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幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験

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(木登り:画像はコチラ [2]からお借りしました。)

前回の記事 [3]は主に、子供時代の遊びとは生物において本能機能を最大限に発揮するための訓練であり、遊びは最大の学習ではないか、という切り口で書きました。
今回はさらにその遊びの中身についての別の切り口で書かれた記事を紹介したいと思います。

以下、「共認の輪 るいNETWORK 『幼少期の遊びは、胎児期に次ぐ“生命進化”の追体験』 [4]」からの引用です。

子どもは、現実社会の制約(受験制度など)を受けず、主体的な遊びを通して、工夫思考(本能⇒共認)を発達させていく可能性を持っていますが、その育成過程を考えたとき、それは『人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びついている』という壮大な仮説を見つけ、面白いと思いました。

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(生物の進化:画像はコチラ [6]からお借りしました。)

『動物進化を追体験する子どもの遊び』雛元昌弘氏 [4]より、以下引用します。

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1.子どもはなぜ遊ぶか

 「子どもはなぜ遊ぶか」についての従来の学説は、「剰余エネルギー説」「気晴らし説」「本能説」「大人への準備説」「人類の進化の反復説」「般化説」「代償説」「浄化説」「精神分析説」「発達説」「学習説」(M・J・エリス『人間はなぜ遊ぶか』、山田敏『遊びと教育』)などです。これらの説は、1つ1つはなるほど、と思うものの、何か、説明しきれていないものがあることを感じていました。

2.幼児期から児童期の子どもの遊びは、動物進化の追体験

 これに対して、私の仮説は、「幼児期から児童期(特に、低学年期)の子どもの遊びは、人間の成長に必要な、動物進化を追体験する本能である」というものです。
 この説は、「なぜ子どもは木登りが好きなのか」という考察から始まり、子どもの行動を観察した結果に基づく遊びの分類からたどりついたもので、それを、人類のDNAに残されている、魚類から両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類から猿、人への進化の課程の記憶と結びつけた仮説です。これまでの遊びの学説との違いは、「人類進化の歴史の反復説」を、魚類や両生類、鳥類、は虫類、原始ほ乳類などにまで遡らせたものです。
(中略)

下の表はこの仮説の提唱している雛元昌弘氏が作成した遊びの種類と分類です。確かに、こうして分類してみるとこの仮説で大半が説明できます。

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(幼児期から児童期の子どもが喜ぶ野外遊びの種類:画像はコチラ [8]からお借りしました。)

『動物進化を追体験する子どもの遊び』雛元昌弘氏 [4]より、以下引用します。

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9.進化の歴史をたどる

[9](胎児の世界:画像はコチラ [10]からお借りしました。) 人のDNAのうち、95%は人の遺伝子としては使われておらず、残りの部分には、生命誕生からの進化の情報が全て書き込まれている、といわれています。
 また、人は、母親の胎内で、わずか10か月のうちに、魚から両生類、は虫類、ほ乳類の形態の変化をたどっていると言われます。
 そう考えると、人は、知らず知らずのうちに、動物が進化してきた、人以前の生物の古い成長の歴史を刻んだDNAに導かれて、遊びでその跡をたどってきている可能性が十分にあります。それは、人の記憶や体験からは説明が不可能なことがらなのです。
なぜ、木登りがしたいのか、なぜ、砂遊びや泥遊びをしたいのか、空を飛びたいのか、人の進化のDNAからだけでは、説明しきれません。

10.人固有の遊び

 では、子どもの遊びが全て、人以前の記憶をたどっているかというと、人固有の遊びもあります。
 例えば、「おしゃべり」や「歌遊び」、「ごっこ遊び(ファンタジー、集団の役割分担)」や「ゲーム」、「火遊び」や「ままごと遊び」、「舟遊び」や「車遊び」、「玩具遊び」「道具遊び」「創作活動」「お絵描き」「楽器演奏」、「飼育や栽培」などは、人固有のものです。
 子どもにとっては、これらの、人固有の「社会体験遊び」や「生活体験遊び」、「仕事体験遊び」、「技術・文化体験遊び」が重要ですが、幼児期や児童期の肉体的・精神的な形成には、それ以前の「動物遊び」がより重要なように思います。
 木登りや泥遊び、水遊びなどは、決して低級な遊びではなく、人が発達の過程で必要とするより根源的な遊びではないでしょうか?

11.子どもの野外遊びの復権

 今、子ども達の遊ぶ時間が塾通いやテレビなどで少なくなり、特に、野外での集団遊びの機会がなくなり、なかでも、危険と思われる水遊びや木登りなどの野外遊びの経験が減少してきています。
 人が、母親の胎内の水の中で育ち、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への形態進化をたどるように、もし、長い人類の歴史の中で、子どもが遊びを通して、魚から両生類、は虫類、ほ乳類への進化の歴史を追体験してきたとすれば、そのような遊びの機会をなんの検証もなく止めてしまう、というのは心配です。長い人の歴史の中で続けてきた子どもの遊びを、突然、危険だからと止めさせてしまう、本来、やりたい活動をできなくする、ということは、より大きな危険性があるように思います。よく考えないままに、テレビやゲームで置き換えてしまっていいのでしょうか?
 そんなことが人の成長にとっては何の心配もない、ということが証明されない限り、子どもがやりたいように環境を整備すべきです。子どもの野外遊びの環境は、昭和30年代初頭の姿に戻す必要があると考えます。
 今、例えば、意欲的な保育所や幼稚園、生涯学習、ボランティアグループなど、様々なところで、新しい試みが始まっています。また、小学校でも、総合的な学習時間を使った取り組みなども行われてきています。
 社会全体で、子どもの野外遊びの必要性を認識し、様々な「動物遊び」(人以前の記憶をたどる遊び)」の機会や安全な環境を増やす必要があると考えます。

胎内で魚から人までの進化を辿り、さらに産まれてからからも進化を辿っているということのようです。つまり、産まれてからは生まれつき持っている機能を十分に使いこなせるように脳回路を強化していく過程だと言えそうです。

「思考次元1 潜在思念の実践思考」 [11]より引用

生命体の認識機能には、食欲や性欲etcの欠乏を感じる内識機能と、それを充たす為の視聴覚をはじめとする外識機能がある。答えとは、課題の実現経路であり、実現経路とはこの内部意識と外部認識がイコールで結ばれた回路である。

この実現回路を形成するための行為が、子供たちとっては「遊び」となって現れているのではないでしょうか?

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