- 感謝の心を育むには - http://web.kansya.jp.net/blog -

【子ども危機】ネットの罠⇒親子で必須のネットリテラシーと法規制の強化?

[1]
 
今週は、週刊ダイヤモンド(2009/07/25)の特集『子ども危機』を題材にします。
今日は、以下(の目次箇所)です。
 
【危機1】
 ○現代の子どもを狙うネット、携帯の罠
 ○無防備過ぎるわが子の情報管理 親子で必須のネットリテラシー
 ○(Column)1日7時間も使用! 驚くべき小学生のケータイ依存の実態
 ○親が子を染める悪魔の“性商売” 児童を守れぬ児童ポルノ法の瑕疵
 

【要約】
 ○携帯サイトで子どもが犯罪に巻き込まれる事件が急増している。
 ○犯罪被害の場が変貌している。
  ・出会い系(≒恋愛系)は規制強化が進み、
  ・プロフ/SNSなどの一般サイト(≒仲間系)へ
 
  《犯罪被害児童数・2008年》
   ○出会い系 720人
   ○一般サイト792人
 
  《携帯電話の所持率とトラブル率》
   ○小学生…30.6%(内、小6の3割がトラブル経験あり)
   ○中学生…47.8%(内、中2の7割がトラブル経験あり)
   ○高校生…92.3%(内、高2の7割がトラブル経験あり)
 
 ○加速する規制強化
  2008年04月 健全サイトを認定する第三者機関EMAが発足
  2008年12月 出会い系サイトの規制強化→プロフなどが児童買春の温床に
  2009年04月 18歳未満の携帯電話に対し、フィルタリング機能の利用を義務化
  2009年04月 東京都江東区が学校裏サイト監視を民間のサイト監視企業に委託
  2009年06月 石川県で、小中学生の携帯所持を規制する全国初の条例が成立
 
  《サイト監視企業の事例》
   ・約八十社から監視委託を受けているフィルタリング大手デジタルアーツ
   ・全国二〇〇人の監視オペレーターが約二六〇サイトを二十四時間体制で監視
   ・一月間に二〇〇〇万件の書き込みから、0.5%程度が削除
 
 ●おとなは「閲覧」「受信」中心のパソコン文化である。
 ●一方、子どもは携帯電話からの「交流」「発信」「参加」がメインである。
 
 ●時代は、「読み、書き、携帯」。
 ●ネットリテラシー教育が、親子ともに必須である。
 
  《親の対応策》
   ⇒ネットリテラシー教育の推進
   ⇒ベアレンタルコントロールの実践
   ⇒フィルタリングサービスの徹底
 
 ○児童ポルノ禁止法の改正論議
  ・被害者は、昨年三五一人。前年より三割近く増えて過去最悪
  ・先月、二歳の一人娘の裸の写真を売り払おうとしていたとして、母親が逮捕
 
  ・与党案 :ネット流出を完全に消し去るため、「単純所持」を一律禁止
  ・民主党案:検察、警察の裁量権拡大を危惧し、「取得罪」を新設
  ●解散総選挙で、児童ポルノ法の改正案は廃案の公算大
 
  ・国別児童ポルノサイト数では、「単純所持」を禁じたドイツ、米国が1~2位
  ●子どもをモデルにして、おカネを稼がせようという親のエゴが問題
 
【感想】
 最近、ホントに規制が加速しているんですね 🙄
 子どもをネットを起点にした犯罪から守るには、親発のネットリテラシー教育(ネットに関する知識やそれを活用する能力の獲得)が必要であるとの見解は、確かにそうだと思う一方で、どこに実現基盤を見出しているのか分かりませんでした。
 特に後半の、「親のエゴが犯罪の背後にある」との指摘は、なるほどそうだと思う反面、「結局、親にネット教育なんかできるの?」と実現基盤を余計に喪失させています。だから、親の主体的な=自浄的な能力には期待できず、最終的に(悪を根絶するには)“法規制にしか可能性はない”と暗示していることに同意しそうになりました(また、与党案は問題解決の可能性は乏しく、新たな民主党案の方がいいとの印象にもなりました)。
 
 総じて、あれもこれもダメ~という不全発(否定発)の認識 ばかりで、可能性の提示が乏しく、閉塞感しか与えない。もっと可能性発(肯定発)の認識 を提示して欲しいと思う。(自戒を込めて 😉 )
 
 親のエゴ(自己中)は、対象性の欠如を生みますが、その原因は、(究極のところ)『社会統合』という課題圧力を捨象し、個人主義(自分主義)に染脳されているからです(観念の問題)。そして、その原因は、「社会統合は政治家や官僚たちの課題であり、自分は関係ない」と多くの人が考えているように、そもそも捨象できる体制になっているからです(体制の問題)。
 そして、この大衆の思考停止の状況が、政治家や官僚たちの腐敗を生んでいると考えると、ここに法改正の必要があるように思う。
 
 数多くの社会不全(環境破壊・精神破壊・経済破局)がありますが、それはすべてみんなの課題であって、そうみんなが考えることができてはじめて、解決の道が開かれます。つまり、社会統合の圧力は、みんなを貫通する闘争圧力にしてゆく必要がある!だとすれば、そこに、ネットの価値を見出すことができるのではないでしょうか?
 
 子どもたちはすでに「交流」「発信」「参加」を実践し、そこに新たな可能性を見出していますが、そこには「みんな課題(課題共認)」がない(だから、問題に発展する)。しかし、一旦、社会統合の課題を担う関係や体制になれば、どうなるでしょうか?規制による窮屈な社会ではなく、活況を帯びた開かれた社会になっていくような、将来の充足イメージが沸いてきませんか?
 つまり、みんなの吸引力となる良質な発信サイト(社会統合サイト)を生み出すことが、悪質なサイトや発信を根絶する根本方針となるように思いました。
 
[2]
※拡大⇒クリック [2]
 
(参考)
 るいネット必読投稿 [3]より
 共認革命09 強制共認と発信階級の犯罪 [4]
 共認革命10 新しいまつりの場、それがネットであり、統合サイトである [5]
 共認革命11 皆が次々と投稿するだけで、まつりの引力が生み出される [6]
 

 

[7] [8] [9]