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経済破局間近・・・家庭という枠組を超えた問題をどう突破する!?-2 ~自我は複層社会の集団発

前回 [1]:シリーズ1では、<人類史上の99%以上は、想像を絶する過酷な自然外圧の中、人類は共認機能に全面収束し、徹底的に自我を抑制・封印してきたのであって、人類の本性は共同性であるということを押さえました

今回は、いよいよ人類における自我の発生経緯にせまってみたいと思います

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人類500万年を貫く統合原理は、共認原理である。事実、人類は500万年に亘って課題を共認し、役割を共認し、あるいは規範や評価を共認して存続してきた。そして、個体(の意識)や集団や社会は、人々が、それらの共認内容に強く収束することによって、統合されてきた。又、そこでは、集団を破壊する自我や性闘争は、永い間、封印されてきた。

しかし、1万数千年前頃から人口が増大し始め、それにつれて集団間の軋轢も増大してゆく。やがて、その緊張状況に対応して、人々は自集団を正当化する守護神信仰に強く収束してゆく。こうして集団的自我が発現し、永い封印が解かれてゆく。そして遂に6000年前頃、乾燥と飢餓を契機として略奪闘争が開始され、玉突き的に世界中に伝播していった。こうして、5000年前頃には、人類最初の武力支配国家が成立する。(注:日本は1800年前頃で、はるかに遅い=権力支配の期間が短い。)

これを読めば時代がわかる!最新版~潮流1:共認原理と私権原理 [2]より

これによると、1万数千年前頃の人口増大が契機となっていることが分かります
では、人口増大=集団規模の拡大が集団自我を生み出したのでしょうか? 🙄

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①集団規模の大きさが集団自我を生み出したのではない 
→ア.贈与にみる軋轢回避
→イ.別の胞族のグループ同士で(ある氏族or婚姻班と別の氏族)総偶婚=群婚制により集団間の共認形成(求心性△)⇒部族or部族連合に相対意識は生じ難い

未開民族の調査によれば、いくつかの部族が(一方的)贈与という習慣を持つ。そして贈られるものは、その部族にとって、最高に価値あるものと認められているものである。この贈与においては直接的な反対給付は要求されない、つまり交換や交易ではない。

この習慣はおそらく部族間の友好関係を示すものであろう。しかもおそらく潜在的には緊張関係を孕んであり(全くの同胞的関係であれば、おそらくわざわざ贈与という行為を取らなかったであろう)、そのために何がしかの友好の意思を示す必要があったのではないだろうか。だからこそ逆に日常的必需品ではなく、価値の高いものがその対象になったのではないだろうか?
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黒曜石、翡翠の広域に渡る存在は、交易ではなく贈与の結果ではないか① [3]より

採取時代の婚姻関係は独占という見返りを期待しないものです。相手に充足を与えるものです。この男女関係のあり方を同類部族に拡大適用したのが採取時代の贈り物であり、見返りを期待してのものではなかったと思います。精霊を信仰する採取部族にとって、贈り物とは単なる物的価値ではなかった筈です。言霊と同様に、贈り物そのものに精霊が宿っていると考えた筈です。よく贈与の例として挙げられる、黒曜石や翡翠や琥珀にも精霊が宿ると考えていたのでしょう。弥生時代の匂玉(まがだま)などはその名残だと思います。だから、モノを贈ったというより、そこに宿った精霊(自分達の喜びの念)を贈ったのだと思います。日頃顔を合わせることがなく、そのままでは共認機能が働かない相手部族に対して、そういう形で肯定感情を表そうとしたのではないでしょうか。11147282_o2.jpg

贈与と交換と男女関係 [4]より

 弓矢の登場以降、(2から1万年前)安定した生存域と食糧が確保できるようになると、集団規模が拡大してきます。
 例えば縄文中期~後期(5500~4000年前)に登場した三内丸山遺跡の事例では、竪穴式住居が1000件存在したとされています。推定5000人近い集団です。また他の未開部族などの事例でも、大きなものは推定3000から5000人近くの部族連合を作っていたようです。
これらの集団は基本的に原始共同体です。

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 そしてこれらの大規模な集団は次のような形で統合されていた様です。
まず末端に30から50人規模の血縁集団(単位集団・氏族)が存在する。そしてその上位に氏族3~4グループを統合する胞族というグループが作られる。そして更にその上位に、胞族を更に3~4グループ統合する部族が形成される。という3段構成がとられており、これら全体が一つの集団を構成していたようです。各氏族、胞族は全体で集団規範を共有しており、各段階の決定は現代風に言えば合議制だったようです。
 これらの集団の一番基礎にある、氏族は血族であり、生産と生活をともにする集団です。だからおそらく各構成員は役割充足も充分に感じていたと思います。
 しかし逆にそれぞれの氏族(単位集団)はそのままだと独立性が強くなりすぎるということからでしょう、別の胞族のグループ同士で(ある氏族or婚姻班と別の氏族)総偶婚=群婚制がとられていたようです。集団が解体しないための、統合の一つの知恵です。
 
 これらの事例からも個々の縄張り意識(私権意識)の肥大による集団の不調和や解体は、決して規模の拡大が要因ではない、という事がいえるのではないかと思います

集団規模の大きさ→私権統合を生み出したわけではないのでは? [5]より

② 遊牧部族に芽生えた相対意識(自我の卵)
→複層社会:拠点集団と移動集団(小集団)とで構成
    →遠征集団の外圧(自然環境)が異なる
    →リーダーの力量に差がある
                   ↓
                 相対意識△
                   ↓
→乾燥化→縄張り意識△→集団自我

遊牧部族が父系制に転換したことによって、母集団を離れた娘の不安が、自我・私権意識を生み出したリンク [6]という説に対して、今回のなんでや劇場では、遊牧という生産様式そのものに、集団的自我を発生させる原因があるという説が提起されました。

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1.遊牧部族の集団は、拠点集団と移動集団(小集団)とで構成される複層社会である。
2.移動集団は、遊牧するエリアの違いやリーダーの力量によって、羊の数や大きさに差が生じ、集団間の相対差を意識するようになる。
3.集団間の相対比較によって、他集団否定=集団的自我意識が生じる。

ただし、この段階では共認を破壊するまでには至っていないので、「集団的自我の卵」の段階です。集団的自我が顕在化するのは、リンク [6]のとおり娘移籍の婚姻形態によります。

4.乾燥化が進むにしたがって、移動集団の移動が長期化し、当初は男だけだった移動集団が娘を連れて行くようになる。(父系制のはじまり)

5.父系制への転換により、娘の不安が、安定基盤としての自集団の羊の数=私権確保を要求し、待遇に対する不満から他集団批判をするなど、潜在化していた集団的自我が顕在化する。

6.その集団的自我は、即座に男たちにも転写(=共認)され、自集団を正当化する観念が生み出される。(ex.「この地は我々に約束された土地だ」「彼らは野蛮だ、悪魔だ」)

7.乾燥期になると、自我を正当化する観念を根拠に「よそ者は殺せ」という共認が形成され、略奪闘争に至る。

略奪闘争前夜:自我私権意識が顕在化する過程 [7]より

つまり、500万年にわたって封印されてきた自我や性闘争は、乾燥化→土地への執着△によって、縄張り意識が芽生え、それと遊牧集団の集団形式の違いによる、相対意識が相まって、封印されてきた性闘争本能を呼び起こし、集団自我を発現させることとなってしまったのではないか? 😈
つまり、人類にとっては、性闘争⇒縄張り闘争も、集団発であったといえるのではないでしょうか
😀
次回は、そのあたりを検証しながら、略奪闘争までの経緯をたどっていきたいと思います (tateko )

[8] [9] [10]