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2010年10月21日

家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!(4) ~成長する=同化能力を向上させる!

 今回は「家庭の教育と社員(共同体)の教育って繋がってる?!」シリーズ4回目です。

 前回は幼児期に発せられる『何で?』『何で?』は、目の前の対象を理解する=同化しようとしているのであり、この同化機能は、対象を理解する重要な機能であることが解りました。今回は、この同化機能の重要性と、子供もしくは人が成長するとは、この同化機能を使って対象域が広がっていくことであることを考えてみたいと思います。
 
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 まず、『同化機能の重要性』が、10月17日のなんでや劇場にて議論されました。非常に重要な内容だと思いますのでここで引用させて頂きます。

10/17なんでや劇場(7)
現代~近未来 対象への同化こそが新しい認識を生み出す

~略~
 このことは、現代~近未来が実現の時代であることを示しており、社会期待として捉え返せば、実現期待の時代に入ったとも表現できるだろう。

では、共認収束⇒認識収束の時代に生き残ってゆくために必要なものは何か?それは、共認充足と(それを母胎にした)実現である。

充足を生み出すには、相手に同化する必要がある。実現するためには、対象に同化する必要がある。つまり、今後必要とされるのは、対象に対する同化であり、同化能力こそが現代~近未来の最終制覇力(実現力)であるということになるだろう。言い換えれば、観念力を鍛えるためにも、言語能力を磨くためにも、同化能力を鍛えるというのが最終回答になる。

 何かを実現するには、対象に肉薄する必要があります。そのために、対象への同化が必要です。この同化能力は、現代~近未来にかけての最終制覇力になりえるのです。 

 実は、この同化機能の成長こそが、子供が育つ、成長することと同義なのです。具体的に参考投稿をもとに考えていきましょう。 

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 以下の写真は、同化対象(世界)が、まずは母親から、次に仲間集団での遊び、そして大人の仲間入りをして仕事というようにどんどん広がっていってます。
 『ふるさと母の面影』さんより引用させて頂きました。

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「社会に出る」は人間の摂理

~略~

 歴史的に考えると、市場社会以前の本源集団や農業生産時代の村などは、一つの集団が一つの社会であったのだと思う。その集団の中で「より広がりの有る社会に出る」と言う事は、人が成長する過程においては当たり前のことであったと思う。

 母親や母親達に守られた存在である“乳児”から“幼児や少年達の社会(ガキ社会)”に出て“青年社会”へ“大人社会”へと小さな社会からより広がりのある社会へと出て行く。そして、それぞれの社会での役割を担う(=当事者になる)と言う事が一集団の中において成長すると言う事であったのだと思う。

同化って、人間の成長過程においてもっとも基本的なことじゃないかな

 最近、近くに住んでる1歳半くらいの甥っ子と接する機会が増えたが、確かに彼は何にでもすぐに同化する。ほんと、全然不可能視なんてなくて、大人のすることと同じことができると思っているし、同じことをしたがる。大人からみるとまだまだ同じことはできないと思えるけど、本人は大満足だったりする。

そんな様子を見ていると、人間の成長過程において同化とは、もっとも基本的なことなんじゃないかと感じる。初めから確かな「自分」なんてものはなくて、周りに同化していくことで様々なことを獲得して成長していく。それは、子供においては特に顕著だが、大人になってからだって同じじゃないかと思う。だから、年齢に関係なく相手や周りに同化できる人はどんどん人間的に成長していける。

 結局、同化による人間的な成長を妨げているのが、「自分」とか「自我」とかいうもの。可能性一杯の子供が、学校などに通い始めると、「自分の考えをはっきり持ちなさい」なんて感じで、「自分」や「自我」を教育によって刷り込まれていく。で、「自分」や「自我」を確立していけばいくほど、不可能視が強くなって、同化できなくなる。

学校などの教育機関で、「自分」や「自我」を刷り込むんじゃなくて、もっと同化の重要性を意識した運営がされていけば、子供も大人も変わっていけるんじゃないかな。

 この2つの投稿を読んでみると、子供が接する世界が【親子空間⇒仲間空間⇒大人への仲間入り(社会空間)】と広がるにつれて、その期待や課題が広がり(難易度が上がり)、その課題を同化し応えることで充足を得る。このことで人は成長するのだと思います。つまり同化能力の獲得=人の成長なのです!! 😀 😀

 それと同時に、この同化能力を阻害するものが、実は、『自分』観念であったり、『自分』第一教育であったりするのです。近代・現代学校教育で普通に教え込まれる『自分分の意見を持ちなさい、自分の考えを持ちなさい』は、人が集団、社会ので生きていくには、第一義的に必要なことではないのです。最後に、この内容に関する投稿を一つ引用させてもらいます。

自我の確立って、何?

>近代人は人格の形成を「自我の確立」と呼び、全ての学校で「自我の確立」を善とする染脳教育が行われています。これは、事実に反するとんでもない誤りであり、霊長類の命綱たる共認機能に対する極めて犯罪的な破壊行為でしょう。事実は、『共認の確立』こそが、あるいは象徴的に云えば『規範(意識)の確立』こそが、人格の形成なのであって、もし共認を捨象して自我だけを確立させれば(自我は決して確立など出来ませんが)、分裂病その他に発狂して終うに違いありません。(現代人が多かれ少なかれ狂っているのも、その様な自我思想や自我教育の所為ではないでしょうか。) (『自我ではなく、共認こそ原点である 』)

 よく育児書などを見ると、2歳児くらいの段階で、なんでも「自分でする!」と言い始める時期を自我の芽生えとして“自己主張”が発現する時期と言っています。しかし、上記のように『共認の確立』の過程ということで捉えると、「自分でする!」と言い出すことは、親のすることを意識的に模倣し、評価を得て充足する行為と捉えられます。必ず、「自分でする!」(やってみる)~「見て!見て!」という課題を設定→共認し、「(自分でできて)すごい?」という確認行為により行動の評価を受けて充足を得ようとしているだけで、自分のやりたいことを“主張”して、“要求”を通そうなどとは微塵も考えていないのだと思います。

また、3~4歳頃は第1次反抗期、13~14歳頃は第2次反抗期(人によっては6~7歳頃を中間反抗期)と呼ばれ、一般的には「自我の芽生え」から「自我の確立」へのステップとして、自己と他者の区別を明確につけ、「自立」していく段階と捉えられています。これも同様の視点で見ると、全く異なった事実が見えてきます。これらの時期はちょうど幼稚園、中学校(小学校)への進学する時期と一致します。当然子供の意識としては、新たな仲間との共認が第1義的な価値を持ちます。閉塞した一対婚家庭の中での共認内容とは相容れない部分が多数存在し、引力は“仲間”にあるので、親(の価値観)との対立が起こるのも必然です。一対婚家庭という狭い世界から見れば、“自己”の確立に写りますが、仲間世界から見ればあくまで“共認”の確立(の過程)でしかありません。

上記のように、『共認の確立』という概念で捉えると、様々な問題現象も、「ではその共認内容はどんなだったか?」と思考をどんどん対象に向けることができ、行動の正邪判断もその突破口も見えてきますが、個人(自我)に立脚した途端に、上っ面の現象認識(しかも事実誤認)にしか至らないので、結局個々の個人の価値判断に委ねられるしかないことが解ります。

>「自我こそ原点である(or意識の統合者である)」とする個人主義(ひいては近代思想)の根幹概念が、事実に反する迷信である・・・『共認こそ原点であり、意識の統合者である』(同上)

ということを伝えていかなければならないと、改めて強く思いました。

 次回は、家庭ではなく、企業で求められる能力、社会の役に立つ能力とは何か?を追求していきたいと思います。それでは。 😀 😀 😀

投稿者 hoop200 : 2010年10月21日 List   

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