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男と女の引力が衰弱してきたのは、何で?「男の序列闘争、女の役割欠乏」

・1973年「同棲の記録」,「SEX教科書」
・1985年「大好きよ!男たち」,「このひとならSEXしてもいい」
・1992年「あなたから男を好きになろう」
・2000年「男が追いかけたくなる女」になりたい
・2005年「正しい男の口説き方」
・2008年「仕事が幸せ!」,「恋人の作り方」
・2009年「響き合い、感じ合ういちばん幸福なSEX」,「私を幸せにする仕事」

突然ですが、上記は女性誌の代表格「an・an」のバックナンバー。1970年、自由恋愛が花開き『自由な性』目掛けて若い男女が都市へと集中し、性市場も一気にバブルへと突き進んだ。’89年には性権力もピークを向かえ、「アッシー メッシー みつぐ君 」が登場。

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しかし、’91年バブル崩壊と同時に、性的商品価値も暴落。同時に、男女の引力も見事に衰弱の一途を辿る事に成る。

アンアンのテーマでも、追われる存在から追う存在へと移り変わり、近年では恋愛以外の幸せ探索等も盛り込まれるように成ってきています。さらに時代ごとのキーワードを振り返ってみると、

’92年「セックスレス」,「仮面夫婦」
’97年「低温恋愛」
’98年「癒し系」
’04年ホットドッグプレス廃刊(80年代男の恋愛バイブル的雑誌だった)
’07年「婚活」
’08年「草食男子」,「肉食女子」

バブル崩壊~私権衰弱の結果、力の基盤を失った男は女を庇護する自信を失い、依存対象を失った女は不安を募らせ、完全なすれ違い状態へと陥ります。

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少子化が社会問題化して久しいが、男女の引力が再生する兆しは一向に見えてこない。性の衰弱においても世界最先端である現況の中、無理矢理男女関係を市場化の波に乗せようとばかりに登場したのが「婚活」や「草食男子」「肉食女子」などといったキーワードであるが、この様な表層的な言葉をなぞった所で、男女の引力は再生される事はないでしょう。

そこで、男と女の引力が衰弱した根本原因、そして再生に向けての可能性探索の道筋を提示して行きたいと思います。

まずは、こちら の投稿を紹介します。

男の序列闘争、女の役割欠乏 [3]

いま社会で一番必要とされている力、つまり男の序列闘争の評価軸(が認識力だということ)が見えていないから、女は強い男の基準を探っている状態なのかも、と思いました。

しかも一対一が前提の今は、どれだけその人に収束できるか(一番強い人だと感じるか 参考:「女が男に収束するとき」 [4])が勝負。なのに確固とした基準がないから、ヒステリックなほど美化して、どんなところでも肯定視して収束しようとするのが「恋愛」なのかもしれないです。だから、自分のこだわり(好み?)が決め手になる。

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過剰な美化や思い込みを取り払ってみたら、男の評価基準がない。そんな今の状況じゃあ首雄・強い男なんて選別できない。認識を軸にした同類闘争は始まったばかりなら、可能性のある人、惹かれる人、安心できる程強い人って、ここでやっと顕在化してきてるんだと思います(リンク [6])。

事実、世の男女関係に目を向ければ、よほど強い思い込みがないと相手を選ぶ(何らかの基準で見極める)ことが出来なくなってる。そもそも余計な拘りがなければ、根本的には必要とされる(実質的には言い寄られる、愛されるというレベル?)のに応えるという性質が女にはあると思う。

でも、必要とされるままに応えていてもだめなんだと思う。現状が行き詰まってるのは、闘わない男の解脱欠乏に応えていては充足できない、安心できないから。

性的存在である女にとって、その男と居て自分の存在理由を感じられるほど充足できるか、が最大の問題。男にしてみれば、闘っているからこそかかってくる圧力も大きくて、受け容れて支える女の存在を必要とする。
だから、まっすぐ闘う男から必要とされているか、どう必要とされてるのか、何を求められているのか、何も求められていないのか、充足しながら傍に居るだけでいいのか、何か課題を共有した方が充足できるのか。日々の関心事はまさにそんなところです。

現実を直視した女の期待は「安定 安心」基盤を得ることであり、その為には闘っている男 の存在が不可欠。しかし、評価基準が無ければ「思い込む」以外に方法が無い、といった状況では、男は闘う事も守る事も出来ず、女も心の底から安心し充足を得ることも出来ない

これが、バブル崩壊・私権の終焉が齎した、男と女のすれ違いの状況なのでしょう。

しかし、自我・私権に基く「自由な性」では充足できない、というのが顕著に表れているのだとしたら、この状況を肯定視する中で新たな男女関係再生の萌しもきっと見えてくるはず 😉 。

今後も、男女の意識潮流に焦点を充てて、性の衰弱と再生に向けての可能性追求に取組んで行きたいと想います。

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