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経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?-4~国家私権の時代(明治~1970年)とは何か?、企業私権の時代(1970~1995年)とは何か?

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画像はコチラ [1]からお借りしました。

それではシリーズ第4弾をお送りします。前回は [2]、私権社会への入り口、縄張り闘争→略奪闘争の始まりを、遊牧民族の複層集団化守護神信仰の形成を等からお伝えしました。

遊牧とは、
①自分達のことを見守ってくれている特別な守護神がいる【守護神信仰】
②同族集団が複層集団化されたことで各集団で独自の共認形成が行われるようになり、集団を共認統合できなくなる【拠点集団と複数の遠征集団という構造】
③拠点集団と遠征集団の共認内容・評価の差異が明確→不満・不平など評価不全上昇【相対意識上昇=集団自我の卵が生まれる】
④母系制から父系制へと転換【女の存在不安と蓄財意識→縄張意識上昇】

これらの前提を押えた上で、非常に不安定な生産形式である遊牧民に【さらなる乾燥化】という自然外圧がかかったときにどうなるのか?を想像してみてください。

急激な乾燥化傾向により、『自部族の存続か?』、『飢えて仲間と共に死ぬか?』の2択しかない極限状況に陥ったとき、その結果略奪への決断を下してしまったのです。そして、そのあと押しをしたのが自分達の守り神である、守護神信仰という架空観念を、己の行為を正当化し納得させるための自己正当化観念として捻じ曲げられて使われたと考えた方がすんなりと理解できます。そして、略奪は次なる略奪を生み、玉突き的に全土的に波及していったのです。

経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?-3~縄張り意識の上昇と集団自我による略奪闘争 [3]より引用

さて、今回はこのようにして生まれた「集団自我」「集団私権」が現代どのような形をとっているか、時代を追って変遷を見ていこうと思います。鍵となる概念は10/18「なんで屋劇場」 [4]で提起された「国家私権」→「企業私権」→「家族私権」という概念です。

これらは、全て遊牧民族発の集団自我が起源ですが、時代変遷をみることで、今後の人々の関わり、人間関係がどのように収束していくのか(家庭がどうなっていくのかも含め)、考える足がかりにできるのではないかと思います。(例えば、国家私権、企業私権、家族私権とも衰弱した今、人々の収束先となる集団?、人間関係?はどこ?何?など。)

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掠奪闘争の玉突き拡大、超肥大集団「国家」の形成
さて、遊牧民族発でうまれた自集団第一の集団自我、集団私権は玉突き的に世界を席巻しあっという間に武力支配国家(古代国家)を形成する事になります。生産基盤たる土地を巡る争いが戦争を引き起し、一度引き金が引かれると、互いにいつ敵から攻められるか分からないゆえ、ひたすら力の(兵隊や領土や資源)拡大を目指し、超肥大集団=古代国家を形成するに至ります。そして夫々の国家は宗教や民族意識(中華思想)で自己正当化することになります(遊牧民の守護神信仰に同じ)。
こうして集団私権は、国家私権へと拡大されることになります。

画像はコチラ [5]からお借りしました
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市場社会で万人に可能性が開かれ、本格的な「国家私権」を形成
しかし、古代国家や中世の国家は、王侯、貴族だけのものであり、一般の民衆はひたすら吸い取られるだけの存在でしたから、彼ら民衆が国家私権意識を共有していたとは言いがたいあろうと思います。
一方、市場社会になると、様相は一変します。

るいネット「国家私権とは何か」 [6]より引用

庶民にも私権獲得の可能性が開かれ、庶民、商人(企業)達がこぞって市場へ可能性収束することで、市場社会が形成されます。(中略)
国家も富国強兵という錦の御旗の元、市場拡大に加担していきます。(中略)
この状況下で、個々人や商人、各企業の私権意識(期待)が国家の縄張り闘争へと収束し、そうすることで始めて、私権で統合された国家が成立するのだと思います。その状態をもって「国家私権」と位置づけることができるのではないでしょうか!?

つまり、市場社会に成ると可能性を開かれた庶民、商人(企業)がこぞって、他国との縄張り闘争の必要から、国家私権に強く収束していくことになるということですね。

日本における国家私権
日本でも江戸末期に列強という外圧が登場し、彼らに対抗できる国にしなければと、広く人びとの意識は国家私権へと収束していったと思われます。(ex富国強兵)。

そして、戦後も高度経済成長の頃までは「欧米に追いつき追い越せ」と、(個人の生活を豊かにするというよりは)国を豊かにするという意識は非常に強かったとも思われます。
当時のドキュメンタリー等を見ると、困難で危険な開発事業に掛ける人々の意志の出所はみんな(国家)のためという意識が感じられます。企業経営者の言葉にもいかに「みんな」=国民を豊かにするかとという意識が非常に強く(ex松下幸之助)企業も国家私権に収束していたと言えそうです。

オリンピック(64年)や万博(70年)は、その後2度と経験しない最高に盛り上がったイベントで、そのすさまじい熱狂は、国中で共有された、国を豊かにするという国家私権意識の発露と考えれば納得がいきます。

画像はコチラ [7]からお借りしました
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国家私権の衰退⇒企業私権の時代  
しかし、国家私権は、貧困が消滅し、同時に日本が世界第2位の経済大国(1968年)となり欧米に肩を並べたころから衰弱していきます。実際、自家用車、家電を手にいれ、紛いなりにも目標であったアメリカンライフ実現したわけですから、(欧米を意識→)国家私権は衰弱して当然です。国のこと、社会のことは意識から薄れていきます。(学生運動も衰退、自分の就職先が関心事へ。)

一方、この時期1970年頃は、貧困の消滅→序列規範の衰弱が、新しい私権闘争の可能性を開いた時期でもありました。加えて、貧困の消滅→モノが売れず一段と企業競争が激化して企業間の「相対意識(競争意識)」が上昇した時期でもあり、両者が相まって国家私権に変わって、「企業私権」の時代となりました。

企業が自集団の利益追求に奔走した時代です。日本企業は世界へ進出し、特に80年代には企業の利益第一主義がバブル時代に極まりました。大企業、有名企業がブランドとなり「いい学校→いい会社」が学生の収束先となっており、また、まだまだ、家庭を顧みずにバリバリ働く「ビジネスマン」が大多数と言える状態でした。また、現代のように何か問題を起こせばたちまちマスコミに叩かれることもなく、まさしく企業私権の時代であったといえます。

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まとめ:国家も企業も私権集団は「相対意識」が鍵?/今回の議論から得られた視点、課題

さて、今回は、遊牧民族起源の「集団自我」が→国家私権→企業私権と推移していく様子を見てきました。遊牧民族の集団自我、集団私権と基本的には同じ構造だということがよく分かります。

遊牧民族の遠征集団は、他の遠征集団のほうが得している、自分たちは評価されていないと「相対意識」がテコになって自己正当化+他者否定に入ります。これが、掠奪集団へと突き抜ける力の元です。
国家私権においても敵を意識する相対意識(列強に負けない国を作る)が、国家間闘争のテコになっており、収束先を生み出しています。企業私権においても同様です。「相対意識」がテコになって収束先を生み出しているのは私権集団の共通構造のようです(家族私権の時代はどうでしょう?微妙に異なってきそうですね。次回、追求します。)

もう一点は、冒頭でも少し書きましたが、国家私権→企業私権→家族私権という集団私権の変遷から、
今後の人々の関わり、人間関係がどのように収束していくのか、考える足がかりにできるのではないかと思います。これは今後非常に重要な論点に成ってくると思います。

次回は、95年企業私権衰弱→家族私権の時代から継続して扱って行きます。お楽しみに
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