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集団規範の再生-4 「日本的経営と共同性・規範」

今日は、集団規範の追求のヒントになりそうな、日本的経営に関して調べてみす。

日本の企業形態をイメージすると・・・・旧くは、商家、財閥、、、、、新しくはフランチャイズなどが思いつきますがどの様な変遷を示しているのでしょうか?

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これは老舗 [1]の暖簾

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いつもありがとうございます。

日本的経営とは、経営家族主義、経営福祉主義、共同生活体経営、集団主義などと色々な言い方をされる。

その原型は、江戸時代の商家の経営制度(経営家族主義)とも言われる。
この中でも丁稚制度は「丁稚-手代-番頭-支配」といった年功的身分制度や年功昇進制であり、その支給される給料は低額で、主人の恩恵による物的給与や諸手当の比重が高いと言う日本的報酬制度だ。
住も食も包摂されたその制度は、共同体的な特色が濃い。

ところが明治時代に民間財閥に払い下げられた工業系の官営企業は、官僚制組織が引かれた。
日本的家族制度では、資金力を基盤とした科学技術競争には家族的な経営手法は対処できなかったとされている。

しかし、財閥の経営体制は江戸商家の手法が引き継がれている。
この財閥も、市場圧力の下、叩き上げの子飼いの番頭から大学卒経営人材へ、恩恵的な物的給与から給与への移行、職務、権限、責任を明確にした組織近代化、家族経営上の公私混同の禁止、等の経営体質の刷新が行なわれた。

やがて、賞与、退職金、福利施設は、恩恵と言うよりも、労働者の権利と認識されるようになる。

以上参考日本的経営の進化論的本質(占部都美) [2]より

江戸時代の商家は、丁稚で入家すると衣食住を共にするわけで、家族同様だったのでしょう。
だから、現代風に表現すれば、給与ですが、要は「おこずかい」
将来的に独立する際にも、「暖簾分け」であり、農村で言う分家なので、私財を蓄える必要もない。
生きる術(≒生産力+蓄財)を全て共有しているからこそ、共同性が保たれていて、そこに必要な規範が確立して、守られていたのだと思います。

ところが、明治以降、市場化が進む中で、資本が利益を求め始めた。
資本が無理矢理生産性を高めて、生きるために必要な量をはるかに超えて拡大再生産を繰り返す。
「科学技術競争には家族的な経営手法は対処できなかった」のではなく、家族的な経営手法では過剰な利益は必要としなかった、と考える方がしっくり来ます。
・・・・ちと外れますが、環境問題の根幹原因もココ!!でしょ?

資本が推し進めた近代化の中では、自ずと、お金(資本)を中心とした規範に塗り換わっていきます。
「市場圧力の下、叩き上げの子飼いの番頭から大学卒経営人材へ、恩恵的な物的給与から給与への移行、職務、権限、責任を明確にした組織近代化、家族経営上の公私混同の禁止」
この変貌は、組織体制がお金中心になって行った事を示しているのでしょう。

それでも、まだ豊かさが実現していない1960年代までは、日本人の共同性を組織体制と刷り合わせる事が出来たが、1970年代以降は、ほころび始め規範とともに組織が崩壊していったのだと考えられます。

因みに、現代でも「暖簾分け」はこの様な意味を持ちます。
ラーメン用語辞典 [3])より

店の味、そしてなにより信用を引き継ぐにふさわしいと思われたときに、弟子などに同じ屋号を名乗ることを許すことをいう。ただし、最近では同じ名前を名乗っている店であってもフランチャイズ展開しているだけの店舗も存在する。

「信用」を引き継ぐ「暖簾分け」と契約関係(ネームヴァリューを買う)でしかない「フランチャイズ」
共同性+集団規範を再生しなければ、フランチャイズ社会になってしまいそうです。

『日本人ならでは』の充足規範を再構築していかなければなりませんね。

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