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新たな時代の教育制度の提案に向けて~フランスの教育制度2(公教育制度の成立過程)~

みなさん、こんにちは。
各国の教育制度を概観し、その上で今後の日本の教育制度のあり方を考える「新たな時代の教育制度の提案に向けて」シリーズの第6回をお届けします。

今日は、前回に引き続きフランスの教育制度を採り上げます。

 ※「新たな時代の教育制度の提案に向けて」シリーズのこれまでの記事
  第1回「新たな時代の教育制度の提案に向けて~イギリスの教育制度(現在)~」 [1]
  第2回「新たな時代の教育制度の提案に向けて~イギリスの教育制度(変遷と社会的意味)~」 [2]
  第3回「新たな時代の教育制度の提案に向けて~ドイツの教育制度(現在)~」 [3]
  第4回「新たな時代の教育制度の提案に向けて~ドイツの教育制度(変遷と社会的意味)~」 [4]
  第5回「新たな時代の教育制度の提案に向けて~フランスの教育制度(自由・平等・友愛と学歴社会)~」 [5]

前回は、フランスの公教育制度には二つの顔があることを紹介しました。

一つは、誰でも無償で教育を受けることが出来る、義務教育~高校・大学までの教育制度。いわば「自由・平等・博愛」という理念に基づく教育制度

もう一つは、親の社会的地位・家庭環境等に恵まれた一部の優秀な人だけが進むことができる“エリート製造装置”としてのグランド・ゼコールという教育制度。いわば「学歴(身分)」を作り出す教育制度

<凱旋門>写真はコチラ [6]から
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今回は、この二つの顔を持つフランスの“公教育制度”は、どのような時代背景において、どのような目的で成立したのか? 歴史を遡りその成立過程に迫ります。

一般的に、現在の学校教育は、“国家”により定められた“教育制度”に基づき行われています。 “国家”は、“法律”を定め、“公費”を充て、“学校”などの教育施設を設置し、公的規範の枠組みの中で、制度化された形で営まれています。この教育が『公教育』といわれます。また、 これは“学校教育”“義務教育”と密接に繋がっています。

この「公教育」は、どのような時代背景の下、何を目的に始まったのか。そこには、“産業革命”“国民国家”の成立、“近代思想”が深く関わっているようです。「自由・平等・友愛」を国家理念とするフランスでは、どのように公教育制度が成立したのでしょうか?

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◇“国家”主導の国民意識の形成

大革命(フランス革命)により、「自由・平等・友愛」を理念とする国民国家がすぐに出来上がったわけではなかった。「自由・平等・友愛」という理念が、アンジャン・レジーム下の国教カトリックにとってかわる、大衆の共認となるのに1世紀以上の時間を要している。なぜなら、国民の意識統合の要となる初等教育に対して、カトリック教会が19世紀末まで隠然たる勢力を保ち続けたからである。

ナポレオンの第一帝政崩壊後、ブルボン復古王制、オルレアン七月王政、第二共和制、第二帝政とめまぐるしく変わる政体を経て、1871年に成立した第三共和制も初期には王党派とカタリックの攻勢に押され続けた。1879年にようやく議会主義共和制が政治的主導権を掌握して、1880年代に初等教育革命を初めとする共和主義的公民形成に本腰をいれはじめた

<パリ万博開催時のパリ>写真はコチラ [8]から
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1880年代のフランスは、大革命百年祭に合わせてパリ万博が計画されたのを始め、国民意識の宣揚がさまざまな分野で図られた。

例えば、1879年:ラ・マルセイエーズ(革命戦争時の義勇軍の軍歌)が国歌となり、1880年:七月十四日(バスティーユ襲撃の日)が国民祝祭日(建国記念日)に定められた。また、共和国を象徴する彫像「マリアンヌ」が、全国に設置され、パリのナシオン(国民)広場に「共和国の勝利」群像が置かれた。

このように1889年の大革命百年祭の時期に、いわば「国民共通の歴史的経験」の共認形成を図るセレモニーが、強力な“国家”の意志の下に開催された。ただし、フランス革命全体の歴史構造を忠実に再現したわけではなく、国王処刑や恐怖政治がらみの血生臭い出来事は、注意深く除かれている。

『フランス公教育制度の成立状況1~“国家”主導の国民意識の形成』 [9]より

◇子供たちは「国民になることを」学ぶ

大革命百年祭の一連のセレモニーは、文字通り建国神話の創出。絶対王権が神から授けれられたものとして、教会に聖別されたように、共和国の建設神話は「科学的歴史学」によって聖別された。そして、この新しい国民史は、学校での歴史教育を介して広く共有されていく

『プチ・ラヴィス』
初等学校向けフランス史教科書(改訂版)の愛称。国民教育の「バイブル」的存在。義務教育化の波にのって、10年ほどの間に75版を重ねている。

それ以前の初等教育では、カトリック教会の影響が強く、歴史と言っても聖書物語や聖人伝を教えるだけだったが、それに替わり、低学年から世俗的解釈で書かれた自国の近代史を系統的に教えた。つまり、小学生に「祖国」概念を注入し、共和主義的公民を作り上げることが目的だった。

『二人の子どものフランス巡歴―義務と祖国』
普仏戦争直後に孤児となった二人の少年が、生まれ故郷のロレーヌを離れ、叔父を求めてフラン各地を訪ね歩くという物語。

まず、巡歴の道中で「さまざまなフランス」を理解させる。ついで、それらを統合する祖国の一体性を代表とするものとして、ガリア以来の英雄伝説や歴史上の偉人の話を織り込む。そして、フランス語=国民の習得に国民的紐帯を求める。

「国」といえば自分が生まれ育った「故郷」だった当時の地方農村の子どもたちに、主人公の「冒険旅行」を通じて、「フランス国民になるための旅」を体験させた

『最後の授業』
普仏戦争でフランスが負けたため、アルザスはプロイセン王国(ドイツ帝国)領エルザスになって、ドイツ語しか教えてはいけないことになった。アメル先生によるフランス語での最後の授業の様子が描かれた日本でも有名な小説。

アメル先生はフランス語の優秀さを生徒に語り、終業の時、黒板に「Vive La France!」(フランス万歳!)と書いて“最後の授業”を終える。当時の子供達の祖国心を高揚した

参考:谷川稔「国家とナショナリズム」

『フランス公教育制度の成立状況2~子供たちは「国民になることを」学ぶ』 [10]より

◇公教育制度の目的とは?
産業革命を経て、農業から工業へと生産様式が転換。市場拡大の可能性が開け、国力が生産力へと転換した時代。

◆生産力上昇には、知識と技能を持った労働者が多数必要
  ⇒その為の教育や訓練を効率的に行いたい

◆近代国家の確立には、国家の発展に貢献する「国民」の育成が必要
  ⇒農村から都会へ移動した人々に「祖国」意識を植え付け、
  「自由・平等・友愛」という理念を人々を繋ぐ新しい紐帯にしたい

“国家”“資本家”その背後の“金貸し”の思惑、つまり、近代国家(国民国家)の“国民”を作出すためにつくられた国家制度が“公教育制度”であり、国家による一般大衆の“観念支配”こそが、その最大の目的だと言えるのでないでしょうか。

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