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後継ぎに息子は禁止!江戸時代商家の集団の在り方とは?

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画像はこちらからお借りしました☆http://www.wsedo.co.jp/

人類という単位でも、国という単位でも、企業という単位でも、集団を存続させ、継続して維持していくことは、最重要課題です
それが、“家”という単位でも同様で、社会でどう適応していくかは、日々の生活(生存)に関わる重要な課題です

江戸時代に詳しい先輩から、これからの集団(≒家)の在り方の参考になる文献を教えてもらいました それは、江戸時代の商家が採った集団適応の方法です
江戸時代の商家は、集団が持続していくような仕組みをどのように作っていたのでしょうか :nihi: ?

さっそくご紹介を… 😀

 日本橋馬喰町のさる紙問屋は、「当家に男子出生いたすとも、別家または用紙に遣わすべし。男子相続は後代まで永く永く禁止し、当家相続は養子に限ることを、堅く定めおき候」と主人が書き残している。
娘に優秀な婿を取るのが商家の習いなのである。近年、東京の神田、日本橋、京橋の老舗四十店舗の当主を調べたら、すべて婿養子だった。老舗は女系相続である。

 江戸の場合、「腹を痛めた娘から娘へ」と、すべての資産が伝えられたので、優れた婿が選ばれた。番頭や手代の場合もあるし、同格の商人の家から婿入りすることもあるが、店の当主と娘の一存だけでは婿を決めることができない。
必要なのは親族一門、別家の同意だけではない。同業組合(株仲間)の議決が必要だった。年季入れて修練し、「おひろめ」で一人前になった後、ふたたび、結婚の是非でも同業者の認知を受けなければならない。
つまり商家の結婚は私事ではなく、同業組合の公事であり、婿は商人仲間の公職でもあったのだ。

 この江戸の伝統は昭和の初期まで残り、商家に対して市中の金融機関は、「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」といった考え方が普通だった。つまり、江戸の商家で息子が跡取りになろうものなら、誰も金を貸してくれなかったわけだ。商家の婿とはそれほど選び抜かれ、社会的にも信頼性のある経営者だったのである。

『江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた サムライと庶民365日の真実 古川愛哲』

現代においても、老舗企業と言われる会社は、婿養子が後継ぎになっていることがあるようです 最近、「日本に老舗企業が多いのはなぜか?」という話題が本やネットでもよく見受けられ、注目されていますよね 🙄

江戸時代の商家では、家に対する私有意識は封じられていて、自分がどうしたいという勝手ではなく、「家、親族、別家、組合を末代まで存続させるためにどうしていくのか?」という意識で統合されていたんですね 😛
だから、男子相続は固く禁止され、娘に優秀な婿を取ることが集団として適応していくための仕組みになっていた。納得です
商家同士での存続を欠けた争いも厳しさを増す中、危機感が薄く、闘争圧力を捉えきれない息子が跡取りになろうものなら、家が滅亡してしまいますものね
(そう考えると、2世議員などを「とりあえず大丈夫なような気がする 」と大そうな訳もなく支持してしまうのは、盲目的な感じで、ちょっと怪しいですよね。。。)

「集団を存続させ、継続して維持していくにはどうしたらいいのか?」
「どうやって、社会に適応していくのか?」
に貫かれ、そのための仕組み(=養子)をみなが認めて、運営され続けてきた集団があったって、心強い

このような、集団の在り方は、これから先の集団を考えるのに参考になるなぁ~ と思いますがいかがでしょうか :love:?

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