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役人(エリート)が無能化するの何で?

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(写真は、近代建築散策 [3]さん、Simple is Best [4]さんのページからお借りしました)

 最近話題になっている「事業仕分け」論争で、役人の無能ぶりが露呈され始めています。

「スパコンの仕分け、非難されるべきは役人の無能だ」 [5]にはその無能ぶりがレポートされています。

 仕分け人からは「成功事例を調査というが全国のどこを調べるのか?」「全部調べるのか?」といった質問が矢継ぎ早に飛ばされたが、役人からはほとんどまともな答えが返ってこない。
 圧巻は「人口減少のなかで未利用地が増えることは不可避。いくら調査しても解決策などあるはずがない」という仕分け人からの突っ込みに対して、国交省幹部が「おっしゃる通り解決策はない」と応じてしまったことだった。その後に、それでも必要なのだという言葉を続けていたが、まったく説得力を欠いた言葉の羅列に終始した感はいなめなかった。

では、どうして官僚達は無能になってしまったのか?
以下、「共認の輪 るいNETWORK 『自分だけエリート!?~それでは日本社会は持たない・・・~』」 [6]からの引用です。

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 編集部:学校が教科書の内容も含めて現実社会から遊離してしまっているという基本問題があるのではないか。親からも地域からも切り離し、学校という密室で遊びをさせている。学校時代は勉強ができないワルだったが、土建屋なり漁師になって、そこからなにをどう勉強すればいいか初めてわかって本気になって勉強したといった話をよく聞く。子どもたちが大人になって社会に出て、どんな仕事にしてもそれを頑張ってやることで人の役に立つし社会の役に立つ、そうしてこそ自分の生活も成り立つのであり、そのためには勉強しないといけない。学力低下の根源は、こうした社会性を否定して、「好きなようにやりなさい」という自由主義だ。だから基準がなくなり、規制するものがなくなってしまう。

 F:小学校は「楽しく」でやっているが、中学校になるともう進学一色だ。小学校のときにその気になって遊びほうけていたら、ひどい目にあう。一方通行の授業も中学校になるともっとすごいらしい。

 編集部:そうしたなかで成績のよい子はどうかというと、今ごろは就職してくるエリートが使いものにならないというのがどこでも話になっている。山口県庁でも市役所でも製鉄所でも造船でも、大学出ほどマニュアル人間で、現場で使えないと話になっている。大学の教員に聞くと、大学の低学力も大変なことになっていると話している。

 D:最近は大学出のエリートが教育実習で現場に出るが、もうそれでやっていけないというので教師を目指さない人がかなりいる。

 C:新採の教師が、学級が崩壊して1年でやめた。その教師はいわゆる“お友だち感覚”で子どもとつきあっていて破産したのだが、頭はよくて教員採用試験も市役所の試験も通っていく。

司会:教員採用試験のペーパーテストでいい点をとった若い教師が、現場に来たら人間関係が結べず、親とトラブルを起こしてたいへんという。

 C:ある有名国立大卒の校長だが、「私のところに嫌なことは持ってこないでください」といって、すべての嫌なことから逃げ、教師から総スカンを食っていた。頭のいい子は自分のことしか頭にない。他の人のことを考えない。嫌なことから逃げてかかわらないとなっていく。損か得かと、パッパと計算する。エリートといってもひ弱だ。ただ偏差値が高いだけだ。

 編集部:エリートが、人をまとめて引っ張って行くリーダーでない。自分だけエリートだ。それは資本主義で行こうというとき、労働者をまとめていかないと生産もできないが、そういうリーダーをつくろうとしていない。それでは日本社会は持たない。


 「自分だけ」という意識を植え付けられる教育にどっぷりつかり、その教育の中でトップに立った結果、無能化してしまったエリート(官僚)達。その無能の輩が今の日本を動かしているのであり、しかも、そんな無能の輩がどんどん社会に輩出されているのである。

 それに比べて、引用記事にもある通り、学校では勉強が出来なかった子供が、大人になって社会に出ることで、社会の役に立つために勉強するようになるといった事例がある。

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(写真は、類塾さんのページからお借りしました)

 すなわち、「周り(社会)に意識を向ける」ことで、活力が上がり、社会にとって有能な人材になって行く。
 つまり、「周り(社会)」を対象化させるような教育によって、子供を有能にしていくことができる。そのように、社会的目的意識を顕在化させるような教育が、今必要なのではないだろうか。

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