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つなぐ社会∞紡ぎ合う次代6~見知らぬ人々との認識交流の場=原初の社会~

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こんにちはみっちーです

前回の記事(つなぐ社会∞紡ぎ合う次代5 [2])では、みんなの意識=活力源はみんな期待に変わっているのに、なぜ社会の制度や仕組みは変わっていかないのか?を明らかにしました。その原因は大きく2つで、 「旧観念の問題」「共認形成の場を支配されていること」でした。

今回はこの問題を突破していくために、「新たな観念とは?」と「共認形成の場を創っていくには?」を紹介します。

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■次代を読むより引用 [3]
 今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。

 ただ、現実(=この時代)は複雑で、自分一人で考えても見極められないし、判断を誤る危険もある。何より、一人で考えても、活力が出てこない。だから、認識の必要に気付いた皆で、現実に使える認識を紡ぎ出してゆく『場』があればいい。それが、認識交流の場である。

◆現実を捉えるには? ~みんなで徹底して事実を追求すること~
現実を捉えるには、まずはあらゆる現象やデータを検証し、その現象やデータが出てきた原因を徹底的に追求していく必要があります。しかも各々の領域の中だけで考えても、問題の本質はつかめません。

それは環境破壊の根本原因が大量生産・大量消費にあることが示すように、現代の社会問題のほとんどはあらゆる分野での原因が複雑に絡み合って生じているからです。

そのため個人だけではなく、みんなで分野を越えて柔軟に思考し、徹底した事実の追求を重ねていくことで初めて、現実を捉えていくことが可能となります。

 既に、答えを求める『みんな期待』は急速に高まってきており、今や、『発信欠乏が喉元まで出かかっている』段階に来ていると言っても良い。言い換えれば、誰もが答え欠乏⇒発信欠乏に応えてくれるのを待ち望んでいる状態にある。

 おそらく、私権の衰弱と不全の増大の最終局面では、見知らぬ人への警戒心より、答えを求める人(みんな)収束の引力が上回り、街のあちこちで見知らぬ人同士が声をかけ合い、語り合う風景が現出するだろう。

 実際、電車の中でも飲み屋でも、見知らぬ人に声をかけ、新しい認識を語れば、殆どの人が、待ってましたとばかりに、自分の思いを話し出す。しかし、集団を出た人々が行き交い溜まれる場は、基本的には路上しかない。既に、その萌芽は、路上のジベタリアンや、路上パフォーマーの周りの人だかりetc.として現われ始めている。

◆勉強会への参加
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答え欠乏の高まりから、勉強会へ参加する人が増えている。社会人の3人に1人が、勉強会に参加しているとは驚きです!この流れは、今後もさらに加速していきそうです。

 路上で出会う見知らぬ人たちは、完全に集団から離脱した社会空間にいる。しかも、今や誰もが答えを求めている。そこでみんなと語り合える共認形成の場を形成することが出来れば、その場は完全に集団を超えた、新しい社会の原初形態、つまり『原初の社会』そのものとなる。しかもそれは、人々が初めて身近なものとして感じられる社会である。

私権時代が終焉し、みんなが自分達の生きる場である社会のことを自ら考え始め、新たに創り出していこうとしています。これは新しい社会の原初形態=原初の社会であり、まさに次代の幕開けといえます。

つまり新たな観念とは、 『徹底した事実追求による現実に使える新認識』であり、共認形成の場は『既存集団を超えた社会空間においてみんなの手で創る原初の社会そのもの』です。

次回はこの原初の社会を創っていく、具体的な取組みを紹介したいと思います。

最後まで読んで頂いて、ありがとうございます。

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