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どうする?!家庭と未来~徹底した現実直視と事実の共認~

 本日から週1回のペースで“どうする?!家庭と未来”と題しまして、ある書籍の内容を順次紹介して行こうと考えています。

 その書籍の名はズバリ“実現論”!

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 この書籍は、共同体企業という普通の企業とは少し違った、企業形態をとっている類グループが、現実の圧力の中で、30年の歳月を費やし、築き上げていった論理体系そのものを語ったものです。

 実はこの本、巷の企業の経営本とはまったく違うのです!何が違うのかというと・・・・それは続きを読んでのお楽しみ!
 きっとこのよくわからない時代を捉えるために、強力な思考ツールとなることは間違いなし!

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 実現論 「序」より

イ.徹底した現実直視と事実の共認    

 この書は、沈黙に包まれた時代閉塞の現況を突き破る、その答えを提示しようとするものである。しかし、社会が全面閉塞に陥ったその病根は、(危機が迫っているにも拘わらず、どこからも突破口が提示されないぐらい)とてつもなく深い所にあり、人類の進むべき方向を確定する為にはとことん歴史を遡って、人類の原基構造を解明してゆく必要があるだろう。その意味では、この書はサル時代や哺乳類にまで遡って人類の存在構造を解明しようとする、悠大な史観である。  

 加えて、この書には特筆すべき一つの特色がある。実現論は、現実の市場圧力に晒されながら成長してきた生産体・類(るい)が、30年の歳月を費やして構築したものである。それ故、実現論は徹底した現実直視の姿勢に貫かれており、またそうであるが故に全ゆる固定観念(常識やイデオロギー)からの脱却を促す内容となっている。しかも類はただの企業ではなく共同体(全員参加の合議体)である。だから、実現論は、皆で生産し経営し共同体を建設するという実践と一体になっている。実践の必要の中から皆で追求され、皆に共認されて生み出されてきたものだからこそ、現実離れした学会の権威やドグマ(教条)から逃れて自由に思考することが可能だったとも云えるだろう。だから、普通の人が(固定観念を取り払って)普通に読めば、簡単に理解できる内容になっている。おそらく、この生産体=共同体の実在なしには、この新理論は生まれなかっただろう。そこで、この新理論の中身をより深く理解して頂く為に、その背景を成す共同体・類の中身を初めに明らかにしておこう。  

★ここで注目したいのは、実現論が生み出される土壌となった類グループは、「徹底した現実直視の姿勢」「全員参加の合議体=共同体」だったということ。
 だからこそ、既存観念に捉われない自由な思考が可能となり、みんなに共認されるより普遍的な事実が追求できたのです!
 ではそもそもなぜ類グループは共同体企業なのでしょうか?

 共同体・類は、約30年前(’72年)、6人の仲間(平均年齢24歳)によって創立された。「自らの生きる場を、自らの手で築いてゆきたい」「自分たちで動かせる、自分たちの集団を作りたい」という素朴な思いと、それを導く確かな時代認識が、市場の常識を破った共同体の実現を可能にした。その後も共同体・類は高い生産性と成長を維持し、様々な異業種への参入を実現すると共に、皆の知恵や知識を結集してこの実現論を創り出し、いよいよ新しい社会統合ネットワークの構築に着手しようとしている。それは、貧困の消滅という時代が示す新しい可能性が生み出した、一つの実現態であった。  
 ’70年、我々は貧困が消滅し物的な欠乏が飽和限界に達した事によって、人と人との間に生じる類的な欠乏が上昇し、それにつれて生産様式が工業生産から意識生産(情報や教育や設計あるいは風俗や介護等、類的な価値=意識を産み出す生産様式)に移行してゆくことを、はっきりと見抜いていた。貧困の時代なら、誰もが私権(地位やお金)を求めて必死に働く。なぜなら、人々は生存上不可欠の地位やお金を与えてくれる資本=権力の意志に、否応なく従わざるを得ないからである。それに、工業生産なら、設備投資が勝敗を決する。従って、資本の力がモノを言う。  

 しかし、貧困が消滅すると、私権の確保は第一義的な価値ではなくなり、人々はその為に必死に働こうとはしなくなる。つまり、私権によって企業や社会を統合することが、困難になってゆく。とりわけ、意識生産では、機械ではなく、働く者の労働力(類的価値を生み出す意識力)が唯一の生産力である。つまり、人間の能力それ自身が生産の主人公となる。そこでは、集団(ひいては社会)を資本力の様な私有権力で統合するよりも、働く仲間たちの共認(役割や規範や方針を認め合うこと)によって統合する方が上手くゆく。つまり、脱貧困の時代には、権力統合体より共認統合体の方が適している。その後時代は、経済のソフト化・やりがい志向・情報公開etc.、私たちの予測した通りの方向に進んできた。

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↑確かに社会貢献意識は年々高まっています。

★どうでしょうか?共同体である必要性、至極当然ですよね!貧困が消滅して、物的生産から意識生産に生産様式移行していくと、働く者の労働力(すなわちそれは人材といってもいいと思います)そのものが唯一の生産力となります。
 そしてそういった生産集団を統合するには、力の序列でゴリゴリやる私権統合よりも、皆で役割や方針を認めあう、共認統合のほうがうまくいく。
 だから、権力体より共同体のほうがこれからの時代は、勝っていけると既に30年以上も前から、予測してたのですね!
 
 ではここでもうひとつ疑問提起!皆で共認統合を行なううえで、一体何を基準にして、何を皆で認め合っているのでしょうか?

 共同体・類は、この様な時代認識に基づいて創られた。従って、創立当初から、経理を含む全情報を全社員に公開する情報公開システムを作り上げ、誰もが状況を把握できるようにして、その上で、全員が取締役となって経営に参画する合議体制を構築し、皆で組織や事業の方向を決定してきた。それを聞いて、未だに信じられないという顔をする人が多い。だが、民主主義を口にするのなら、日々の生産の場=企業を、真っ先に皆のもの=合議体に変革するのが本当ではないのか。誰もが日々エネルギーの大半を費やしている生産の場を権力統合体のままにしておいて、遥かに遠い国会に何年かに一回投票するだけの西洋式の民主主義など、全くの偽物である。  

 我々は、厳しい現実課題を対象とする長年の会議経験の中から、合議体制(ひいては真の民主社会)を実現するカギは、論理が整合する事実の共認にあることを、体得してきた。なぜなら、事実は一つであり、かつ誰もが認めることのできるものだからである。だから我々は、例え仮説であっても、皆の知っている限りの知識に照らし合わせて論理が整合していれば、それを事実として認める。もちろん、これまで認めてきた「事実」に反する現象が出てくれば、直ちにその現象事実を組み入れて論理=構造事実を組み替える。この様にして、事実の体系は無限に進化してゆくことになる。逆に、自分にとってはそう思った方が都合がよいというだけで、生物史や人類史などの歴史事実に反する(あるいは歴史事実に基づく根拠のない)主義や思想など、共同体では一切通用しない。もちろん、上役の誤魔化しやハッタリなど、通用する訳もない。この徹底した現実直視⇒事実追究の姿勢こそ、常に確かな時代認識を育み、共同体を勝利に導いてきた真の力の源であり、また実現論を貫く基本姿勢でもある。

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↑類グループの経営決定の中枢“劇場会議”の風景

★そうです!それこそがいわゆる「事実」なのです!事実は唯一皆が認められるものです。だからこそ共認統合においては、「事実」こそが皆を繋ぐ生命線なのです!
 そして今後は企業だけでなく、社会や家庭も事実の共認で統合していく時代になると思います。
 だからこそ、皆さんも当ブログやるいネットでともに事実を追求していきましょう!

 事実の追求にはるいネット [2]
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