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日本は一つの大きな家族!

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日本は、世界の諸外国に比べれば住みやすい国だということをよく耳にします。るいネットでも、次のような投稿を見つけました。

『アメリカからの老夫婦は、「少年の犯罪率が高くなった」などと語る加藤恭子氏に、こう答えた。「率のことはわからないわ。だけど私たちは日本にくると、全体が一つの大きな家族のような場所に来たと感じるの。」』 [1]

これを読んで、最近の日本は各家族や単身世帯が増え、根無し草な人が増えていて、当の日本人はなんとなく不安を感じているのに、外国人はそうは感じないのはなんでだろうか?と思いました。
新しい集団のあり方を考える上で、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。

今回も読んでくれてありがとう

1.勤勉性

 なぜ日本の工業製品の品質が高いかということについて、日本人とアメリカ人の特徴について対比的によく言われることですが、欠陥品が5%発生した場合、アメリカ人は5%欠陥があるなら105%生産すればいいじゃないかという考え方をするそうです。一方、日本人はどうすれば欠陥品5%をゼロに近づけて行けるかという視点に立ち、試行錯誤を繰り返してゆくのだそうです。 [2] 

よく言われることですが、日本人は勤勉な国民です。これは近代に始まったものではなく、たとえば、江戸時代においても次のようなことがあります。

 江戸時代が始まって60年で「山川掟」で新田開発が規制されても、その後200年も江戸時代は続いたわけです。新田開発ができなければ、ムラが拡大する事もないので、人口が抑制気味になる。(ただ、新田開発自体は、幕府や藩による景気対策的な意味で継続されるが、当初の乱開発から見るとかなりセーブされたものとなった。)で、田畑の量的拡大が望めなくなった農民は、限られた面積で生産量を引き上げるしかない。となると、工夫をするしかない。長時間畑を耕し、いかに収穫量を上げるかに農民が心血を注ぐようになった。結果、生産性があがった。(今風に言えば、一人当たりGDPが伸びた。)このプロセスが、後の日本人の勤勉さにつながり、「勤勉革命」を起こしたという学者さんもいるそうな。 [3] 

自分が食えなければよそから採ってくるという発想が日本人にはなくて、勤勉(創意工夫)によってなんとかしてきたのが日本人だったんですね。

では、この勤勉性が日本人の特性として総じて言えるのは、なぜなのでしょうか?

2.共同性

『天才がどんどん生まれてくる組織』(齋藤孝著)という本があります。この本では、「ハイレベルな基本技が全員によって共有されている組織は、驚くべき力を持つ」ということが書かれていて、強い集団の例として猿飛佐助の物語が紹介されています。

白土三平の『サスケ』は、天下が豊臣から徳川へと移行する混乱期に、両陣営の忍者同士が戦いあう。そうした状況の中で真田幸村の臣下である忍者のこども佐助が忍者として成長していく物語です。

この物語の中で、猿飛佐助は死んでもまた現れて家康を脅かします。実は、猿飛は何人もいて、猿飛というのは人の名ではなく術の名なのです。つまり、猿飛の術を使う者はすべて猿飛ということです。ということは、忍術の天才である猿飛佐助が何人もいることになります。これは集団として術を磨き、術(それも基本術)を共有しているということなのです。

佐助の話は物語ですが、このようにハイレベルな基本を共同で身に付けさせていた実例としては、江戸時代に各藩に設置された藩校や私塾(緒方洪庵の適塾や吉田松陰の松下村塾)などがあります。

日本と諸外国との大きな違いは、勤勉であり、かつ、個性第一ではなく共同で術を磨いてきた歴史があったということではないかと思います。

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