前回の記事~『安心基盤』から考える子育ての可能性 ~ でも触れましたが、現代の女性たちがは安心基盤を求めていることは確かです。
その1つの潮流として、インターネット上でのコミュニティへの収束(母系集団の再生)がありましたね。
他にも母系集団の再生を予兆する現象はないのかと探ってみると・・
それっぽいのは色々と出てきました。
たとえば、女性の親元(実家)収束。
自分のまわりでも親元のところに戻るという女性も多くいますし、Q&Aサイトにも、結婚を考える上で「両家間の距離」(どちらに住まうか)を悩みに抱えている女性が多く見られます。
皆さんのまわりにもいっぱいいるのではないでしょうか?
これらは母系集団の再生と言えるのか・・
そもそも母系集団とは何だ・・
考えてみたいと思います。
続きはポッチと願います。
ネットコミュニティ収束と親元収束には、実は決定的な違いがあります。
それは【課題の有無】です。
順を追って考えて見ましょう。
まず、漠然とした社会不安・収束不全から誰しも安定基盤を求めていますが、潜在思念が鋭い女性のほうがより可能性への収束度合いが高まっています。
そして、より安心感を得られる(得られそうだ)と感じて【母系集団らしきもの】へと収束しているのが現状です。
ここまでは両者とも同じですね。
違いはここからです。
ネットコミュニティは出産・子育てなどの【課題】に対する答えを探索・共有しているのに対し、親元収束には【課題がない】のです。むしろ、親元は密室家庭・無圧力空間そのものであるので社会不安・収束不全に対する答えは見つかることはありません。目先的な安心感へと収束していると言っても過言ではないでしょう。
この違いは実は大きいのではないでしょうか。
なぜか?
改めて<母系集団>とは何か?を考えてみると分かります。
母系を中心として集団が形成・存続していく集団形態で、闘争と生殖を包摂した全的集団のことを母系集団といいます。さらにそこには集団内で共認された課題が存在しているのです。
そうです、重要なのは闘争と生殖が一体となった集団であり、課題を捨象していては真の母系集団とはならないのです。ですから、其の点ではまだネットコミュニティ収束のほうが可能性はあるように思います。
しかしながらこのネットコミュニティも「子供の成長とともにスレッド数が減少する」という現象が示すように、子育てなどの目先課題という枠からは抜け出せていません。
言い換えれば子育てという個人の課題という枠であり、集団としての課題とはなりきれていないように思います。
個人の課題であるなら、
子どもが成長したら課題はなくなるの?
課題が無くなった女性はどうするの?
安心基盤がなくなるの? などなど色々と疑問が浮かんできます。
やはり、個人ではなくみんなを対象とした課題を共認してこそ、真の母系集団への再生の手がかりとなるのではないでしょうか。