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家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(2) ~同化して充足する

[1]「家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!」シリーズ2回目です。
1回目:家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(1)プロローグ~子育て=人を育てるということ [2]
 
前回の記事で、家庭でも会社でも(学校でも)人が成長していく上で同化能力が重要である事が判りました。

そこで今回は、同化能力とは何か、どのように成長と関係していくのか、もう少し掘り下げてみたいと思います。

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るいネットからの紹介です。

対象への同化について [3]

[4]なんでや劇場「自分って何?生きるって何?」のお題の答えでキーワードとなった、「対象同一性」「対象に同化する」という概念がどうも分かりにくい、という声があったので、少し考えてみた。

先ず本能レベルでは次のことが言える。全ゆる存在は単体で存在しているわけではなく、全て外圧に対応する形で存在している。つまり環境が変化し、外圧(圧力状況)が変化すれば、その環境の変化に適応すべく新機能が形成され、新たな外圧状況に適応し得たものだけが生き残る(旧機能は新たに形成された最先端の機能の元に収束し、再統合される)。これが進化である。
また全ゆる生物は外圧(外的状況)を感覚機能を用いてキャッチし、それに対して最も適切な行動を取ろうとする。つまりそれらの意味で、全ゆる生命体の存在は構造的に「外圧=内圧」(外圧と主体がイコールで結ばれる)の形となっている。逆にいえば外圧に対応していない(同化していない)存在は、淘汰される。
以上は進化史上の例だが、日常的な場面でも内圧=活力は外圧があって初めて生じることからも、外圧=内圧の原理は実感できる。(例えば何の課題もなく、人の目も届かない無圧力の空間ではまったくやる気は生じてこない)

それに対して(サル及び)人類は、本能では生きていけないがゆえに、本能に代わる共認機能を獲得し、それを命綱にして強化してきた。(実現論1_4_01 [5])つまり共認機能とは本能の代替物である。一般動物の行動様式は本能にプログラミングされているが、人類の場合、本能だけでは適応できなかったゆえに、課題共認⇒役割共認⇒規範共認という形で形成された共認内容を道標にして行動=適応している。もちろんその意味では、本能と同じく共認機能にも、外圧=内圧の原理は貫徹されている。

加えて重要なことは、共認機能とはそもそも同化機能であるということである。それは、共認機能の成り立ちを考えてみればわかる。共認の原点は相手(の期待)と自分(の期待)を重ね合わせて充足を感じる、同一視の回路にある。(実現論1_4_01 [5])つまり相手に同化することで初めて共認は形成可能になる。あるいは相手(母親や周り)に同化する事で初めて、規範をはじめとした共認内容を獲得できる。いうまでもなく、これらの獲得がなければ、人間は集団生活や社会生活を営むことができない=適応できない。(それどころか人類は、妊娠中の母親の心理状態がその後の生育や性格に大きく影響するということが示しているように、既に母親の胎内にいる時点から同化が始まっており、それくらい共認機能=同化機能は決定的な存在である)

それだけではない、人類は同類だけではなく、自然対象に対しても共認機能を駆使し、対象に同化応合することで観念機能を形成した。つまり自然対象の語りかける声を聞き取る=それが意味するところや、背後に働く力を読み取ろうとしてきた。(実現論1_4_01 [5])つまり人類は全ゆる対象に対して共認機能=同化機能を用いており、それがなければ適応できない存在なのである。人類とは「同化存在」なのだ。

しかし恐るべきことに人類は、共認機能に付随して生まれた不全捨象の機能(自我機能等)の働きにより、目の前の不全や自分に都合の悪いことを捨象することもできる。たとえば社会不全や、圧力が既に私権圧力からみんな期待の同類圧力に転換していることを捨象している人も中にはいる。これは外圧の変化に内圧が同化できていない状態である。確かにごく短期間の間はその状態は成立する。しかしいうまでもなく外圧は現に実在し、勝手に消えてくれる訳ではない。生命の原理や共認機能の構造は、そのような外圧捨象の存在はごく短期間の間に淘汰されていくだけである事を教えてくれる。

人類が本能では生きていけないが故に獲得した共認機能。 
共認機能の原点が同一視・同化能力です。

外圧に対応するために、他の動物と違う能力を獲得したサル・人類は生まれながらにしてこの能力を持っているのです。

再び、るいネットから引用します。

まず同化して充足する [6]

[7]プラス感覚について、私も(身近な)事例からもう少し考えてみたいと思います。

私には1歳半(♀)と3歳半(♀)の2人の子供がいますが、彼女らを見ていて感ずることは、顔見知りの人がいるだけでとにかく嬉しいらしいのです。年一、ニ回顔を合わせる程度のおじいちゃん、おばあちゃんでも従兄妹でも、近所の「~ちゃんのお母さん」でも公園や幼稚園の友達でも(但し、若干の好き嫌いはあるらしい。)話し掛けてくれることが無常の喜びであるかのように感じます。私なども仕事から帰っただけで、これほど大喜びされることは今まで生きていて全く経験がなかっただけに最初は結構戸惑いました。

また、最近下の子が言葉を覚え始め、手足を比較的自由に使い始めるようになると、とにかく上の子や親の真似をすることがまた嬉しいらしい。いつも上の子供の後を付いて廻って同じことをしようとしています。食事でも上の子がお茶を飲むと下も真似をする。箸やスプーンを使って食べているといっしょにやらないと気が済まないらしい。それを誉めると尚嬉しいらしい。

このように幼少期は、親をはじめ周りの関係する人たちの中に喜びがあるように思います。勿論徐々に「自分」という意識も物の所有に関しては登場してきますが、「自分のおもちゃ」をたくさん確保したとしてもそれ自体に喜びはなく(逆に「占有」は廻りの大人から注意され、あまり気分のいいものではないようですが)、結局は他の友達の動向が気になって、直ぐに「占有」を忘れてその輪の中に加わろうとしたり、「自分のもの」でも貸してあげることで、廻りの大人も相手も喜ぶことにより自分も嬉しいと感じて、徐々にそのような行動が身についていくようです。

この「相手の喜び=自分の喜び」という感情・感覚が人間に備わっているプラス感覚の本質ではないかと思います。これは『実現論』(第一部:前史 ニ. [5])でも述べられている原猿時代後期に獲得した「同一視機能」を基にした相手+⇒仲間+共認機能ということが出来、その中身はまさしくそこで表現されている以下の内容です。

>相手の期待に応えることが、自己の期待を充足してもらうことと重ね合わされ同一視されている。つまり、相手の期待に応え充足を与えることは相手に期待し充足を得ることと表裏一体であり、相手に期待することは相手の期待に応えることと表裏一体である。従って、相手の期待に応えること自体が、自己の充足となる。共認の真髄は、そこにある。共認の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。<(『実現論』(同上 [5]))

親や廻りの人々との共有課題のない幼少期の子供の場合の期待の主要部分は親和充足といえるでしょう。ですから、この時期の親和充足体験がプラス感覚再生への大きな鍵ということになります。その意味で、問題は家庭にあるのではないでしょうか。

 
この事例のように「同化して充足する」、言い換えれば、「充足しながら人は成長する」という事だと思います。
 
順調にその能力を伸ばしていけば、人は成長していけるのですが、それを度々阻害してしまうのが、不全捨象の機能(自我機能等)や誤った観念(人と違った事をする方がマネをするよりすばらしい≒個性教育等)ではないでしょうか。

また、人は一番身近な人に同化します。
現代のように核家族では身近な人がかなり少数(ex.母親だけ)では、偏った人間になってしまう可能性が有ります。

子育てにおいてはなるべく一人の人間が囲い込まないようにし、学校・会社では、うまくいっている人に同化していく。
これが、充足しながら成長していくカギではないでしょうか。
 
 

同化能力その他の参考投稿
こんな子育てがしたい♪~ミラーニューロンと共認機能 [8]
共認充足がなければ生きられない [9]

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