- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

「いい女って、何?いい男って、何?」~全的な集団の中でいい女・いい男が育まれる

!★★◆「いい女って、何?いい男って、何?」シリーズです!★★

0155.jpg 0203.jpg art0809080722000-p1.jpg

「いい女って、何?いい男って、何?」シリーズでは、いい女やいい男とは?を追求してきました。ただ、いい男・いい女規範やその観念があるだけでは成立しえず、集団という基盤を通して成立してきたことが分かりました。その集団は、本来どうあったのか?何が必要だったのか?を理解するうえで、答えとなる記事がありましたので紹介します。

【るいネット 実現論.ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止】 [1]より
全ての生物集団は、闘争過程と生殖過程を包摂した全的な集団として存在しており、全ての生物はその中で進化してきた。もちろん人類も、原始時代からずっとそれを踏襲し、闘争と生殖を包摂した全的な集団の中で、今日の人類に進化してきたのである。原始時代だけでなく農業生産の時代もそうであって、例えば農家は、今日の家庭の様な単なる生殖と消費だけの場ではなく、それ自体が一個の生産体であり、従ってそこには、自然圧力をはじめ様々な闘争圧力が働いていた。だから子供たちは、働いている両親の背中を見ているだけで(学校など無くても)、健全に育っていったのである。

かつては、この【闘争と生殖を包摂した全的な集団】が基盤となって、子供が健全に育ち、男として、女として立派に社会に出ていったのであります。この【闘争と生殖を包摂した全的な集団】は、いまの企業や家庭とかなり違っていると思われます。また、この集団で営まれ、育まれていったものは?なんだったのでしょうか?大切なものを見失っているように思います。この続きは、下記で掲載します。

 
いつも応援ありがとうございます 😀

futari.jpg  nogu-105.jpg
 私たち人間は、古くから、集団で生きてきました。全てを集団に委ね、全てを包摂した集団の中で進化して、今ここに存在しています。集団なしではいきてゆくこともままならない状況から、私たちは、集団の仲間や男女の関係を作ってきました。いつでも集団の中では、課題を共有し、役割を認め合い、規範に従って、みなの評価を羅針盤としていました。「いい男・いい女」という男女の役割・規範とその評価もこの【闘争と生殖を包摂した全的な集団】の中で、お互い認め合ってきたのだろうと思います。この互いの共認充足を得て、その先の活力につなげてきました。また、全てを包摂する集団であるが故に、集団外の状況(現在的に言えば社会)を認識して、みながみなの期待に応えるという期待と応望の関係(共認関係)があったのだと思います。

 女は、生殖・親和の場面では、男のみならず、村の仲間達に充足を与え、男は、女の充足と期待と活力源にして、集団をまとめ、外圧状況(社会状況)と課題解決に邁進して、闘ったことでしょう。
このように、【闘争と生殖を包摂した全的な集団】では、まともな、男女規範、集団規範が存在し、健全な子供が育つという本来の人間らしい営みが存在したのだろうと思います。

さて、現在に戻り、いまの集団をイメージしてみてください。現代的に言えば、集団といえば、企業や学校、家庭も集団と言えます。考えてみると、この集団は、市場が拡大するにつれて、闘争の場(=生産の場・職場)と生殖の場(=消費の場・家庭)が完全に分断されている構造に気づくと思います。下記の記事には、こんなことも書いてあります。

【るいネット 実現論.ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止】 [1]より

市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されてしまったが、これは実は、生物史上かつて無かった極めて異常な状態である。

確かに、男女の役割や課題やその評価、関係のみならず人々の関係の中での共認充足が、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断されることにより、全く得られないという構造に陥ってしまいました。生物史上、極めて異常であると思います。例えば・・・

★家庭では・・・
・「旦那元気で留守がいい」という言葉に代表されるように、男女の共通の課題は、子育てくらいで、熟年離婚が当然となってしまう現状や最後の男女共認の場であるセックスもほぼ壊滅的しつつある。その家庭では、何の圧力も働かず教育不能状態になってしまった。
skt070604000-1.jpg %E5%AE%B6%E6%97%8F%E5%B4%A9~1.JPG

★職場では・・・
・会社のためのみ働き、私権を獲得するだけしか評価を得られず、分断された職場と家庭を行き来するだけのサラリーマンと化してしまいました。私権秩序が崩壊し、市場拡大が停止した現在、その突破口は見えず、社員同士の共認充足もままならず一人悩み、うつや精神を病む状況が多発している。
eyes0783.jpg eyes0894.jpg skt070530000-1.jpg

などなど、事例を挙げたらきりがないですが、「市場の拡大によって、闘争の場(職場)と生殖の場(家庭)が分断」されたことに起因しています。男女の共認充足も同じ構造であります。

しかし、現在は、この記事から時は進んでいると思われます。市場の拡大が停止して、
①闘争と生殖、生産と消費が分断してさせていた私権追求の箍がはずれ、
②多くの社会不全が現在化し初め、大きな課題と圧力が社会を席捲

しています。これらの状況は、実は、行く先がないという不全と捉えるよりも、新たな集団再生の可能性などの生み出る過渡期と捉えられはしないだろうか?

次回は、この古い私権獲得競争時代に代わる新しい集団の目標を明確にしたいと思います。

【追伸】

私たちのブログの追求テーマである「家庭を聖域にしてはいけない」は、この実現論の下記のくだりからの問題意識が源泉にあります。どうぞ、読んでみてください。

【るいネット 実現論.ロ.肉体破壊・精神破壊と市場の拡大停止】 [1]より

★市場拡大によって職場と家庭が分断され、かつ家庭が絶対不可侵の聖域となった(例えば、よく「企業が悪い」「学校が悪い」と糾弾されるが、「家庭が悪い」と糾弾されることは殆どない)ことによって、家庭には何の圧力も働かなくなり、その結果、家庭は子供を教育する資質をほぼ全面的に喪ってしまった。サラリーマン家庭が孕む教育不能という問題の深刻さは、当分の間は、まだ農家育ちの祖父母や両親が居たお陰で、顕在化してこなかった。しかし、農村から都市への大移動がほぼ終わった’70年以降、その致命的な欠陥が徐々に露呈され始め、とりわけ老人と共に農家時代の諸規範が家庭から消え去った’90年以降、若者たちの間に心の欠陥児が急増し、子供の精神破壊が恐ろしいスピードで進行中である。

◆また、るいネットには、こんな記事もありますので参考にして下さい。
★男にとっての神秘性・女にとっての畏敬の念 [2]
★場と課題を共有できる仲間 [3]
★男女の役割充足は外圧を共有することから [4]
★男と女は充たし合うためにある [5]
★仕事をする上で重要な、「男であること」「女であること」。 [6]
★闘争と生殖の包摂① [7]
★闘争と生殖の包摂② [8]

[9] [10] [11]