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経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?-3~縄張り意識の上昇と集団自我による略奪闘争

皆さん、こんにちは よしたつです 😀 。
『経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破するのか』

というかなり大風呂敷なテーマを追求中ですが、皆さんここまで着いて来れていますでしょうか?そもそもの目的を忘れてしまったという方もいるといけないので、もう一度このテーマ追求の経緯を簡単に整理しておきます。

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今まさに間近に迫っている経済破局。世界規模で失業者は増え続け、暴動や行き過ぎたデモ運動などにより治安の悪化が加速的にすすむことが予測されます。そして、それにより今まで当たり前だった日常が大きく損われる可能性も十分にありえるため、『今後どうするべきか』が面目みんなの共通の課題になります。特にアメリカのような移民国の場合、経済破局をきっかけに多くの失業者達が暴徒と化し、農場や輸送車輌などを襲い、警官隊が出動するといった事態に陥ることも容易に想像できます。まさに世界中が騒然とした状況へと向かう混沌期を迎えているのです。

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そこで、日本はどうなるのでしょうか?

本源性を色濃く残すと言われる日本。確かに「脱貧困度」「脱覇権国家度」「本源度」という指標から判断しても先進国の中で極めて高く、そこまでひどくはならないだろうという粗方の予想もあります。しかし、それは前提に充足・安定・保守の女原理による意識潮流がこのまま続けばそうなると言えるだけでしかありません。アメリカ、中国などの大国や金貸しからの執拗な圧力を受けたとき、状況は一変し、再び闘争・挑戦etcの男原理を復活させるとも限らないのです。

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この男原理回帰は現在のような制度収束・規範収束を極端に邁進する日本においては、「否定と破壊」を再び繰り返してしまう可能性が高くなってしまいます。これら最悪な事態を回避する為にも人類の争いの歴史を紐解き、自我の萌芽から消滅へ向けた、次なる可能性はどこにあるのかを探っていくことが重要です

というのが本ブログのテーマなわけです。

そのシリーズ第3回目が今回です。初めての方もこれで状況がおわかりになったでしょうか?更に気になった方は前々回 [1]前回 [2]の記事も是非お読みになって今回の記事を読んで頂けるとより深く人類の争いの歴史の本質が見えてきます。それでは余談が長くなってしまいましたが、早速本編を始めていきましょう。

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前々回 [1]のテーマ『人類の本性は共同性』にあるということを一緒に見ていきましたが、最弱の存在であった人類は特別な牙や爪もない代わりに、集団で生き抜くことに特化する術を手に入れることで自然外圧、外敵圧力に対処していきました。そして、その術とは共認機能です。(※詳しくはリンク先を参考にしてください)

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そして前回のテーマ『(集団)自我の発生の経緯』では、遊牧民のとっていた複層集団という集団形態が、相対意識を生み、集団自我の卵を集団内に包摂するようになったことを扱ってきました。つまり、遠征集団と拠点集団という複層集団化されたことによって、それぞれの集団内に独自の共認形成が生まれ得る状況が生じ、それ故、1つの集団としての共認形成が難しくなってきた事態を招いてしまったわけです。

そして、今回これらを受けて『縄張り意識の上昇と集団自我による略奪闘争』をテーマに、遊牧民が略奪に踏み切るまでの状況を詳しく見ていくことにしたいと思います。ではまずは以下の図解を見てください。

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これは遊牧部族の外圧変化に応じた集団間の意識構造の変遷を追いかけた図解ですが、注目点は複層集団化したことで、同族集団の中に共認内容の異なる集団を包摂するようになったことと、集団内の統合を守護神信仰や婚姻などでつなぎとめる観念が必要だったという状況です。これらが略奪への口火を切る重要なきっかけになります。

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そこで、遊牧民にとって守護神信仰がどのような位置づけだったのかが以下に端的に示されていますので押えておきましょう。

危険に満ちた遠征に赴くのは、遊牧部族の遠征部隊にとって大きな不安であっただろうし、また、送り出す側である拠点集団も、その遠征部隊の安全を切に願って送り出したのだろうと思います。そんな中で遠征部隊を守ってくれる存在=守護神を求めたことが、守護神信仰の起源になったのではないかと思います。観念としての守護神は、遠征集団と拠点集団を繋ぐ心の拠り所となった。

この守護神信仰こそが、遠征によって対面共認が働かなくなってしまった複層社会を、統合するのに必要な観念だった

引用は『守護神信仰は複層社会を統合するための観念では?!』 [3]より

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以上からもわかるように守護神信仰は遠征集団と拠点集団をつなぐ結束軸として、さらには安心の道標として非常に重要な観念だったことがわかります

また婚姻制度も遊牧と言う生産形態から大きく変化した内容のひとつです。これについても以下にわかりやすい記述がありましたので引用させていただきます。

●遊牧は、家畜を連れて小集団(小氏族)で独立して移動する過酷な生産様式であり、男たちの縄張り防衛力が重要視される。

●それゆえ遊牧部族は、集団の戦力を維持するために男残留を選択せざるを得ず、人類史上はじめて母系制から父系制へと転換した。

●父系制(女が移籍)に転換すると、必然的に女の不安が増大することになる。

●自集団の蓄財意識(婚姻の持参財でもある家畜の数を増やす)が強くなり、次第に私益的色彩が強くなってゆく。

★遊牧部族の父系制への転換は、私益第一の意識を芽生えさせた点で、人類史のターニングポイントとなった。

引用は『遊牧部族の父系制転換』 [4]より

以上からも婚姻制度により自集団の中で自我の卵が芽生える様子が窺えますね。その回避策として遠征集団(胞族間)同士で娘移籍婚を行うことで血縁関係をつくるようにして、どうにか集団自我を抑圧しようとシステム化されたようですが、今までの母系制(婿入婚)から父系制(嫁入婚)の転換は女の根本となる安心基盤が揺らぎ、娘の存在不安を高めてしまったのです。その存在不安解消として、『蓄財意識』上昇→『集団の私有意識』上昇→『縄張り意識』上昇という流れができ、相対意識と相まって、胞族内での集団自我を強めていってしまったのです。

ここで一旦前回の投稿の内容も踏まえて整理しますと

遊牧とは、
自分達のことを見守ってくれている特別な守護神がいる【守護神信仰】
同族集団が複層集団化されたことで各集団で独自の共認形成が行われるようになり、集団を共認統合できなくなる【拠点集団と複数の遠征集団という構造】
拠点集団と遠征集団の共認内容・評価の差異が明確→不満・不平など評価不全上昇【相対意識上昇=集団自我の卵が生まれる】
母系制から父系制へと転換【女の存在不安と蓄財意識→縄張意識上昇】

これらの前提を押えた上で、非常に不安定な生産形式である遊牧民に【さらなる乾燥化】という自然外圧がかかったときにどうなるのか?を想像してみてください。

急激な乾燥化傾向により、『自部族の存続か?』、『飢えて仲間と共に死ぬか?』の2択しかない極限状況に陥ったとき、その結果略奪への決断を下してしまったのです。そして、そのあと押しをしたのが自分達の守り神である、守護神信仰という架空観念を、己の行為を正当化し納得させるための自己正当化観念として捻じ曲げられて使われたと考えた方がすんなりと理解できます。そして、略奪は次なる略奪を生み、玉突き的に全土的に波及していったのです。

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次は武力国家誕生から国家私権が高まる時代の意識状況を探っていきます。次回を楽しみにしていてくださいね

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