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消費主体から生産主体へ!

さて、この間改めて

・労働って何?
・消費って何?

といった、極当り前の日常を振り返って追求をしていますが、『生産と消費』の本質を探る上では、実は生物の進化史そのものに注目する事で見えてくる必然構造があります。

まず、簡単に人類への進化系統樹を辿って生物の歴史をおさらいして見ましょう。

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40億年前:原核単細胞生物 誕生
      ↓↓
21億年前:真核単細胞生物・・・減数分裂(遺伝子組み換え)
      ↓↓
12億年前:多細胞生物・・・・・種間闘争圧力△
      ↓↓
     雄雌分化・・・・・・殖産分化(闘争と生殖の役割分化)
      ↓↓
     進化(変異)促進・・種間闘争圧力△△
      ↓↓
05億年前:魚 類・・・・・・・汽水域、淡水域への進出
      ↓↓      (植物、節足動物の地上進出)
04億年前:爬虫類・両生類・・・地上進出
      ↓↓
02億年前:哺乳類・・・・・・・胎内保育(安定度△)
      ↓↓      (性闘争本能強化)
5千万年前:霊長類・・・・・・・共認機能の獲得(集団性△)
      ↓↓
500万年前:人 類・・・・・・・観念機能の獲得(技術力△)

ざっと40億年の歴史ですから、細かく見ればきりが有りませんが、ざっくりと大きな転換点のみを抽出してみました。

もっと詳しく生物史を追求したい方には、こちらのブログがお勧めです。
『生物史から、自然の摂理を読み解く』 [2]

そして、上記の大きな転換点には共通の原因があります。

それは、「逆境からの進化」という視点。

地球環境はこの40億年の間にも劇的な変化を繰り返しており、過去にも90%を越える大量絶滅等を経験しています。その逆境の中身には、環境変異(隕石の衝突や寒冷期~温暖期の周期、火山の大爆発等)もあれば、種間闘争圧力の上昇によるものもあり、常に弱者ほど高い圧力に晒され、淘汰適応の道を歩んできました。

即ち、生物進化というものは、常に逆境に晒され、ギリギリの所で生き残ったものだけが刻む事のできる歴史である、とも言えるのです。

ちと、夏休みの自由研究みたいになってきましたね。 🙄

さて、ここで改めて「生産と消費」の観点に目を向けてみましょう。

生物の生き残りをかけた闘いの中に見る事の出来る普遍構造は、『安定と変異の両立』にあります。

種の保存の為には、安定的に子孫を残す仕組み(生殖機能)が不可欠。しかし、外圧は常に変化していきます。よって、その外圧変化に適応する為には、内的な変異の組み込みも不可欠となります。この変異の獲得が、闘争過程となります。

そして、雌雄分化以降、この安定性と闘争性の役割分化を進める事で変異即進が推し進められ、高等動物ほど明確な雄雌差が生じる事になりました。

では、この生殖過程と闘争過程の何れにも通じる部分は何か?
そう、いずれもが『生産主体』なのです。

動物にしろ、植物にしろ、生きる為には「生産行為」は不可欠であり、様々な外圧や不全を乗り越え、充足を得るための最も基底的な行為が、生産行為であると言っても過言ではないでしょう。

この様に考えると、実は消費行為というのは余剰生産物や不要物を振り分けて排除する補足的な機能でしかなく、補足的な機能である限りは、大した充足も得られないという事が解ります。

ところが、人類社会にはいつの間にか『消費特権階級』が登場し、それが『家庭』という消費専属の場を創り、あたかも消費の為の労働や闘争が主体であるかのような幻想が共認されてしまいました。

これは極めて悪循環です。

生産、あるいは闘争によって得られる大きな充足=外圧適応という仕組みを劣化させ、進化の歴史に背を向けた行為であるだけでなく、いくら消費しても充足する事の出来ない構造が、無駄な生産拡大と環境破壊を推し進めているのですからね。

という事で、世間では目下夏休みを楽しまれている時期ではありますが、実は本当の充足というのは『生産過程』にあり、『生産主体』になる事である、という認識転換をお勧めします。

既に物余り、金余りとなった日本ですが、子どもを産み育てる事、或いは認識生産も、立派な生産行為。みんなにとって必要な認識の生産に、みんなで積極的に取組んでいきましょう!

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