みなさんこんにちは 😛
こちら [1]よりお借りしました。
これまでここ『家庭を聖域にしてはいけない』では遊びの重要性について追求してきました。遊び再興の可能性として集団の再生が必要だということもわかりました 🙂
では、その集団の再生はどうすれば実現できるのでしょうか?
何かヒントは無いかと探索していると、農村留学を行っている「大地の学校」という取り組み事例を見つけました。
よく耳にする”農業体験”ではなく、農村に”留学”するってどういうことなんでしょうか
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こちら [1]よりお借りしました。
以下大地の学校のHP [1]より抜粋
農村留学とは
人が大人になるに当たって必要なことの基本は家庭生活で学びます。
ところが、現代の高度産業社会は、大きく見れば都市と農村、生産と消費の分極化が進み、個人の孤立化と家庭の空洞化をもたらす傾向に有ります。
それゆえ、現代の子どもたちは、人との関わり方や生活の知恵といった基本的なことを家庭という身近なところで学べないまま過ごしています。
学級崩壊や荒れる学校といった問題は、教育の制度や体制における問題も有るでしょうが、子どもを育む生活の有り方も大いに問題にすべきでしょう。農村留学とは、そのような都会の子どもが、暮らしと生産が一つになった農村生活に移り、生活から派生する諸々の関係性と知恵を学ぶことを言います。
別の言い方をすれば、都会の核家族から農村の大家族への留学ということです。そして、<大地>の特質は、子どもたちを森田家という家庭の中に入れる点であり、留学での教育基本を家庭教育の場として位置付けていることです。
ここでは生活の全てが教育と位置づけ、毎日の生活、そして年間を通じた活動計画を組んで子供たちに接するようにしています。
ここ「大地の学校」では、全国から小1~高1までの子供達が最低1年間親元を離れ北海道で、森田夫婦とともにひとつの大きな家族として生活しています。そこで子供達は動物達の世話や農作業を通して様々なことを学び成長していくのです。
そんな子供たちの成長は卒業文集からも垣間見えます。その一部を抜粋します。
「はっぴー」小6
ここにくると、自分の仕事を責任持ってやらなきゃいけないし、物事を考えて行動しなきゃいけないし、寝るとき以外は、気が抜けないって感じだった。でも楽しいこともたくさんある。しんどいこと以上に楽しいことの大きさは大きい。だから1年間くいの残らないような生活ができたはずだ。大地の学校に私達が来てからの間でも、たくさんの動物が死にました。でもそいつらはみんなの優しさにつつまれて死んだんだろうなー・・・。動物の身近な命を一生懸命育て上げ、大きくしていくのはなんかお母さんになった気分です。
こちらからお借りしました。「あっち」実習留学 15歳
本当に最初の頃は体力がなく、休みが欲しいと思うぐらい疲れ果てていたが、体の疲れはすぐ取れるし、慣れる事も出来るが、大阪での高校生活で味わった心の疲れはそう簡単には取れない。が、ここではそういった心の疲れはまったくといって言いほどなく、僕にとっては毎日が楽しく、新しい発見の連続であり、又、都会では味わうことの出来ない安らぎ、興奮を与えてくれました。、「仕事は遅くても、確実にするものであり、いくら速かろうが雑であれば二度手間になる」と言われ、「仕事というのは、やりたいことが出来るのではなく出来ることをやらしてもらえる」というのを教わった。僕は今まで自分の考えが甘かったことを思い、心を入れ替えて仕事に取り組もうと思う。
働く事に年齢は関係ないという事を知った。30歳だろうが15歳だろうが働くという事や、生きるという事にかわりはないとわかった。
農村留学を通じて子供達は仕事を楽しみ、仕事の厳しさを学び、命を慈しむ心を育んでいきます。ここでは集団の解体以来失ってしまった多くの充足を得ることが出来るのです。
こんな大地の学校を運営している森田さんはどんな想いで運営しているのでしょうか?
私の願うところ 大地の学校HP [1]より
現代は人類始まって以来の巨大都市を生み出し、その文化も変貌を遂げ続けています。
しかし、人の体や心はそれに適応できた形になっているのでしょうか。
社会の構造と人の心の離反が、異常な程のいじめや様々な暴力事件を生み出しているようにも思えます。
子どもを取り巻く、相変わらずのエリート指向の受験社会。
広辞苑によれば、教育とは『人を教えて知能をつけること』とあります。
だとすれば、今の教育は、何の為のどういう知能でしょうか。
私は公教育を否定するものではありません。
しかし、人の成長には公教育で亊足れりとは思えません。
まして今の公教育を至上とする価値観にも異議のあるところです。
現在、公立や私立の学校と名の付くところ、また塾と名の付くところのほとんどは公教育、
あるいは公教育の補完的な役割を担っています。
私は、子どもにとって豊かな教育環境とは、公教育以外にも、多様な価値観に基づく
多様な教育の場が保証されていることだと思っています。
<大地の学校>はその一つで在りたいし、全国にもっといろんな私教育の場が在っていいのだと願っています。
<大地の学校> 森田真礼夫
僕自身この大地の学校を調べてみて、とても大きな可能性を感じました。
自然の中で、年齢の違う沢山の家族の中で毎日懸命に生活する。これこそが本来の集団の在り方であり、こうした集団の中でこそ人は本当に必要な能力を身に付けていけます。今後こうした取り組みが広まり、集団の再生が実現されるようにもっと色んな可能性を追求していきたいと思います!