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日本語の魅力-4@受動的表現に見る日本人の自然観

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こちら [1]のサイトからお借りしました 😀

みなさんこんにちわ 😀

日本語の魅力シリーズ第4段では日本語の受動的表現について迫ってみたいと思います☆
 

英語と比べてみてわかる日本語の特徴のひとつとして、
「日本語には受動的な表現が多い」といった特徴が挙げられます。

ちなみに、能動的な表現とは、ある主体がある動作を「~する」という表現であり、受動的な表現とは主体以外のもの影響によって受け身的に「~される」/ という表現です。

では一体なぜ日本語と英語でこれらの違いが生まれたのでしょうか?これらの表現の違いは私たちの認識にどんな影響を与えるのでしょうか?? 🙄

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「英語は『する』文化、日本語は『なる』文化」 [2]

「平和」というものは、西洋人は行動によって作り上げるもので、日本人はもともとそこにあるものと考えているということを聞いたことがあります。 
西洋人は議論によってひとつの共通認識という「合意できる領域」に到達しようとしますが、日本人は、もともとそこにある「平和」を乱さないためにも、余計なことはしない(言わない)ほうがいいという傾向があるような気がします。

自然に対する観方も日本人と西洋人では異なります。四季折々の変化を楽しむ日本人は自然との一体化、調和を好む国民であり、物事に対しても、人為的に強引に行うというよりも、「自然にそうなった」というのが好きです。 会議などでも、よほど特別に強調する場合でない限り、「我々全員がこう決めました」とは言わず、 「会議で決まりました」と言うほうが普通です。また、「子供を産みました」ではなく、「子供が生まれました」とか、「努力して自分の英語力を高めました」というより「努力したら、英語が上達したんです」など、自分以外の存在のおかげで自然にそうなったような言い方が好まれます。

こういった言語表現の違いにはそれぞれの民族が持つ歴史風土・自然観の違いが背景にあるようです
西洋人にとって自然は支配の対象であるのに対して、日本人は自然を自分達を遥かに超えた存在として畏れ敬ってきました。自分達を超越する力の存在を認識し、自分たちがそれらに「生かされている」という感覚を持っていました。
自分たちを超越した存在に身を委ねるといった日本人の態度が、自分以外の存在のおかげで自然とそう「なった」という言葉の受動的表現に表れてきているのです。

「君に恋する~日本語受け身表現の美しさ」 [3]

日本語には受け身の表現が非常に多い。
「泥棒に入られた」「女房に逃げられた」、「入る」も「逃げる」も他に働きかける動詞ではない。
他の国の言語でこんな受け身の表現はない。「泥棒がウチに入った」となる。
受け身の表現の場合、責任は相手にだけあるのではなく、自分にもあるようなニュアンスを含む。
あるいは、逆らうことの出来ない超越的な力のせいで、諦めるしかない感覚がある。「なるようになる」である。
日本人は自然に逆らうことはしない。自然に任せた方が上手く行くと思っている。
「君を恋する」と「君に恋する」という表現がある。他の言語には無い。
「を」は自分中心である。
「に」は自分ではどうすることも出来ない感情が表れる。
日本人は恋心も人為を越えた自然の働きに重ねてしまう。

「英語は『する』文化、日本語は『なる』文化」  [2]
(受動的表現では)自分を主体としないため、結果的に、そこに「謙虚さ」が感じられ、自分という主体をぼかしてしまうため、「主語」の概念も馴染みにくいのかもしれません。受身的な「なる」に対して、「する」のほうは、動作を強調するため、その動作を誰がやったかという「主体」が必要になってくるのではないかと思われます。

なるほど!!:D
「なる」文化の日本人にとって主体はあくまでも自分以外のものにあるので、自分主体という感覚は弱くなりますね。 

日本語の文章にはよく「主語」が欠落しているといいますが、実はこういう理由もひとつあったんですね☆ (余談ですが日本語が「主語」を必要としない理由は日本人の認知機能にもあるようです→(自然音を左脳で聞く日本語の凄さ [4]

日本人特有の「謙虚さ」というのも、態度以外にこういう様な日本語の持つ受動的表現からも伝わるものなのだということがわかりました。
この表現法はまさに日本人の、自分という枠を超えた自分以外の周りのものに敬意を払う精神が生んだ「謙虚」な表現方法なのです

意識せずに何気なく使っている言い回しや文法ですが、こういうものが背景にあるんですね~ 😀
そして更に、それらを使うことで言葉が私達の中に精神や態度を育ててくれるということにも気付きます。

日本語を使っているからこそ謙虚でいられるし日本人らしくいられる
言語って本当にすごい役割をしているなぁ  と改めて感じました☆ :nihi:

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