講】
こうして一定の読書力と理解力とができあがったところで、生徒が一室にあつまって、所定の経典の所定の章句を中心として、お互いに問題をもちだしたり、討論をしあったり、解決しきれないところは仲間とともに教師の意見をきき指導をあおぐ共同学習である。

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以上から江戸期での教育は、素読を中心とした暗誦教育が徹底されていたことが窺える。暗誦教育のもたらす効果は、まだ検証する余地はあるが、大人から見ても難しい教科書を簡単に暗誦する子供達や江戸の日本の優秀さに触れるたびに効果は、現状の学力低下の実態を見ても確実のように感じる。

次回は庶民の学び屋、寺子屋について見ていきます。次回をお楽しみに!!

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