写真は ここ [1] からお借りしました。
9回に亘って扱ってきたテーマ
『男と女の引力が衰弱してきたのは、何で?』
のシリーズも今回が最後になります。
男と女の引力が衰弱している。そして、社会の最基底・根幹を成し、かつ本能レベルでもある性が“棚上げ”状態。このままでは、“種の存続”も危うい状態になりつつあります。感覚的には(潜在思念では)種の保存の前に“ポッカリ”穴の開いた状態なのではないでしょうか?
今回、シリーズを通して、『男と女の引力が衰弱してきた』その原因構造が、多角的に見えてきました。
そして、
今回扱った投稿からは、“性だけを問題にしても答えはでない”ということが、言われてはじめて当たり前だけど重要であるという気付きと、
この本能をも封鎖=“棚上げ”している状態というのは、その分、可能性へと向かっている とも言えることが見えてきました。
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今回の投稿に入る前に、
前回までを、振り返ってみて見ると
男と女の引力が衰弱してきたのは、何で?「男の序列闘争、女の役割欠乏」 [2]
男と女の引力が衰弱してきたのは、何で?「優しい男の消滅」 [3]
男と女の引力が衰弱してきたのは、何で?「優しい男の消滅」(続き) [4]
性的自我だけが暴走した時代、そしてセックスレスへ [5]
「闘争不在、解脱埋没」という特異な30年が終わった(前編) [6]
「闘争不在、解脱埋没」という特異な30年が終わった(後編) [7]
「男と女の勢いの逆転?①」~最近男が強い? [8]
男と女の勢いの逆転?②~男女共認の可能性 [9]
収束不全発の適応可能性の探索、その深くて強い引力 [10]
今回、扱った投稿 答え板 [11] から
社会とつながる『性』の再生 [12]
なんで屋劇場 [13]で『異性を求める力が弱くなってきたのは、何で?』を聞いた。大きな認識転換となったのは、性に係わる生物の適応システムは、それだけで完結して機能するのではないということ。
つまり、他のさまざまな本能機能を連続的に生起させ、全体システムの効果として、種の存続を実現するということだった。そして、人間の場合は、本能だけではなく共認・観念領域の規範も含まれるということである。
これは、性の活力の再生を考えることは、連動するその他の機能(共同体の再生・縄張り確保・子育て等)を含めた実現見通しが必要ということであり、性だけ取り出して考えても、答えはないと言うことになる。
全ての生物は、外圧適応態であり、外圧に対してあらゆる可能性を探索し、適応して生きてきた。人類の場合、本能だけで生きてきたわけではない。原猿⇒真猿への進化の過程で共認機能(参照 [14] )を獲得し、人類は、200万年前頃に共認機能を元に観念機能を獲得(参照 [15] )進化させてきた。
本能だけでは秩序化されないし、共同体内であれば共認機能を中心とした(不文律の)規範でもよかったかも知れないが、一集団を超えた社会となると観念(法制度etc)が必要となってくる。
一夫一婦制という婚姻制度やそれに付随する“恋愛”観念や不倫のタブーという規範などがそれに当たる。
しかしそう考えると、それまで農村共同体とその中の規範によって、子育てもある程度できていた戦前から戦後50年代くらいまでと、一気に都市人口比率(共同体のない社会)が高くなった60年から70年以降に、子育てがうまくいかなくなったこと。
その様な現実のなかで育った子供達が、ついには異性を求めるエネルギーすら失いつつあること。
また、出生率の推移や未婚・晩婚の上昇も同じ傾向を示すことなど、符合する点が多い。
未婚・晩婚率の上昇については、当ブログ 未婚化・晩婚化 [16]
参照していただけると数字としてはっきり捉えられます。
子育てがうまくいかなかった現象としては、
家庭内暴力、校内暴力、切れる子供、いじめetcetc、今に始まった訳ではなく1980年頃から現れ出している。
学校ってどうなってるの?2 [17]
学校と家庭の力関係が逆転したのはいつ頃? [18]
背景には、学校教育の問題( 参照 [19] )などもあるだろうが、一番は、核家族化→子育て不安、囲い込み→密室家庭( 参照 [20] )へという閉ざされた母子間だけの関係の中で、過保護な子供や母親の過期待・無期待によって、上記のような現象が現れだした。
これらのことから考えると、本能・共認レベルでは、旧規範(共同体の崩壊と一対婚という婚姻制度)のままでは、見通しが立たないため、異性を求めるエネルギーは湧いて来ないということだろう。
種の存続という根源的な課題に対して、潜在意識は実現の見通し=本能・共認機能に整合した新しい規範を求めているのだろう。
性の再生をどうする? ある人は、何となく、ある人は切実に、性の衰弱を感じている。その中で
『新しい男女規範の創出→性の再生』
という新たな課題が見えてきた。私権の性が衰弱し、やっと本源の性に向かえるスタートラインに立てたのではないだろうか。
一人で答えが出せる課題(問題)でもない。
『みんな不全』の今だからこそ、『みんな期待』が高まり『(みんなの為の)答えの創出』へと向かうことが出来る。
あらゆる不全(本能も共認も観念も)の中、目先の(旧婚姻)制度に乗っかってもその不全は、解消されるどころか、ますます閉塞するだけで、真正面に受け止めて答えを出していく必要がある。
その時、性の問題だけを取り出しても答えにはならない。その先の“生存域(縄張り)の確保”や“子育て” という社会問題も包摂して考えていく必要がある。
充足、安定、保守という潮流の中で
女は(男も)、安心基盤を求めている。充足基調だけでは、この安心基盤は創れない(守れない)。
男の闘争本能が機能してはじめて確保出来、更なる女の充足が開花し、全体にその充足が広がっていく。
写真は ここ [21] からお借りしました。
私権の性が衰弱した、今、
素直に『どうする?』、『どうしたい?』という問いかけ(期待)からはじまるのかもしれない。